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冬の火

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 「石井義久さま

 この手紙を読む頃、あなたはもうその、「新しい仕事」を始めていらっしゃるのでしょうか。故郷を捨て、住み慣れた街を捨てて、今一体、どんな気持ちでそこにいらっしゃるのでしょうか。私は相変わらずの毎日で、これといったかわりばえはありません。正直、あなたがいなくなれば、ぽっかり、穴の空いたような、そんな感じになるのかと思っていたのです。けれども、意外に、以前とかわりはないのです。そう、あなたがこちらにいる時も、いつも会っていたわけではありませんし、…せいぜい、月一度ぐらいだったでしょうか。悩みがある時は、しばしばお目にかかって話をきいてもらっていたような気がします。でも、それ以外は、本当に、特に最近になっては、同じ街にいるのが信じられないくらいになってしまっていました。
 本当に、遠く、離れてしまったのでしょうか。
 今となっては、なぜ簡単にあえるうちに、もっと、無理にでも、あっておかなかったのだろうかと思います。

 あなたは旅立たれる日に見送りはしなくていいと固く辞退されました。だから、私、あなたが私に見送ってもらいたくないのだろうと思って、それで、直接会ってはいけないのだと思って、あの日、あなたには会わずに、空港でずっと飛行機を見送っておりました。
 あなたはきっと、知らないでしょう。
 私はあなたにいつたつのか、何時の飛行機か、と、何度も何度も尋ねました。それなのに、あなたはちっとも教えてくれなくて、やっと日にちと、その日の午後にたつのだということを教えてくれました。それでも、「見送りはいいよ」というばかりで、少しも正確な時間は教えてくれませんでした。
 何もそんなにつれなくしなくてもよさそうなのに、もしかして、あたしはあなたに嫌われていたのでしょうか。
 いやみに聞こえますか。
 だって、いやみを書いているのですもの。少しでも、あなたにいやみときこえなければ、それはウソです。私も苦労して、書いた意味がないじゃないないの。

 ぽっかり、穴のあいたような、そんな寂しさはない。けれど、昼からずっと、夕焼けの見えるまで、日が暮れても、ずっと、空港から飛び立つ飛行機を、それのどれにあなたが乗っているのか分からずに、見送り続けた私の気持ちが、あなたにはわかるでしょうか。きっとあなたには、わからないのだと思います。
 どうして私は、あなたにそんなにつれなくされるようになってしまったのでしょう。私、そんなに悪いことをしたでしょうか。それでずっと、私、あなたが旅立ってしまった日から、何が悪かったのか、最初から思い返してみました。

 私があなたのお世話になりはじめてから、もう七年になるでしょうか。私が短大入学で両親の元から離れて、誰も頼む人がいないからと、母が、旧い知り合いのあなたに、私の面倒を頼んだのでしたね。それが始まりでした。そんなに、心配しなくてもいいのに、母は――それとも、監視のつもりだったのでしょうか。昔、母もこの街にいたから…それとも――それとも?
 短大の間は、本当によく面倒をみてくれて、とても可愛がってくださった。とても――そう思っていたのは、私だけ? まるで約束のような、月一度のそれが、とても楽しみで、今度はどこのお店に連れていってもらえるのかしら、どんな話を聞かせてくれるのかしらって、いつもいつも、とても楽しみにしていたの。だっておじさまは――まだ、おじさまと呼んでもいいでしょう?――おじさまは、とてもお話がお上手だったから。本当に上手だったから、私いつも楽しみにしていたんですよ。それは、就職してからも、ずっと、もう独り立ちしたはずだけど、いつのまにか、まるで両親に親孝行する変わりみたいに、恒例のようになって、会っていたような気がします。――それに、おじさまには家族がいらっしゃらないから、せめてお世話になっている私ぐらい、おじさまに孝行してあげなければいけないって、そんなふうに考えていたような気がします。でなければ、誰もおじさまのこと心配したりしないでしょう。誰も、おじさまのこと考えたりしないじゃないですか。せめておじさまが結婚してらしたら――奥様と離婚したりしないで、それでもせめて、子供の一人でもいらっしゃったらよかったのに、おじさまは天涯孤独なんですもの。だから私が、この世に存在したかもしれない、おじさまの娘のかわりをさせてもらおうと思ったんです。

