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投稿時間:2002/09/01(Sun) 01:21
投稿者名:咲花@管理人
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特集終了について
 3ヶ月…半年と思っている間に、だらだらと11ヶ月続けてしまいました。どこかで引かなければいけないので、8月末日をもって終了させていただきます。
 ホームページのマンガリスト・アクセスランキングではかなり長い間1位を保っていたのですが、とうとう2位に陥落してしまいました。
 最終巻が発売されてからも一年。そういった意味などでもそろそろ引きどきかと思います。
 
 ところで萩尾望都の特集を、というのは以前からたびたびあがっていたのですが、著名な作品の数が意外と多いためにある程度準備をしないとやはり特集はできなさそうです。
 とりあえず、これだけでも大作なので、今回は一作品のみの特集としてみました。訪問者が多いわりには、意見が少なかったような気がします。それでも少しでもお役に立てましたなら幸いです。

投稿時間:2002/07/18(Thu) 20:31
投稿者名:ぽとふ
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残酷なラスト
すごい遅ればせながらラストを読みました。
近所の本屋(3軒くらいあるどの店も)最終巻を
置いてなくて、一人で勝手に「・・・入院?」とか
思ってました。よかった、でてて。

こういう掲示板の感想&解説をよんでいると、最初の
読後感がどんどん形を変えてきて、
改めてその深さを感じました。ので調子に乗って
初めての書き込み。
(人様のHPに書き込むこと自体人生初。)

☆サンドラについて
 管理人さんの最後のコメント、「サンドラは虐待には気づいていなかった」
というくだりなんですが、「え!?」と思った人は少なくなかったんじゃないかと思います。
コメントを相当ウキウキ読んだ私も、この部分にだけは相槌をうてなかったです。
否定するものではないです。その心には賛成です。
ただ、厳密にいうとちょっと違うのではないかと。
 サンドラは、虐待の事実を知っていました。知っていて、その心の弱さのために
気づいていないことにしてしまった。サンドラはジェルミを見殺しにしたのです。
そのためにジェルミは愛を決定的に見失うわけですから、これは大前提だとおもいます。
心の弱さのために息子を振り回し、見殺しにするサンドラ。
確かにそれがサンドラですが、けれどもそれが100%じゃない。
 だれの母親でもそうでしょう、こいつ、なんて自分勝手で愚かで矮小な人間なんだ!と
青ざめることもあれば、菩薩のようにみえることもあるでしょう。
自分を根本的なところで守ってくれるのも苦しめるのも母親で、
そんな矛盾を平気で併せ持っちゃう宇宙が母親だと思います。
 サンドラもそうです。サンドラもまた、菩薩でもあるのです。
テーマがジェルミの心の傷ですから、サンドラの菩薩面は出来るだけ
表にでないように描かれていますが、確かにそのサインは最終巻の前にも
ありました。ナターシャにジェルミのことを振られてポットを落としてしまうサンドラ。
その後サンドラはグレッグとのセックスを拒むようになります。
この火傷の苦しみは、サンドラの母親としての苦しみを暗に含んでいるとは読めないでしょうか。
また、クリスマスの日サンドラはグレッグの車に「話があるの」といって乗り込んでいます。
さらりと描かれていますが、ここ、なにも「話がある」なんて含みの有る言い方じゃなくてもいい
訳です。「送っていくわ」でもなんでも。そのまま帰らぬ人となって、結局闇に消えてしまう
サンドラの「話」とは一体何だったんでしょうか。
 あぁ、「え〜・・・」って言う声がちょっと聞こえる・・。「それは深読みしすぎじゃないの」って。
いや、弱気を振り払って、私は主張します、
サンドラの母親としての愛情は、それとわからないようにわざとひっそりと描かれ、
そして、ラストのキスで大逆転するのだと。
母親とは、なんとふてぶてしくて、そしてダイナミックなのかと。

☆残酷なラスト
・・・すいません、こっちが本題だったんですけどまたの機会に。
長くなってしまってすみません。
読んでくださった方、ありがとうございました。
また、書かせてください。

投稿時間:2002/07/22(Mon) 23:27
投稿者名:咲花@管理人
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Re: 残酷なラスト
 どうぞ、書き込みはご自由に、お気になさらずどうぞ。

 いや、サンドラについては別に母親は菩薩である、なんて心情から、
ジェルミへの虐待を知らなかったと書いたわけではありません。
 ただ、あの残された日記を見ると、グレッグとジェルミは恋愛関係
だった、というふうにサンドラはとらえていたのではないかと読んだ
のです。2人は愛し合っていた、と。
 週末の夜毎の密会を繰り返していた。
 だからお手伝いがグレッグとジェルミとのキスをみて「できている」
という言い方をしたんだと思いますし、サンドラ自体もジェルミによく
似た秘書(だったかな?)を憎んだんだと思います。
 グレッグがジェルミを愛するあまり、ジェルミがグレッグとの夜を
すごせないとサンドラへ八つ当たりする、だからジェルミにきちんと
帰って来てほしい。話がある、といったサンドラの話とは、その恋敵
であるジェルミをアメリカに帰す、という話だったのかもしれないで
すし。
 確かにサンドラの日記の中には、ジェルミとの関係を知っていた
くだりが出てきます。でも、虐待だと把握した事実は書かれていま
せんよね、確か。最後の「ぼくはあの男と寝ていました」といって
いるのであって、「あの男に虐待されていました」ではないです。
 
