咲花倉庫少女マンガ名作選特集・神坂智子

担当者:咲花圭良  作成日:2001/10/04

作  品

シルクロードシリーズ

コミックス(初 版)

・はるかなるシルクロード(1981/10/25)、風とビードロ(1982/10/25)
宇宙ゆく帆船(1983/9/24)、姫君の塔―クルグスカン―(1984/9/22)、
ゾマの祭り(1985/4/25)、砂漠幻想(1986/2/25)、
巻き毛のカムシン(1986/5/25)、ヘディンの手帳(1987/9/25)、
雪の朝―ホワイトカングリ―(1988/9/25)、欠けたもの満ちるもの(1989/10/25)、永遠を見る娘(1990/12/25)
以上刊行順、すべて花とゆめコミックス白泉社

・風の輪・時の和・砂の環(1984/4/10)、カレーズ(1986/5/10)
以上刊行順、ウイングスコミックス(新書館)

・角川書店より上記のものをまとめた完全版(全6巻)が1995〜96年ASUKA COMICS DXで刊行された。

初  出

1981年花とゆめ2月大増刊号に「はるかなるシルクロード」を発表して以来、主に花とゆめ、花とゆめEPOを中心として1990年まで断続的に発表、また1982〜84年の間に新書館「WINGS」で「カレーズ」シリーズを発表している。

あらすじと設定:橘真之は、陶芸家の父が使う良質の粘土を求めて山中に迷い込み、その山中の村で一人の少女と出会った。少女は詩織といい、日本語を話し本人も日本人だというのだが、金髪に白い肌、翠の目を持っていた。その少女は村の中では「おシラさま」と呼ばれ、病人を治癒し、ものを見通すという不思議な力も持っていた。しかも真之が調べるうちに、おシラさまと呼ばれる超能力者はこの村に代々生まれ、「織」という字をあてられて、みんな二十歳までにはなくなっていたらしい。
 しかし、詩織だけがこれまでのおシラさまとはどこか違っていた。その詩織の秘密を知った真之を詩織の祖母が殺そうとしたとき、彼を助けようとして詩織は「覚醒」したのだ。「我らの長よ」という声とともにきこえる鈴の音、地まで伸びる髪。そこで、祖母は、その家「天池」にだけ残る申し伝えを告げるのだった。「選ばれてその鈴の音に導かれるものは地上に金の髪を下ろし海を越えて十人となる」と。今までおシラさまと呼ばれる子供は、力をもてあまして成人前には村人によって始末されたが、その子供だけは死なせてはならないという申し伝え――その申し伝えによって殺してはならない子供、それが詩織だというのだ。
 祖母に逃げろといわれた詩織は、真之とともに村を脱出、東京へと戻った。そこで、詩織はシルクロード、タクラマカン砂漠の西、天山山脈の写真にひどく反応する。そこが詩織の真の故郷かもしれないと、真之と詩織はウイグル地区へと旅立った。
 すると、ウイグル地区には詩織の名字「天池」と同名の湖があり、そこに竜が降りてくるという伝説があるという。二人ででかけてみると、ウイグルの僧に出会い、シルクロードを越える旅人をオアシスへと導く神に詩織がそっくりだというのだ。
 とたんに詩織の姿が消えた。彼女は、同じような金髪に翠の目を持つ九人の神――テングリに「長」として迎えられる。長ははるか昔、自身の予感通りに消えた。九人は、長がいなければ、本来の力を発揮できず、日本に流れたことはわかっていたが、探すことも迎えにいくこともかなわず、長自らが帰ってくる日を待っていたのだという。かくて、詩織は十人目となって迎えられ、天山山脈で十人の神がそろい、活躍することになる。(以上「はるかなるシルクロード」より)執筆者・咲花圭良

 この超常能力をもつ十人の不死の神は、一度地球上で人類が滅亡する前に生まれた子供で、滅亡時、数人がカプセルによって眠りにつき、五十万年前、地球が安全な環境に戻ったあと目覚めたが、環境の変化で大勢のものは退化して原人となった中、その十人のみが神としての力を身に付けたのだった。
 シルクロードシリーズは、詩織を入れた十人の時代、未来、そして九人の頃の過去で、シルクロードの土地、なかでも水(井戸・水・湖)にまつわる人々のエピソードにかかわりながらオムニバスとして展開されるストーリー群と、この十人の神とは直接かかわりをもたない、シルクロードでの不思議なストーリー、ゾマの祭りなどで構成されている。

