少女マンガ名作選作品リスト

担当者:咲花圭良  作成日:2000/06/19

作 品

前略・ミルクハウス

作 者

川原由美子

コミックス

フラワー・コミックス(小学館・全10巻)

初 版

1 1983/11/20 2 1984/4/20 3 7/20 4 9/20 5 12/20 6 1985/4/20 7 10/20 8 1986/1/20 9 1986/4/20 10 9/20

初 出

別冊少女コミック1983年3月号より連載

登場人物:菊川涼音(ミルクハウスの主)、松本芹香(美大生・北海道出身)、安原藤(涼音いとこ)、橋本水城(ジャズ歌手)、吉川勇、吉川(大学教授・勇の父)、田代貴之(藤の高校の先輩)、やよい(藤のクラスメイト)、松本卓美(芹香弟)、木本尚美、竹原結衣、芳野道治、須賀雄作、槙原さやか、他

あらすじ:その日北海道から大学進学で東京に出てきた芹香は、天気がいいので、大学近くの住宅街をぶらぶらとしていた。そこへ、赤い屋根の大きな洋館に行きつき、家の前で、日本人形のように美しい少女に遭遇する。少女は菊川涼音といい、その家の住人だった。芹香は涼音にお茶に誘われるが、今日は下宿探しのため、また後日と断ってその少女と別れると、下宿探しにでかけた。ところが、もう4月なので手に届く手ごろな物件がない。夕方になり、雨は降り出し、行くところもない芹香は、途方にくれる。雨宿りしていたところに、さきほどの美少女、涼音と偶然鉢合わせ(実はつけてきた)、雨宿りして途方にくれている原因を語ると、炊事をしてくれるなら、あまっている部屋をただで貸す、と持ちかけられた。(C)咲花圭良
 ところが家に入ってみると、同居人二人は、男子高校生(3年)で涼音のいとこ、藤と、そして美少女と思っていた涼音自身、本当は男だったのだ。
 男2人のところに住むかどうかで迷う芹香だったが、もともと「ミルクハウス」という下宿を営む予定だった涼音は、芹香が買い物途中で偶然であったジャズ歌手、水城(女)を下宿人に加えたために、芹香は4年間間借りすることに決め、また、元々間借りするはずだった涼音の父親の友人で、芹香と涼音の在籍する大学の教授・吉川とその息子勇が加わり、他人同士、六人の共同生活が始まった。
 やがて芹香の大学生活もはじまり、それぞれの恋や成長が複雑に絡み合いながら、話は展開される。

コメント: 川原由美子というと、昔は成田美名子と絵が似ていると言われた。
 絵のみならず、一つの家に他人同士が集まって、疑似家族のように生活する、という「前略・ミルクハウス」の設定は、「エイリアン通り」の設定にとてもよく似ている。
 しかし、設定が似ているものの、その中心にすえられた主題はずいぶん違っていて、「エイリアン…」は家族の愛と孤独についてだったが、「ミルクハウス」はどこまでも「恋」が主題になっている。
 また、絵もノリも前半は確かに成田の作風に良く似ているが、落ちついて考えてみると、ひかわきょうこの書くものにも似ている。「ファミリー」の初期にも似ている。少し遅れるが日渡早紀にも通じるものがある。…とすると、この時代、こういう描き方が、ただ単に流行っていただけかもしれない。
 実は大切な主題が後ろに控えているとき、軽いノリで相手(読者)をひきつけて、作品の中に引き込むというのは、一つの手法なのだけれども、この人たちがそれを意識してやったかどうか、というのは疑問である。が、とりあえず、川原も例を踏まえて前半はギャグでひきつけ、後半はシリアスに引き込んで行くという段階を踏んでいる。
 もう一つ付け加えるなら、この当時、下宿ものには「エイリアン…」やこの「ミルクハウス」だけでなく、既に作品リストに上がっている「麒麟館グラフィティ」、「めぞん一刻」などがあり、短編などを探せば、他にも出てくるかもしれない。が、それぞれに少しずつ描き出されるものが違っていて、お互いを殺さず主張しているあたり、やはり流石としか言い様がないのかもしれない。
 それぞれの違い、興味があるなら、一度読み比べを、お試しあれ。

 さて、この「ミルクハウス」、前半は馬鹿馬鹿しく笑わせて、どこにも真面目な恋愛さえないような気がするし、少女マンガを読みなれた者には、わりと見るエピソードだったりする。たぶん、少女マンガの世界では、幾つも書き継がれた一種のパターンのような雰囲気があるのだが、中盤以降から、やはりどこか見たエピソードなのに、何かが、違う。
 もしかしたら、全編通して、どこかが違うのかもしれない。
 そうだ、全編通してあるのは、「真面目な恋」ではなくても、「真面目な(時に純粋な)芹香の気持ち」があるのは確かなのだ。
 結局この話を読み終えたとき、何が残るかというと、その「真面目な(純粋な)」から描き出された、言葉にしがたい「せつなさ」が残るのだ。

 もしかしたら、自分が作品の中の登場人物と同世代の頃だったら、するんと読んでポイッと捨ててしまったかもしれない。ちらちらと、「オコサマと大人」な描きわけや口ぶりが目につき、それが十代では癇に障ったかもしれないし。 
 でも、今読むと、読んでいる間、今という時間を忘れて、心は19の日に戻ってしまう。
 結構「言葉で伝えることの大切さ」とか、なるほど、と実感を持って思ったりすることもポン、ポンと放り込まれていたりもする。
 そんな時代もあっただろうか、とか、そんなせつない気持ちもあっただろうか、とか、そんなノスタルジックな(ちと使うのはいやなのだが)現代風の青春が、そこには描かれていて、読んだ後に「しまった鏡を見るんじゃなかった」と思わせられるような、精神的な懐かしさに襲われるのだ。(C)少女マンガ名作選
 しかし、恋は、少女にのみ許された特権ではない。
 きっと二十代でも、三十代でも、はたまた四十代でも、きっと純粋に人を好きになれば、こんな「青い」気持ちに襲われるのだ。「青い」気持ちに襲われながら、「青いよなあ」と自分で笑いながら、それでもやっぱりやめられなかったりする。
 その時々を、思い出すからせつない。
 思い出すのでもなく、同調すればせつない。
 そんな一人一人の気持ちを、今更、つついて、「せつない」気持ちにさせてしまう。
 ちょっと恥ずかしい「少女」まんがとは少し違うので、どうかそんな「青い想い」を読んでいただければ、いいのではないだろうかと思う。

 ちなみにこの連載途中から、「ちゃお」で原作つきの「ソルジャー・ボーイ」も同時連載していた。なかなかお勧めなのだが、「同時連載」に気をつけて、影響と兼ね合いを見てみるのも、また、一興かもしれない。
 お試しあれ。

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