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眠りの森
― 1 ―

 


 ここは眠りの森。
 高く高く、そびえ立つ樹木の、行方は知らず。地にはびこるのは芝草。どこまでもどこまでも続く、永遠の森。
 ここは眠りの森。その名のごとく、眠るには最適。誰も私の眠りを妨げない。私も誰かの眠りを妨げない。争いもない。夢もない。年もとらない。おなかもすかない。誰も私を傷つけない。私も誰かを傷つけない。理想の地。永遠の森。
 どこまでもどこまでも続く森。その森の真ん中で、少女が一人眠っています。誰かが、彼女を起こしに来るということがあるのでしょうか。いいえ、どんなに時が経っても、誰も起こしになんて来ません。そう、それが、この森なのです。
 彼女が自分から目覚めるということもめったにありません。時折目覚めることがあっても、そんな時、彼女が一体何をしているかというと、大方そこらの樹にもたれかかっているか、森の中を意味もなく歩き回っているかです。それで、ちょっと疲れると、そこらに寝ます。沈むよう寝てしまいます。
 また、彼女は決して森の外へ出ようとはしません。だってこの森は果てしなく広いから、森の外が何処にあるか分からないのです。それどころか、彼女は出口を探そうともしません。だって眠りはとてもココチイイし、果てや出口も何処にあるのか分からないし、何処にあるのかわからないものを探すなんて、そんな非生産的なことは、そんな非建設的なことはしないのです。無駄なのです。無駄。 
 だから彼女はただ眠っているのです。彼女と話す人などいません。人間はちゃんと他にもいますし、彼らは所々で眠っているけれど、でも彼らも眠っているのでしゃべらないのです。第一彼らは――もちろん彼女もですが――自分の過去を忘れてしまっていて、名前さえ覚えていません。眠ったまま話しもせずに自分一人きりなのだから要らないでしょう、そんなもの。話もろくにしないから、言葉さえも忘れかけているのです。
 にもかかわらず、ある時のことです。彼女がいつものように眠っていると、誰かが彼女の肩を揺らして彼女を起こそうとするのです。
 イヘンです。この森で、これは、異変なのです。
――誰も私の眠りを妨げない。私も誰かの眠りを妨げない――
これがこの森の平安を保たせている大原則なのです。それなのに彼女を、誰かが揺り動かすのです。
 彼女は驚いて跳び起きました。今までにないことが起こったのだから、ほとんど反射的に跳び起きました。跳び起きたその目の前にいたのは、少年でした。少年が何か言っています。彼女はあまりの恐ろしさに初め、少年が何を言っているのか聞きとれませんでした。
 イヘンです。あるはずのないことが起こっているのです。誰かが誰かの眠りを妨げるなど、ありえないことなのです。これは異変です。少なくとも彼女にとっては恐ろしいことなのです。
「エミコ?」
これがようやく聞き取れた言葉でした。少しずつ落ち着きを取り戻しはじめると、少年をしっかりと確認できました。少年はとてもか細くて、華奢で――しかし、この少年は一体何の目的で、この森の大原則を破ったのでしょう。この少年は一体何者なのでしょう。
「僕はマサトと言います。エミコサンだね?」
彼女はひどく脅えて、その上体を起き上がらせたまま、後ずさりしました。
「エミコ?」
少年はエミコをみつめてキョトンとした顔をしました。どうして、何に彼女が脅えているのか理解出来ないといったような顔です。
「どうしたのエミコ。何をそんなに脅えてるの?こわがらなくてもいいんだよ。」
彼女の恐怖のまなざしにマサトは焦りを覚えました。そして彼女の恐怖は治まるどころか、ますます激しくなっていき、ガタガタ震え始めたのです。マサトは彼女の恐怖を押さえようと手を伸ばしました。その時です。
「ひぃぃいやあああ―――――!」
彼女は耐えきれなくなって、叫び声を上げ、かけ出しました。
コワイ…コワイ―――!