 我々は、作家と一緒にいわゆる「神の視点」で世界を見ています。
作家が紹介する限りでは何もかも知っているのです。でも、登場人物
たちそれぞれは、それぞれの視点からしか世界は見えませんし、それ
ぞれの主観で判断します。
 ジェルミはサンドラの日記をみて思わず虐待まで知っていた、と
思い、我々もまた、その語りの罠にはめられて、そう思ってしまいます。
 でもよく読んでみれば、違うのではないでしょうか。

投稿時間:2002/08/07(Wed) 03:11
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Re: 残酷なラスト
このサンドラのグレッグへの話の個人的会見をしたいと思います。

サンドラはジェルミとグレッグの異常な関係を知ったとき、
自分の弱さによって虐待などの『ありのままを見ること』ができず、
捻じ曲げられたサンドラの思考は
“ジェルミがグレッグを取っている、私の幸せを奪おうとしているのだ”という考えだけに達します。

彼女はジェルミとグレッグに執拗なまでにジェルミのボストン行きを奨めています。
それはグレッグからジェルミを少しでも引き離したかったからで、一度ジェルミをボストンに帰せば、きっとジェルミはボストンが恋しくてイギリスを出たいと言うだろうし、さらにグレッグもその間に自分のことを見てくれてまた出会った頃のようになってくれるはず・・・、という思いからだと思います。

作中、彼女がボストンへジェルミを帰す事を切り出す時の彼女の必死さが普通ではないんです。

彼女はあの朝もやはりグレッグに執拗にたとえ冬休みが始まってしまっている今からでもいいからジェルミをボストンに行かせようと言っています。きっと冬休みに入ってからも一向に続いているグレッグとジェルミの関係があることを知った上でしょう。彼女も一刻も早くジェルミをイギリス、ひいてはグレッグの元から引き離そうと随分焦っており、朝言ってもそっけない態度のグレッグに痺れを切らしての行動でしょう。

「話がある」

私はこの言葉は以上のサンドラから出た言葉だと認識、確信しています。つまり簡単に言えばこの『話』とはジェルミのボストン行きの話であり、グレッグを自分のもとへと帰ってこさせようとして出たサンドラの行動かと思われます。

是非、はい?と思われたお方は初めからサンドラが死ぬあの朝までを読み返してみてください。少しサンドラへの何気ないボストン行きについての発言の時の表情などがまた少し変わって見えると思います。

・・・・違うかもしれませんけど(ここまできて弱気

投稿時間:2002/04/27(Sat) 22:46
投稿者名:咲花@管理人
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意外と知られていない「背景」
 もしかしたら、「残酷な神が支配する」の中で描かれる人間性というもの、意外と知られていないのではないかと、一応フォローしておきます。
 この「残酷な神が支配する」という作品の中で描かれる、少し病的な人間関係の原因、境界例と自己愛の障害という、人格障害がわかっていないと理解しがたいかもしれません。全人口の5%とも言われていますが、その実態は明らかではありません。
 ネット上では、下のURLで比較的わかりやすく解説されていますし、また、参考文献などもあげられていますので、どうぞ。
http://homepage1.nifty.com/eggs/
 ちなみに吉野朔実「ジュリエットの卵」「ECCENTRICS」も同じテーマを取り扱っていますが、やはり書く人が違うのと、テーマが違うためにまったく違う作品になっています。でも、最後に似たようなモチーフが出てくるので、なるほどと思うのではないでしょうか。

 ちなみに作品解説の中でも書いたように思うのですが、読者が読んでいるのは作品を、書いている作者と同じに把握できる視点にいるということ、サンドラとイアンは、作中人物であるため、その視点から見ることはできなかったのだということ、改めてお断りしておきます。

投稿時間:2002/04/26(Fri) 01:13
投稿者名:はる
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作品としてどうとか
はじめまして。
残酷な神が支配するの掲示板があるとは、
いやはや嬉しい限りです。

私はこの作品を「よくできたお話」だとは思っていません。
ポーの一族などのような「物語」ではなくて、
人間の叫び、嘆き、祈りなどをそのまま切り取ったものであると
認識しています。(多少美しく見せる処理はしているのでしょうが)

私たちの身の上に起こる悲しいことは、
戯曲のように美しいでしょうか。
私、悲しみってものが一番しんどいです。わかりにくくて。
対処法がわかんないのです。
自分が悪かったのならいい。自分を責めればカタがつく。
そうでない、外的な理由で悲しいことが起こったとき、
どう説明をつけたらいい?悲しみをどこへ向ければいい?