 負担だったのでしょうか。孝行だと思っていたのは、私一人で、おじさまにとっては、重荷だったのでしょうか。
 それならそうと、言ってくださったらよかったのに。それなら私、いつまでも子供みたいに、甘えてたりしなかった。
 お見送りさえ許してもらえないなんて、私、そんなに悪いことをしたのでしょうか。
 「自分一人で勝手にした決断だから」って、「誰も見送りになんて来ないんだ」って、だから、一人で立つんだと、あなたはそうおっしゃっていました。本当に、その言葉を信じていいのでしょうか。それでも、仕事を辞めるとか、そんな遠くに行くのだとか、もっと早くに話してくれてもよさそうだと思います。あんなに突然、一月前になって、しかも、もののついでみたいに。「誰かに話すと止められそうだから、決心がにぶりそうだから」そうおっしゃって。
 本当に? 
 夢だったって、おっしゃっていました。子供のころからの夢だったって、おっしゃっていました。でも、僕はずっと都会に育って、腰が重いし、今の仕事をほうり出してまで、リスクを冒してまで、夢をかなえることはないだろう、きっと、夢は夢のままで終わるだろうって、そうおっしゃっていました。それなのに、そんなふうに思っていたのに、思っていたなら余計、決心したら決心したと、言ってくれても、よかったのではないですか。おじさまにとってわたしとの七年の歳月は、一体何だったのでしょう。
 ごめんなさい。恨み言ばかり書いてしまいます。こんな恨み言ばかり書かれて、きっとおじさまもう読むのがいやになっているでしょうね。ごめんなさい。でも、書かずにはいられないのです。あの時、空港で飲み込んでしまった言葉を、おじさまにぶつけてしまわないと、私そのことばかり考えて、ちっとも先へ進まないのです。あの時の私の気持ちと比べたら、おじさまが今手紙で私の恨み言をきいてくださるぐらい、いいでしょう?

 おじさまにとって、あたしはお荷物だったのでしょうか。短大に入ったばかりの頃は、おじさまの方から声をかけてくださったのに、いつの頃からでしょう、次第に、あたしがお願いしないとなかなか時間をつくってもらえなくなって。おじさまは、部所がかわって忙しくなったって言ってらしたけど、それさえ、今では都合のいい言い訳だったのではないかしら、と思ってしまいます。
 なぜなら、逃げるように行ってしまったんですもの。
 本当は、今までずっとききたかったのです。今度のことが始めてではないのです。いつのまにかおじさまは、気がつくと一緒にいてもそわそわとしたり、言葉を飲み込んだりされて、何か心配ごとがあるのかと思っていました。今度のことで、ある程度納得はしたのですけれど、それでもまだ割り切れないことがたくさんあります。

 おじさま。
 義久おじさま。
 あなたが母とどういう知り合いなのか、私は尋ねませんでした。そんなことはどうでもいいくらい、おじさまはいい人で、私にとてもよくしてくださったから。初めてお会いした時、まだあなたは三十代半ばで、それを「おじさま」とお呼びしたのは迷惑だったでしょうか。でもおじさまは、いいよと言ってくださったし、「石井さん」では、あまりに他人行儀だったんですもの。
 おじさま。義久おじさま。冷たい冷たいおじさま。どうしてそんなに、そっけなくなってしまったのでしょう。

 去年の冬でしたでしょうか。おじさま、酔って歩けなくなった私をうちまで送ってくださった。それまでだったら、お茶にお誘いしたら、必ず上がって飲んで行って下さったのに、あなたはドアの所で、そう、ちょっと遠くをみつめて、「神様が…」ってつぶやくと、私を、ドアの所へほうり出して、帰ってしまわれた。四階にある私の部屋の前から、遠くの闇に、十字架が浮かんで見えるから、あなたはそれを見て「神様が…」とおっしゃったのでしょう。あれは、近くにクリスチャンの学校があって、その中の聖堂の屋上にある十字架なのです。日が暮れるとライトアップするので、ちょうど闇の中に十字架が浮かんでいるように見えるのです。少し距離を置いた高台からでないと、見えないように出来ているのです。おじさまはそれを見て、一体何を思われたのでしょう。「神様が…」とおっしゃるなら、酔った私をドアの所に捨てていくなんてひどいじゃないですか。それこそ、神様がお許しにならないわ。

 私はわざと、無邪気を装っているのではありません。だってこれは、約束なのです。おじさまが私を見る時、一体誰を見ていたのでしょう。本当に私を見ていたのでしょうか。(変な勘ぐりだとおっしゃらないで。変な勘ぐりでも、かまわないのです。) それなのにおじさま、何を取り乱していらしたの。まるで、つい最近気がついたみたいに、何を取り乱していらっしゃったの。ずっとずっと、子供を扱うみたいに頭をなでて下さっていたらよかったのに、私もそのつもりだったのに、どうして、そのままでいてくださらないの。
 あの日、おじさまの、熱を含んだ、酔った口元が、私には忘れられません。汗ばんだ、そり残しのある、あのあご元が、忘れられないのです。忘れられなくしたのは、おじさまの犯した罪です。大きな大きな、罪なのです。

