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少女の成長を、洋館に越してきた人々との関わりを通して描いた作品。第二次世界大戦前後という時代背景と田舎の洋館という舞台、素直に育っていく普通の少女りよと洋館の曰くありげな住人たち、そのコントラストが絶妙だ。
作品自体は「白い風」「白い花」「白い火」の3部構成になっている。それぞれ、りよが五歳の時、高校生の頃、二十歳の頃の話だが、りよの成長につれて、エピソードもそのテーマも深みを増していく。
洋館の住人たちは、どのエピソードでも暗い影を背負っている。「白い風」の異国人は、自分の為に洋館を建てて待っていてくれた友人の死に間に合わなかった。主亡き洋館に来たものの、すぐに帰国して自分自身も戦争に行かなくてはならない。「白い花」の二人の青年の関係は、りよには理解し難いものだった。りよは虐待に耐える志鶴に同情したものの、本当にやるせない立場だったのは志鶴と栄のどちらだったのか。そして最後の「白い火」。事実を伝えられても、それを認める事と認めない事の違いは、いったいどれだけのものなのか。事実を受け入れた往年の大女優は、深い悲しみの淵に落ちる。その描写の迫力に押される。このシーンのために物語は進み、作られたと思えるくらいだ。
単に一人の少女の成長を描きたかった訳ではないだろう。りよは主人公なのだが、むしろ読み手と一緒に洋館の住人たちを眺めているオブザーバーのようでもある。洋館の住人たちを主人公にした話が最初にあって、それをこんな形で組み立てたのかと思われる。それは大きな成功を収めている。確かに、りよの存在抜きで3つのエピソードをそれぞれ独立させて発展させても結構面白い話が出来たとは思われるのだが、この構成がいい。それぞれの物語の全てを語らずに、りよと言う少女の目を通して垣間見る彼らの世界は、どこか神秘的でさえある。その効果を考えた上での構成なのかも知れない。しかもこれだけの内容を持ちながら、実はこの作品は50ページしかない。きっと作者は頭を悩ませて、創意工夫の結果、どうにか与えられたページ内に納めたのだろう。
創意工夫したのは構成だけではない。最初にも書いたが、時代背景と舞台、普通の少女と一癖も二癖もある洋館の住人たち、このコントラスト、このアンバランスとも思われる設定が、作品全体に漂う「はかなさ」を増している。昭和初期の片田舎の洋館で繰り広げられるその住人たちの悲しい物語は、まるで夢のようだ。それを見ている一人の少女は、現実世界と夢の世界を行き来しているかのようだ。その時々の少女の感受性――五歳の感受性、思春期の感受性、大人の感受性で夢の住人たちと出会い、彼らを理解しようとする。その一方、彼女の現実では、両親が死に、その後自分を育ててくれた家の息子との縁談が持ち上がってくる。最後には現実世界につながれ、きっとごく普通の生活を送るであろう事が示唆される。夢と現実のコントラスト、しかし、夢の中にこそ更に厳しい現実、人生の真実が隠されている。
だが、それらは主人公自身が経験したものではないのだ。全ては木蓮の白い花がいざなった「物語」にすぎない。
花郁の作品には、はかなさが漂う。端正で日本風な絵柄と色使いは、美しいのだが石膏像のようなひやりとした感じを与える。物語には死の影が見え隠れする。花郁は二十六歳の若さで夭逝した。デビューしてから5年弱の年月しか活躍できなかった。自分自身の死を感じていたとは思えないが、この事実が、彼女の作品の印象に与える影響を否めないだろう。(C)少女マンガ名作選
実は私は、漫画文庫で初めてこの人の作品を読んだ。文庫が出なかったら読む事は出来なかっただろう。読む事が出来て良かった、と思っている。そして彼女があまりの若さでこの世を去ってしまった事が残念だ。遺された作品のジャンルは、能をテーマにしたもの、SF等、多様で、今でも活躍していたら、どんな作品を描いていたのだろう。
現在、文庫は5冊出ている。年代順の編集ではなく、ジャンル別になっている。最初に出たのが、今回紹介した「白木蓮抄」だ。他にSFファンタジーを編集した「フェネラ」もお薦めだ。