やりきれない連鎖を描くのに、無駄な描写なんかあるのでしょうか。
いろんな人に悲しみがあること、描いてあるんだと思いますよ。

私も何度も読みましたが、これからも繰り返し読んで、
悲しみとその先についてよく考えたいと思います。

投稿時間:2002/04/26(Fri) 15:58
投稿者名:咲花@管理人
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「よくできたお話」です。
 たとえそれが事実を元にしたものでも、完全にフィクションでないというのはありえません。ましてこの作品は、フィクションです。
 物語の中には起承転結ある物語らしい物語もあれば、日常を切り取ってみせた物語もあり、作品を作る上でそのジャンルや描き方に決まりごとなどありません。
 優秀な作品であればあるほど、我々を自由にしてくれます。 
 自由にしてくれるとは、現実のしがらみを一瞬たりとも忘れてさせてくれる強さのあるものです。
 そのために「物語」や「作り物」を感じる度合いが強ければ強いだけ、作品の質が下がる、ということであり、
>人間の叫び、嘆き、祈りなどをそのまま切り取ったものであると認識しています
と、あなたに感じさせた時点で、萩尾はたいへん「作品づくり」に成功しているといえるでしょう。
 また、そう感じさせるだけの作品に仕上げるのは、筋そのものだけでなく、彼女のもつ作家としてのテクニックも大きな原因があるのです。誰でもかけるなら、萩尾の名を掲げる必要もなく、彼女の才能を論じる必要もないということです。

 ちなみに、「フィクション」の中では基本的に「無駄な」描写というのはありません。なぜならそれはフィクションだからです。
 「作品」というものをどのように認識していらっしゃるかはわかりませんが、そういうものです。ちなみに、こういうふうにとらえて論じるのが、評論というものです(笑)。

投稿時間:2001/12/06(Thu) 22:09
投稿者名:向山
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重いテーマでした。
始めまして。
 13才の時から読み始めて5年です。
日々、友人に萩尾作品を布教中(笑)。
 
 正直言って、この作品を初めて読んだとき
ENDマークが付けられるんだろうか・・と思いました。
モー様の筆力を疑うなんて、失礼もいいとこで、ファンとしては噴飯ものですが。でもその時、性的虐待についての心理学系の本を読んでいたのです。
 傷つくこと、傷つけること・・助けたいと思うこと・・
どこまでジェルミの心を描けるのか、そして、再生への希望をどうやって見つけさせるのか。しかしわたしは、最終巻の終わりに書き手としての精一杯の誠実さが現れていると思いました。安易な終わりに走らないところ、それでいて幻想的な画面で、どろどろした作品世界のショックを和らげてくれるところ・・と。
 
 全体的には深刻すぎて感情移入が出来ず、結局最後まで傍観者として読んでしまいました。しかし、そんな風に読ませるのが狙いだった様な気もします。人と人との間には絶対的な溝があって、他人を理解するのも愛するのも
とても難しく大変なことで、みんな独りよがりに叫んでるだけじゃないのか、本当は誰かのことを知っているつもりになっているだけじゃないのか。こう問いかけられているような気がしたからです。
・・文句ばっかり言ってるようですが、モー様が大好きです。
 でもやっぱり、残神よりは「メッシュ」が好みでした。






 

投稿時間:2001/11/28(Wed) 21:45
投稿者名:姫島サイコ
Eメール:sayasuzuki@nifty.com
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モー様の・・
こんにちは、私は中2の女の子です!
母上がモー様のファンだったので受け継がれるように好きになりました。
今回、『残酷な神が支配する』は、友達がすすめてくれ、読む事が
できました。お姉ちゃんに見せたら、「絵が古い!!」などと言って
いました。しかし、連載してた年を見ると、99年とか、とても新しい
のでお姉ちゃんは「昔描いたのを今出してる」といってました。
私的に『ポーの一族』ぐらいのが絵が新しいと思ってました。
一体なんでこんなにも変わってしまったのでしょうか?

それにしても『残神』の終わり方がよく分からない・・・。
ホントにあれで・・?
なんだか後味のよくはない最後でした・・・。もっとラブラブとか
あればよかったのになっ。
でも私、最後まで泣きながら読みました。
とても(?)いい話でした。またこんなのが読みたいです。

投稿時間:2001/11/30(Fri) 11:14
投稿者名:飯塚
Eメール:octray@hotmail.com
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Re: モー様の・・
中2ですか!しかも萩尾作品を他にもたくさん読んでいるんですね。
確かに「ポー」の頃の絵の方が、きれいだと思います。だけど、長年(ん?20年以上前から?)読んでいる身としては、かえって「残酷…」の絵の方が新しく感じるんですよ。今風というか。

終わり方については、本当に、読む人それぞれで賛否両論。
私も初めてラストを読んだときは、気が抜けた、っていうか、他にもあるんじゃないの、ってカンジでしたけど、今はあれでいいんだと思ってます。
(この前にあるカキコミを読んでいただければ…)
ラブラブにならないのは、この作品が決してボーイズものではないから。
(ちょっと論点がズレていたら、ごめんなさい)
ラブラブになれない愛もあるのだと。ならないからこそ、純粋な愛もあるのだと。そんなふうに思ってます。

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