 でも、交わしたわけではないけれど、私約束だって知っていたから決して、破るつもりはありませんでした。おじさまは、この世で一番安全な男の人。私そうわかっていたから、だから
 おじさま。
 義久おじさま。
 やさしいやさしいおじさま。どうしてあんなにそっけなく、行ってしまったのでしょう。私おじさまがいなくなるからといって、泣いたり、ひきとめたり、決してしなかったのに、どうしてあんなに冷たく、行ってしまわれたのでしょう。
 そう、私、おじさまがいなくても、そんなに寂しいわけではありません。おじさまがいなくても、ちゃんと立派にやっていけます。もう、十八の子供じゃないから、保護者なんかいなくても、きっと大丈夫なんです。だから余計、どうしてちゃんと、出発の時間を教えて下さらなかったのかと思います。私ちゃんと、笑ってお見送りできたのに。

 子供の時は、冬も、夜も、独りではいられないほどこわくて、寂しかった。でも、最近になってようやく、冬の夜は寂しく感じなくなりました。寒ければ寒いほど、静かであれば静かであるほど、幸せで――きっと、胸の中に残ったわずかなぬくもりが、外の寒さでよけいに、暖かく感じられるせいだと思うのです。
 でも、それが、もしかしたら、「さみしい」ということでしょうか。
 私にはよくわかりません。でも、冬は寒いから、誰かに暖めてほしいって、それは、ウソだと思います。冬は、ぬくもりが暖かい。寒ければ寒いほど、暖かい。それで私は幸せで、幸せすぎて、涙がこぼれそうになるの。

 おじさまのいらしたその島は、冬でもきっと暖かいのでしょう。楽園のように、遠く離れて、幸福とか、不幸とか、さみしいとか考えることなしに、一年が過ぎてしまうのでしょう。私にはそれが、とてもさみしく感じられるような気がします。
 おじさま。都会に慣れてしまっている、おじさま。そこは、寒くはありませんか。孤独ではありませんか。いつも暖かいから、胸の中の寒さが身にしみませんか。心配です。おじさまはいつも、はっきりと言わないで、我慢をするから、私はとても心配なのです。

 あの日、空港でずっと飛行機を見送りながら、私は何を間違えてしまったのだろうと、ずっと考えていました。甘え過ぎていたのかしら。もっと、遠慮したほうがよかったのかしら。
 でも、つくり笑いしなくても、一緒にいさせてくれたのは、おじさま一人だったから、私とても居心地がよかったのです。泣きたい時は、泣かせてくれたでしょう。つらい時でも、いつも、いつの間にか笑えるようになっていました。だからおじさまは、私にとってかけがえのない人。どんなことがあっても、失いたくはなかった。無邪気なままでいたかったのです。でも本当は、それがかえって、いけなかったのかしら。それが、「間違い」、だったのでしょうか。
 約束だから。おじさまははっきり言わない人だけれど、それは約束だと思っていましたから。そしておじさまはにぶい人だから、無邪気なままでいれば、きっと大丈夫だと思いました。だって、これだけいやみを並べているのに、まだいやみだとわからないでしょう。おじさまはそういう人。そういう、やさしい人。

 まだ、闇が怖いと言って、寒い冬が辛いと言って、甘えられる年なら、おじさまにこんな恨み言を書かなくてすんだのでしょうか。本当はずっと、あのまま、こんな手紙なんか書かずにおこうかと思ったのです。でも空港で置き去りにされた私があんまりかわいそうだから、少しおじさまにこの気持ちを味あわせてあげたくて、とうとう書いてしまいました。だって、書いたって書かなくたって、おじさまはもう二度と、私に会うつもりはないのでしょう。もう何を書いても同じだから、飲み込んだ言葉をここに、置いておきます。そして、約束は約束のままで、そのままで。

 おじさま。
 やさしいやさしいおじさま。
 私は幸福です。おじさまがいてもいなくても幸福です。だから私は、おじさまに傷つけられることもなかったし、これからも、傷つけられることはないでしょう。一人でも生きていけるし、誰かのために生きたりもしません。でも、おじさま、もし、南国の寒さが身にしみたら、今度は我慢しないでください。おじさまは我慢強い人だから、こんふうに書いても無駄かもしれないけれど、それでも、冬の夜にもぬくもりのあることを思い出して下さい。どんなに寒い星の下にも、どんなに小さくても、消えることのない炎があるのだと、信じてください。
 信じてください。
 凍てつかぬために。

 もっと何か書くことがあったような気がするけれど、きりがないからこれでよします。
 さようなら。どうか、いつまでもお健やかに。

 霜月十五日(金)                              藤原貴子」

 

(以上執筆者:咲花実李)

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