「エミコ!」
逃げ去る彼女をマサトは追い掛けようとしました。彼女は完全なパニック状態でかけていきます。
「待っ…!」
と、マサトが手を伸ばした途端、突然足元の芝草が蔓のようにのびあがり、彼の足に巻きつきました。マサトが地面に倒されると、
「わああああああっ。」
芝草の蔓は長く伸び続け、倒れたマサトの体にまとわりついて縛り上げ、覆い隠そうとします。
「あああ…。」
彼の声は芝草にのみこまれ、次第に小さく消えて行きます。だんだん、だんだん、
 そしてとうとう消えてしまいました。
――誰も私の眠りを妨げない。私も誰かの眠りを妨げない――
 これは森が下した罰なのです。この森の原則を犯した者には制裁が加えられねばなりません。でないとこの森の平安が、破られてしまうからです。
 ここは眠りの森。永遠に眠り続けることを約束された、平安の森。
 争いもない。夢もない。おなかもすかない。誰も私を傷つけない。私もだれかを傷つけない。理想の地。永遠の森――――。

 一体、どれぐらい走ったことでしょう、走り終えても彼女の呼吸はまだ乱れていて、胸の鼓動もドクドクいったままです。おそらく、彼女がこの森で走ったのは初めてのことだったのでしょう。そして、彼女が立ち止まって、後ろを振り返ったのも、それがはじめてのことだったのです。眠ることが目的でこの森に来ている者にとって、この森に来る前の自分の過去はもちろんのこと、森の中の自分の過去もいりません。だから、今しかなく、過去もないのです。でも、彼女は今振り返りました。振り返った世界は相変わらず、高く高くそびえ立つ樹木が、地にはびこる芝草が、どこまでも続いるだけで、景色は何の変哲もありません。しかし、彼女が逃げてきた道が、彼女の足下から、ずっと伸びていて、それは間違いなく彼女がこの森で初めて持った、たった一つの過去だったのです。彼女の心を動かしたこの出来事は、そのまま彼女の記憶となるでしょう。
 しかし彼女が振り返った世界は相変わらずで、さっきのやせっぽちの少年も、もう見えませんでした。
「エミコ。」
 彼女はそっと少年が彼女に投げ掛けた言葉を口にしてみました。それが彼女の名前であることは、何となくわかっていました。うっすらとかかった影の一つが晴れるように、それが名前だと、わずかに思い出しました。
 エミコ
 それが彼女の名前。
 しかしそれだけのことでした。ただそれだけのことで、結局他には何もかわりません。過去は、今振り返った過去と、彼女の名前だけでした。
 ただ新しく、彼女の心の中に、ある一つの疑問が生じたのです。
「彼は一体何だったのだろう。」 
 マサト――そんな人は知らない。第一ここで自己紹介をする人などいないはずなのです。「彼は一体何だったのだろう。」
 しかし、しばらくするとその疑問にも意味がなくなってきました。疑問の主の彼は、もうそこにはいないのですから。
 さっき振り返ったはずの森も、伸びていたはずの過去も、もう前も後ろも右も左もわからなくなって、そこで意味を失ってしまいました。もう要らないのです。ただただ、高く高くそびえ立つ樹木が、地にはびこる芝草が、前に後ろに右に左に、広がっているばかりです。
 そこでエミコは考えるのを止めてしまいました。考えても仕方のないことなのです。過去は森の中で消えさり、少年はもういません。 考えても、仕方のないことです。
 そうしてまた、眠りの中に――森の芝草の中へと、沈んで行きました。

 遠くで誰かの呼ぶ声がします。エミコ、エミコと呼ぶその声は、懐かしい声でした。遠い遠いところで、誰か懐かしい声が、エミコを呼んでいます。
「起きなさい、エミコ。朝よ。起きなきゃ遅刻するわよ。エミコ!」
 エミコがうっすらと目を開けると、そこにはオカアサンがいました。エミコは布団の中で「う…ん。」と返事をして、まだモゾモゾとしています。
「エミコ、起きなさい。朝ご飯、冷めちゃうわよ。オカアサン、もう起こしに来ませんからね。ちゃんと着替えて、起きてくるのよ。」 オカアサンが部屋から出て行って、エミコが布団の脇から覗いて見ると、それはいつものエミコの部屋でした。いつもと何ら変わらぬ、エミコの部屋でした。
