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冬の火

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 寒い朝を迎えた。
 自分以外に誰も居ない家というのは寂しいものである。しかし、自分にとっては慣れたものである。
 父は仕事で家に戻らず、母が亡くなってからは一人で暮らしているも同然だった。
「おはよう、母さん」
 ベッドの横に置いていある写真に挨拶するのが日課となっている。
 服を着替えると部屋を出る。その足で父の書斎へと向かい、主を失った椅子に腰を下ろすと上から2段目の引き出しを開け、奥に仕舞われている写真たてを取り出した。
 写真には若かりし日の父と幼さの残る笑顔の女性が並んで写っている。
「藤原貴子・・・・・・」
 写真は数十年の時を経ても色褪せる事無く写っている。それは父にとってこの写真がどれほど大切なものであるのかが窺えた。
 写真を机の上に立て、椅子の背もたれに寄りかかりながら見つめる。
(父はどんな思いを抱きながらこの写真を見ていたのだろうか・・・・・・)
 考えてみれば両親を亡くした自分は一人ぼっちなのだが、まだ実感が湧いてこない。父とは一ヶ月に一度会う程度の面識で、あまり多くを語らなかった。
 父義久が藤原貴子の前から去った時、残された彼女は丁度僕と同じ境遇だったのかも知れない。二度と会えない遠くへと、突然に旅立ってしまった父・・・・・・。
(僕もしばらくすると父に文句の一つも言いたくなるのかもしれないな)
 写真の中で微笑む女性は父に会いたがっていた。果たして父はどうだったのだろうか。死者の心の内を知る事は永遠に出来ない。
 父は世間的に見てお世辞にも良い父親では無かった。そして同時に良き夫でもなかった。母さんを最後まで愛する事が出来なかったのだから。
 父の心にはすでに別の女性が棲んでいて、だれもその人の代わりにはならなかった。ならばなぜ、父は母さんと一緒になったのか。なぜ僕がここに居るのか。父の死後に見つけた手紙を読んでからでは、その問いは遅すぎた。
”ボーン、ボーン・・・・・・”
 時を告げる鐘の音が鳴る。
「さて、お客様を迎える準備をするか」
 父の焼香に来るのは彼女一人ではないのだから、色々と用意しておかなければならない。それが喪主としての役割である。
 写真たてを取り、引出しに戻そうとした瞬間に手を滑らせてしまった。
”カッシャーーッン” 
 写真たてのガラスが割れてしまった。
「やっちゃった・・・・・・」
 手を切らない様に気をつけながら写真を拾い上げる。
「あれっ」
 落ちたときに写真がずれてしまい、その裏に挟んであった手紙を見つけた。
 慎重に蓋を外し手紙を取り出した。
「宛先は藤原貴子様へとなっている。送り主は・・・・・・石井義久」
 それは切手の貼られていない手紙だった。出さなかった手紙、もしくは出せなかった手紙という事だろう。
 手紙を開封したい欲求にかられてしまい、封筒の端を強く握る。
「・・・・・・ダメだ。これは父の伝えられなかった気持ちだ。これを読む権利を持っているのは、藤原貴子だけなんだ」
 もしこの手紙が貴子に渡れば、内容を知る機会は永遠に来ないかもしれない。父は何を言いたかったのか、それを知りたいという気持ちを抑えるのに暫くの時間を要した。
 仮に貴子が今日の来訪を告げていなければ、迷わず開封していたに違いない。  
 手紙を机の上に置き、写真は元の場所に戻しておいた。多分これと同じモノを貴子も持っているだろうから。それにこの写真は父のものだから。
 後ろ髪を引かれる思いのまま父の書斎を出た。
 
 午前中は会社の人たちの来訪を迎えたので忙しくなってしまったが、午後は平穏な時間が過ぎた。
「遅いな・・・・・・」
 時計の短針が3の数字を指そうとしているのに、まだ藤原貴子は現れない。
 応接室のテーブルの上には父の手紙。多分最初に書いたであろうもので、最後に渡されるであろうもの。
”ボーン、ボーン、ボーン”
 鐘が三回鳴った後、ドアベルが鳴らされた。
 高鳴る心臓の鼓動をなんとか落ち着かせようとするが、ドキドキは止まらない。
(なんで僕がこんなにドキドキしなきゃいけないんだ)
 その理由が、他人の手紙を盗み見した事への最悪感である事を認識できずにいた。
 逸る気持ちを抑えながらそれでも早足で玄関に向かうと、深呼吸を一回してから声を出した。
「どちら様ですか?」
「藤原と申します・・・・・・」
「ただいま開けますので、お待ちください」
 施錠を外し、ドアが開かれる。そして、一人の女性が立っていた。
「・・・・・・」
 思わず言葉を失ってしまった。
 そこに居たのは写真たての中で微笑む女性だったのである。あの写真はもう何十年も前のものだというのに、彼女は変わらない姿のまま僕の前に立っている。
「あ、あの・・・・・・貴女は藤原貴子さんですか?」
 言葉を詰まらせながら問いただす。
「えっ? えっと、貴子は母で、私は娘の頌子です。昨晩母が倒れてしまって、私が代理で来たのです」
「そ、そうなんですか。あっ、とりあえず中へどうぞ」
 とりあえず応接室に通しておいてからお茶の準備をした。
 ティーセットを持って応接室に戻ると、自分も座る。
 静寂が室内を制圧し、お互いに言葉を出せずにいる。
 貴子の娘を名乗る女性。それが本当ならば聞きたい事、いや聞かなければならない事が沢山ある。
「初めまして。藤原頌子と言います」
 静寂を先に破ったのは頌子の方だった。
「僕は石井貴司です。本日は父の焼香に来て頂き、ありがとうございます」
 これは運命と呼ぶべき出来事なのだろうか。それともただの偶然なのだろうか。
 かつて、思いを抱きながら違う生き方を選んだ二人。その子供がこうやって出会ってしまった。
 二人の間には、かつて僕の父義久が頌子の母貴子に渡せなかった手紙があり、静かに時を待っているように思える貴司だった・・・・・・。

(以上執筆者:亜村秀一