コメント:だいたいにしてひかわきょうこの描く男の子というのは、女の子がちんちくりんに比して、かっこよすぎる。これが本当に十七才なのか、十七才の体なのか、とちょっと大人になった今ではつっこみの一つや二つ入れたくなるが、でも考えてみたら少女マンガの世界では、こういうキャラクターの男の子というのは実は「常道」以外の何ものでもなかったりする。でもさらによく考えてみたら、洋画で登場する若い男の子でも(役者の実年齢ではなく設定で)、「スター・ウオ―ズ」しかり、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」しかり、「タイタニック」しかり、観客に「ほら、みんな現実に戻って」と言いたくなるようなキャラクターばかりだから、物語を作る上では、本当はなくてはならない要素なのかもしれない。
個人的には、ひかわきょうこの作品では、古くから読んでいる人はみな同様だと思う、「春を待つころ」「パステル気分」「銀色絵本」(各一巻・全白泉社)の千津美と藤臣くんシリーズが、優しくてコミカルに笑えるので好きなのだけれども、もし「入門・ひかわきょうこ」で読むとするならば、やはりこの「荒野の天使ども」かもしれない。
ひかわきょうこを知らない人で「荒野の天使ども」というタイトルをきくと、どうも劇画タッチの恐いお兄さんが山のように登場する話のように思われそうだけれども、そんなことはなく、やはり優しい絵柄のしっかり少女マンガである。少女マンガでありながら、西部劇としても違和感なく読めてしまう、このドラマ性とエンターテイメント性、時には洋画にもない文学性まで感じさせてしまうところが、やはり少女マンガのすごいところであり、ひかわきょうこなどはその典型的な作家の一人なのだろうなどと考えてしまう。
先にも上げた通り、「荒野の天使ども」は西部劇を基底としたマンガである。「少女マンガに西部劇!?」なんて、少女マンガ界をよく知らない人の世迷いごとはこの際書かないけれども、ただこの「荒野の天使ども」の面白いところは、「西部劇」特有のヒロインらしいヒロインが登場せず(敢えていうならグレースか?)、少年や青年が山のように登場する中で、舞台を切りまわしているのが、ほとんど天才といってもいい、八才の少女ミリアム・トッドであることだろう。それが意外性を兼ね備えた面白さを生んでいて、だから余計、西部劇なのに、西部劇のにおいがしない。しかも、ヒーローたちは時として女装までしてしまうし、コブタのウィリーまでが一役買ってしまう。つまり、少女マンガ特有の良さがきいていて、でも、西部劇設定の面白さもちゃんとある。
あくまでも、「少女マンガ家ひかわきょうこワールド」なのだ。
荒野の男たちというのは、たいてい孤独である。
流れ者で身内のいない、ダグラス、ジョエル、カードの三人も確かに孤独のはずである。映画なら、孤独を孤独としてかっこよく作り上げてしまう、あるいは書かないのが魅力であるけれども、このストーリーでは、孤独を孤独として書き、その孤独から救ってしまうというところが魅力であるかもしれない。
天才少女ミレアムさえも、旅の途中で賭博師でのんだくれである父親に死なれ、グレースの元にひきとられた。そのグレースさえも、父に死に別れて孤独の身である。そこに身よりのない十七歳の少年たちが入り込んでくる。いわゆる「似たもの同士」が一つ屋根の下で暮らしはじめ、ウエルズタウンの権力者、いうなれば悪役のハレンバーグたちからの手から逃がれようと協力しあうわけである。最初はなりゆきではじまったことだし、面倒になって逃げ出そうと思えばいつでも逃げ出せる。しかも協力しあう彼らに何の契約もなければ利益もない。でも、結局、彼らは協力しあうようになってしまう。そのどうしようもない理由が、「お前がすきなんだよ」という「正直な気持ち」であり、しかもそれが、それぞれを助けに走らせ、孤独を癒す手段になっているのだ。
そこが、「荒野の『天使』ども」とタイトルされるゆえんであるかもしれない。
八十年代の少女マンガの主人公たちは、いつもどこか孤独である。孤独でありながら、孤独に気付かず、誰かとの絆が生まれることによって、自分がどれだけ孤独であったのかを思い知り、それが癒されたというものが多い。このテンポのいい西部劇ストーリーの中でも、ダグラスの孤独、ミレアムの孤独が描かれているが、それがとても繊細で、優しいタッチで描かれているのがいかにもひかわきょうこらしいと私は思う。西部劇ストーリーもよろしいが、彼らのそういう心理、また、その心理が時としてストーリーそのものを動かす原動力になっていて、私などは上手い、と思ってしまうのだが、その上手ささえ感じさせないのがまた実に上手い。
だからみなさまには、そんな技巧は心の隅にとどめるだけにしておいて、どうぞストーリーを楽しんで、ホロリとなったり、爽快感を味わったりしていただきたいのである。
そして、この話には、八才のミレアム、十七才のダグラスが、それぞれ十七才、二十六才になった時の物語「時間をとめて待っていて」がある。「時間をとめて待っていて」ほしいのはミレアムの方だが、子供の時からミレアムを知っているダグラスには、ミレアムを一人の女性として見ることができない。そこにミレアムがある日事件で記憶を失って、ダグラスのミレアム観に変化をもたらすというストーリーである。ラブ・ストーリーとしてだけでも実においしい設定であるけれども、西部劇として読んでもぬかりないので、お勧めである。