 エミコはゴソゴソと起きて制服に着替えます。顔を洗って髪をとかして歯をみがくと食卓に行ってミルクを一杯。カバンを持って家を出たのは八時少し過ぎでした。いつもと同じ朝、いつもと同じ道です。
 学校につくと、いつもと同じ学校で、センセイがやってきて、授業を始めます。
「藤原四兄弟が次々と流行り病に倒れ、その後に現れたのが橘諸兄です。橘諸兄の母、犬養三千代の再婚相手が藤原四兄弟の父、不比等です。」
センセイ…。
「諸兄の母三千代と不比等の子、宮子は文武帝の妃であり、聖武天皇の母でありましたから、当時の実権を握る…。」
 センセイ。そんなことやってどうすんの?レキシやってもやらなくても、今の世の中、何も変わらないんだよ。そんなもん覚えなくっても、生きていけるんだよ。無駄だよ。つまんないよ。
 ねえ、そんなつまんないことばっかだと、眠っちゃうよ。眠くって眠くって、仕方がないの。眠くって眠くって、仕方がないのよ。
 机につっぷせて、エミコは深い深い眠りに落ちていきます。深い深い眠りに、落ちて行きました。

 眠りの森で眠るエミコは、ふと理由もなく目覚めました。目覚めたそこは、相変わらずの眠りの森で、高く高くそびえ立つ樹木が、地にはびこる芝草が、どこまでもどこまでも続いています。エミコは何か夢を見ていたような気がするけれど、でも何の夢を見ていたかはよく覚えていません。でもイメージだけは何となく残っています。そう、あれはどこかで感じた感覚――ああ、そうだ。この森の中を歩いている時と、同じ感覚なのです。
 そうするとエミコは、今のが夢か、それともただ歩いていただけなのか、わからなくなってきました。でもやはり森は相変わらずそのままだったので、エミコは考えるのを止めることにしました。だって、考えたって世界は何も変わらないのですから、考えたって仕方のないことです。
 それからエミコは近くにある樹に背中をもたせかけて、足を投げ出して、すわりました。すると、前から、誰か人の気配がしました。珍しいことです。起きている時に同じ様に起きている人と出会うことは、この森ではとても珍しいことなのです。もしかしたらエミコは初めてかもしれません。
 エミコはぼんやりしている時は、たいてい目までぼんやりしているのですが、近付く人影を見て、思わず目を凝らしました。ここにいる人達は大方、真っ白の長袖Tシャツと、まるでパジャマの様な真っ白なズボンを履いていて、エミコの様な女の子は白いスカートです。服はやわらかくて、いつまでたっても古くならず、乱れません。ところが前から歩いて来る人――おそらく少年でしょう――は、とんでもない格好をしているのです。まるで、ファンタジー小説の中に出てくる戦士のようで、背にはマントをつけて、ノースリーブの長いシャツを腹でベルトし、膝下までの、ブーツの様な薄皮のものを足につけて、ひもで縛り、腰には剣を携えています。そして体つきはたくましく、顔はなかなかの美少年…
 あ、とエミコは小さく声を上げました。あの顔は、さっきエミコを起こした少年でした。あの見るからにひ弱そうだった、マサト、ではありませんか。顔だちはそのままなのに、どうしたのでしょう、顔付きは見事なまでに精かんなものに変わってしまっています。
 エミコは彼がそばに近寄るまで我を忘れていました。正直、彼にみとれていたのです。彼がすぐ近くまで来て、「エミコ。」と声をかけたところで、エミコはやっと我に返ったのです。しかし、我に返ったところで、もうどうしようもありませんでした。後ろは樹、前には少年がいます。その少年は腰をかがめて、エミコに手を差しのべました。
 何をされるのだろう。
 エミコはブルブルと震え出しました。このわけのわからぬ少年は、一体何をしようというのでしょう。
「怖がらなくていいよ。落ち着いて僕の話を聞いて。」
「あんた…誰よ。」
わななく声に、脅えた目で少年の目をじっと見つめました。
