コメント:だいたい少女マンガというものは、恋の成就や結婚がゴールインであることが多い。
にも関わらず、「小春びより」では、小春と環さまは早々に結婚してしまって、ラブラブなまま二年三年と過ごし、様々な苦境に立ち向かって行く。
その置かれた苦境の設定もさながら、立ち向かって行く方法とガッツが、いかにも神坂のつくったものらしく、初期神坂キャラで、既にその撃たれ強さが描かれているといえるかもしれない。
しかしこうした神坂の「市井もの」(注 SFもの等に対して)では、「そんな馬鹿な」な事件が起こり、思わぬ方向に展開していくことが多いが、「小春びより」では、言葉の行き違いによる「そんな馬鹿な」が多いような気がするのは私だけだろうか。言葉の行き違いだけでなく、割とみんな思い込みが激しいし、「はっきり言えばよかったのに」とか、「きけばよかったのに」とかいう、言葉足らずで、事件は展開しているようでもあるのだ。
どちらにせよ、「明るくドキドキして」よめる神坂テイストのたっぷりきいた作品であるのには、間違いない。
「小春びより」自体は、おそらく無名の神坂を最初に有名にした作品であろうと思う。この後の動向としては、白泉社だけでなく、発表の場を他に移して、傑作「T.E.ロレンス」(新書館)や「蒼のマハラジャ」(角川書店)などの大作を生み、あるいは、最初の方はまだまだ同人「作画グループ」の影響が強かった「シルクロード・シリーズ」も軌道にのせ、それぞれのファンを獲得していった。
その「いの一番」的作品が「小春びより」というのは、なんだか当たりさわりのない題材をまずやった、という感じで、樹なつみの「いの一番」が「マルチェロ物語」だったのと同様、出した後の反応をみて、作者は「こりゃいけるぞ」と、マンガ家としての自分の力量を確信していったのではないかと思ってみたりもする。
後「小春びより」そのものは、白泉社からの刊行は四巻でストップし、しばらく間をおいて、角川書店でその娘たちとのストーリー「春・夏・秋・冬」(全二巻)、「ぽてとびより」「娘びより」と刊行されていった。「ASUKA」創刊初期メンバーに加わっていたわけであるが、神坂の他の大河ドラマを知らない人には、少しふぬけた感じがして印象が薄かったかもしれない。が、大河ドラマ的なものが主流の神坂作品群の中にあってこういうものを読んでみると、なかなか味があってよろしいのだ。
でも、今の私が読んでいて、一番共感できるのは、環と小春、この二人に「金がない」ということだった。その「金がない」状況をなんとかクリアしていく二人の闘いがまた痛快で、要するに「金がない」から「金を探す」のが事件の原因であり、そこに絡んだ人間が、次の展開を運んで行くのだ。そりゃ、主人公である小春は、ストーリーの大半が「主婦」だけれども、主婦に絡まないところまで「金」がキーワードになって動いているし、考えてみれば、小春が環と出会ったのも、店の資金を得たいがために、おてんばな娘の結婚話をまとめようと父親が矢矧家に行儀見習に行かせたのがきっかけだったのだ。(C)少女マンガ名作選
「金がない」をキーワードに「小春びより」を神坂が作っていったのかどうかは、私は知らない。でも、後の「蒼のマハラジャ」を読む限りは、意外と神坂はこういう方面に得意なのではないかと思ってもみる。
どちらにせよ、この「金がない」というネタが、かなり身近に感じられて、アクションものにはないスリルというかドキドキ感を生んでいるのも確かかもしれない。
しかし、環さまって、今見てみると、ハンサムだし、背は高いし、頭はいいし、頑張り屋だし、小春を一途に愛して、しかも妻がその支度ができないと明治という時代なのに「夕飯まで作ってくれる」(←これが大きい!!)。優しい。
いい男だよなあ、考えてみればこんな男いないよなあ、と読み返していて、今ごろ気付いた。