コメント:十年に及んで断続的に続けられたシリーズだけあって、神坂自身の絵柄もストーリーの作り方もシリーズ全体では初期から終盤にかけて大きな変化が見られる。シルクロードシリーズだけを単独で読んでみるのもいいが、このシリーズと並行してどんな作品が描かれていたか、と思いながら読んでみると、またいっそうの深みがあるかもしれない。
 とりあえず、シリーズ始めの、コミックスで二巻分に相当する部分は、いわゆる神坂が属した同人誌「作画グループ」色が色濃く出ているのに対し、シリーズが進むにつれて、どこかに『小春日和』『ドイツ日和』『T.E.ロレンス』の雰囲気を漂わせながら描かれていく。つまりは、最初はSF的色彩が濃かったのに、そこからレトロな感覚に移って、砂漠の色、現地伝説色が濃くなり、シリーズ後半は人間ドラマの色彩が濃くなっているといった感じだろうか。
 私自身は、この砂漠の国の人間ドラマが強くなる、コミックス五巻目「砂漠幻想」あたりの作品からが好きである。正直言って、シルクロードシリーズの初期は、作品の中枢となって動かしていく十人のテングリ(神)の設定を理解するためには、必要なのだが、読まなくてもまったく問題はないようにも思う。第一、このテングリがそろうまでのエピソードに相当する部分は、「ちょっとこの展開は強引なのでは…」「この設定には無理があるのでは…」という箇所がなきにしもあらずなのだ。そんなトントン拍子に話が運ぶのか(当時としては枚数の限られた中であったし、当時の周囲の作風が許したのだろうけど)とか、長が死んだり子孫が残ったり変じゃないか?とか、もしそれなら、十人ばらばらになったら、不老不死も終わるのでは?とか考えてしまう。早い話が、初期神坂作品の設定の甘さを感じずにはいられない。
 が、シルクロードシリーズというのは、このテングリの設定に目をつむれば、何とか読みこなせる代物であるし、一つ一つの短編として読めば、一度読めば忘れられなくなる秀作、あるいは、一度読むと記憶に残ってしまう画がそこかしこに存在する。
 おそらくシルクロードシリーズ自体、最初作ったときには、あれほど長くなる予定ではなかったろうと思う。テングリが生まれるまでの、一度人類が滅亡する前の世代にまつわるエピソードが終わったあたりから、作者神坂が他の作品を描いているうちに描きたくなった、あるいは砂漠を歩くうちに描きたくなって描いた作品、というのが圧倒だろう。十人のテングリあるいは、シルクロードにまつわる不思議という設定を準備しておいて、順々に気が向くままに作品を描いていったという感じだったのではないだろうか。連載されたシリーズではないから、連載ものの気負いもなく、十年にわたって描かれているので絵も描き方も最初と最後を見ると比べ物にならないほどに変わっていて、その分、神坂智子の作家としての成長、作家としての歴史を見るようで興味深い。

 私自身は特に『T.E.―』を描いていたのと並行して書かれた頃の作品が好きで、亡国の自殺を図る娘を思わず助け、その瞳になき母のおもかげを見たテングリの長のストーリー「聖者の泉」や、国外持ち出し禁止の繭を、愛の証に国外に持ち出す漢王朝の姫のエピソードを描く「金の髪・金の繭」、モンゴル・タングートの遺された財宝とテングリのチビ長との交流を描く「黒水城の魔女」、あるいは「巻き毛のカムシン」「波斯の井戸」などが、ちょうどシルクロードシリーズに出会ったのも、このあたりの作品だったのもあって、思い入れも深くて気にいっている。
 どちらかというと、そういった時期の作品の登場人物たちはあまり幸福にはならないし、中でも心に残るような秀作の中にはアンハッピーエンドの作品が多いように思う。それもその秀作陣は、神坂独特の毒気のでているもので、人間の欲や身勝手さや、初期には見られない、計算された偶然などが招く悲劇がそこかしこでストーリーを運んでいき、「あ」と思うラストへと導かれて、彼女独特の人間ドラマを短編で楽しむには、格好のテキストであろうと思う。(C)少女マンガ名作選

 残念ながら、シルクロードシリーズは、この原稿を書いている現在、新刊で手に入れるのは難しい。難しい分、古本で手に入れるのなら、できれば、最初から順に読もうとせずに、上記にあるような中期頃のものから読まれることをお勧めする。
 中盤作品あたりから読み継いでいくうちに、どこか不思議な空気の中で、死と永遠を問い続けながら、終わりがあるから何かのために生き、また、命はいとしいのだろうかとも思いたくなってくる。ただ描くことから、何かの答えを求めつつ、かけぬけたような、そんなシルクロードシリーズ。
 一気に読む必要もない、どこかで、どれかを手に入れられれば、ゆっくりと、一つ、また一つと味わっていただきたい。

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