「マサトだよ。さっき君を起こしただろう?」
「マサ…ト?」
「そう。エミコ、いつまでもこんなトコいちゃいけないよ。帰ろう、僕と一緒に。」
「帰るって…ドコへ?」
「ゲ…。」
その時でした。またもや、エミコとマサトの間の芝草が突然、蔓のように垂直に伸び上がったのです。マサトはすかさず後ろに退き、腰の剣を抜いて根元の辺りから芝草を切り払いました。
 少年は勢いよく、エミコに左手を差し出しました。
「おいで!」
エミコには何が何だかわかりません。
「来るんだ! さあ、早く!」
蒼白になった顔でオズオズと差し出したエミコの右手を、マサトは思い切りつかんで走ります。遅れたエミコの足に、芝草が巻き付き、マサトはエミコを肩に抱え上げ、地から浮いた足元の芝草を腰をかがめて根元から切り払いました。そしてマサトはエミコを抱えたままかけだします。しかし足元の芝草は後から後から――、マサトは右手に持っていた剣を鞘に収め、首に巻き付けてあるマントを外し、バサリと宙に広げてその上に飛び乗りました。マントは二人を乗せて宙に浮きあがりました。
 エミコはすべてが信じられませんでした 。 浮いているのです。
 エミコは本当かどうか確かめようと、マントの端からマサトに支えられたままで地面を覗きました。するとあの、いつもエミコが寝転がっているココチヨイ芝草が、走るマントの後から後から伸びて、マントを捕まえようとしているのです。エミコはこの時、支えてくれているマサトより、芝草の方が恐ろしいと思ったのです。
 次第に芝草がマントに追い付かなくなり、段々その波が遠のいていきます。エミコは髪をなびかせながら、その姿をじっと見ました。
「もう大丈夫だな。」
マサトも後ろを振り返って確かめました。
「あれは、一体何だったの?」
「草が君の心に反応したんだよ。」
「心に反応?」
「そう、ここの草は人の心に反応するんだ。」
「あんたのにも?」
「僕のには反応しない。僕はよそ者だからね。」
よそ者…
「あんた一体誰なの?」
「僕かい? 僕はマサトだよ。」
「マサトなんて人、知らないわ。」
「じゃ、君は誰なら知ってるって言うんだい?」
 誰――――?
 エミコは記憶の中を探ってみました。誰もいません。自分自身さえも――。
 するとまた浮いたマントの下の芝草が、ザワザワとザワめきはじめました。
「待って。」
マサトはエミコを制止します。
「言ったろ? この森は人の心に反応するんだ。感情を荒立てないで。」
エミコは考えるのを止めました。そしてマサトの顔をじっと見ます。
「今までこんなことなかったわ。」
「そうだろうな。眠りの森では、そんな感情が生まれるはずはないんだから。安らかに眠れる、それがこの森の原則だ。」
「そうよ。」
「他人の眠りを妨げてはならない――元より妨げる気にもならない。だから会話も要らない、過去も要らない、名前も要らない。イヤ、むしろそういうものを捨てたいと願った人が来るところだからね。僕がよそ者だと言ったのは、そう思ってここに来たからじゃないからだ。」
「じゃ、どうして…。」
エミコの顔付きはマサトをみつめたまま、さっきと少しも変わりません。だけど足元の芝草はザワザワと揺れています。
「さっき僕は帰ろうと言ったね。君はどこへと尋ねたけど、心のどこかで帰る場所を知っているはずなんだ。だけど君は答えを聞きたくなかった。ちゃんと確信したくなかったんだ。言葉よりも先に、体よりも先に、草が素直に反応したんだよ。わかるね。」
エミコは何も答えません。しかし芝草は相変わらずザワザワと揺れています。
「僕は君を連れ戻したいと思ってここにやってきたんだ。ここがどこか大方わかってるんだろう? 帰ろう、エミコ。現実へ。」
 この瞬間、マサトを見るエミコの目が大きく見開かれました。マントの下の芝草がいっせいにザッと伸びました。マサトがマントをつかみます。マサトはエミコの手をつかもうとしました。が、その手はパチンと音を立ててエミコ自身に払いのけられたのです。マントから落ちるエミコの体は、マントが上に行くに連れて、下へ下へと落ちて行きます。
「エミコ――――!」
 エミコが落ちた所の芝草は、伸びたまま弾力の蔓になって彼の体を支えます。しかし他の芝草は、マサトを飲み込もうと彼を追いました。
 エミコの、言葉にならない言葉。
 それは〃拒絶〃という言葉でした。

 エミコが目覚めると、もうレキシの時間は終わっていました。いつもと同じ休み時間です。友達が数人、エミコの所へ集まってきました。
「エミコさっきの時間ずっと寝てたでしょ。」
「センセイずっと見てたわよ。」
「だって、かったるくて…。」
いつもとたいして変わらない会話をします。でもおかしければ、エミコは笑います。ふくれたりもします。でもそれは、ダセイでやっているのです。現代社会に生きる人間の、いわゆるダセイってヤツです。
 そして一日の授業が終わると、お家に帰ります。エミコが帰る時間、オカアサンはまだパートから帰っていないので、誰もいません。そうしてエミコはテレビを見ます。毎日見ます。四時からはドラマの再放送を二本見るのです。もちろん、おかしければ笑います。哀しければ、哀しんだりします。でもそれは、ダセイでやっているのです。現代社会に生きる人間の、いわゆるダセイってヤツです。
 そうこうしているうちにオカアサンが帰って来て、晩ご飯なんかを食べたりします。
「エミチャン、そろそろ進路のコトなんか考えてるの?」
「うん、まあね。」
「やっぱり、大学受けるの?」
「うん、一応。」 
「最近はどこも難しいから、よっぽど頑張らなきゃ、いいとこ入れないわよ。」
「うん。わかってるよ。」
「まあ、女の子だからね。全部駄目だったら、オトウサンのつてで、就職してもいいんだし。」
「うん。そうね。」
そうこうしているうちに晩ご飯が終わったら、今度は勉強します。オフロなんかにも入ったりします。今日はエイゴの長文問題と、コクゴの現代文を勉強します。まず、エイゴからです。予備校の春季講習で、センセイに長文のテクを習いました。
「長文は、いいかあ。例えばぁ、こんな正誤問題は発音とぉ、文法とぉ、必ず一緒に出てくるんだなぁ。長文問題の場合ぃ、ちゃんと文章読んで考えてたら九十分の時間配分じゃ、ちょぉっと苦しいわなぁ。だからぁ、もう文章全部読まなくていい。まず、答えを見る。それから、その答えに見合う文章を探すんだ。いいかぁ? そしたら早いだろお?」
そしたら苦手の長文も解けるようになるのです。コクゴでも、センセイは似たようなことを言っていました。
「現代文は、いいですか。まず最初に答えを見るのです。答えを見てから本文を念のため読みます。しかし慣れてきたら本文なんか読まなくても、問題は解けるのです。それから、文章の内容に深くこだわってはいけません。特に小説はそうです。これはアクマでも受験問題なわけですから、深く読みたいと思う人は、大学に入ってから、いくらでも読んでください。」
要するに技術なのです。受験戦争を乗り切るには、技術が必要なのです。レキシもコクゴもエイゴもスウガクもセイブツも、みんなテストでいい点を取るために勉強するのです。受験のためにするのです。余計なことを考えてはいけません。
 そうして一時位に寝ます。こうしてエミコの一日は過ぎていきます。昨日もそうでした。明日もきっとそうでしょう。明後日も、ずっとずっと――。家と学校の往復を繰り返し、大学に行っても、勤めに出ても、お嫁に行っても、こうして時間は過ぎていくのです。
 エミコは布団に入って、ちょっと考えました。
――今お墓に入っても、五十年後にお墓に入っても、たいして変わらないんじゃない?――
 でも自分で死ぬ程の情熱さえないんです。寝てる時が一番楽しいんです。だって動かなくていい分、ラクでしょ?
 笑っても、怒っても、それはダセイでやっているのです。現代社会に生きる人間の、いわゆるダセイってヤツです。後には何も、残りません。

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