コメント:今や「OZ」「花咲ける青少年」「八雲立つ」など、数多くの代表作を持つ樹なつみが、無名時代を経てやがて注目を集めるようになった、その作品が、この「マルチェロ・ストーリア」である。新人でなければ、長編ものとして一気にかけぬけたかもしれないほど、細部に設定が施されているこの作品は、当初、シリーズもののような様相を呈して始まった。そして、それまでのすべての短編で描いてきたキャラクター設定を集約し、大きく展開したのが、樹にとっても初の長期連載となった、マリクとのストーリーであった。(C)少女マンガ名作選
マリクとのストーリーが終了し、マルチェロ本編が書き終わっても、外伝という形で三作(コミックスにして二冊分)書かれているから、樹がどれだけこの作品の中で作ったキャラクターに愛着を抱き、設定を組んでいたかが測り知れるというものである。
ちなみに、こうして短編シリーズのようにしてスタートし、やがて長編を描くようになる、という経緯は、「LaLa」誌上では特に珍しいわけでもなく、清水玲子もジャックとエレナのシリーズで、やまざき貴子がムシシリーズで、長編を書くように到っている。いずれも、押しも押されぬ人気作家になった人達である。
かつて人に勧める時、コミックスで4巻から6巻に相当する長編部のマリクのストーリーを読めば、それでOKだといっていた。もちろん、それまでのエピソードがなくても十分読める。が、それまでのエピソードを読んでいたほうが、キャラクターの語る内容に深みが出て、理解もよい。
考えてみれば、それまでのストーリーは、キャラクターそれぞれの個性を描きわける段階であり、設定の部分なのだから、本当は見逃してはならないのだ。
マリクというキャラクターのみが、ここで初めて出てくるが、彼女がモデルとして出世するのには、デモルネの弟パスカルとのエピソード(「空色のパスカル」)は欠かせないし、「事件」では、それまでの脇人物たち、たとえば、親友イアンとのかかわり(「マルチェロ物語」「黒い一角獣」他)や、以前マルチェロに恋焦がれた女優ヴァレリィとの、その恋のエピソード(「アメリカンガール」)、デモルネの過去(「遥か青き時代より」)、マネージャー・ギイの野望(「黒い一角獣」他)、そして、マルチェロの人を愛せない心のいきさつ(「マンマ・ミーヤ」他)を知っておけば、話はぐんと広がっていき、ストーリーが個々のキャラクターのもつ心理や背景によって、絡まり、動いていったことが、納得できて面白い。
母親が、男にだらしなく、果てに男と無理心中してしまったがために、17になっても人を愛するということができなかったマルチェロ、それでも人をひきつけてやまず、またそれゆえに悲劇を生んでしまう。
幼くして母をなくし、親戚の元に身を寄せ、そこを逃げだし、貧しさからの束縛から逃れるために始まった彼自身の放ろうは、今度は自由になるために求めた豊さと、業界の軋轢に束縛され、そして、愛に束縛されようとした。
“相手を思うが故に、傷つけるのが恐い。”
そんな愛による心の束縛で、無理心中した母親からの呪縛から逃れるように、また、彼自身、初めて愛した人からさえ去ることを選ぶ。
何かから自由になろうとし、結局、何からも自由になれない。
だから、「いつか終わる」と思いながら、人とも、場所とも、係わっている。
ストーリーが終わった後のマルチェロを、誰も知らない。ただ、樹は、人と深いかかわりを持たず、求めながら、結局そこにはいつけなかった少年を、最後、「人を愛する」という「成長」にまで達してから、まるでそこだけ切りとって駆け抜けたように描いている。
この少年は、特別でありながら、今のどこにでもいる少年たちの、心の中に、静かに潜んでいるようにさえも思える。
「初期」樹作品だけあって、絵はつたない。
絵は拙いが若さがある。私が樹を知った最初の作品は、この「マルチェロ」だったが、当時は今の絵を知らないから、その拙ささえ気にならず、熱さと勢いに、全編を通して引きつけられた。
「特別な」という設定は確かにあるけれども、超能力も、王様も、アンドロイドも格闘シーンも、つまり、「なんかすげえぞ」というスケールのでかさが設定にはない。
だから、人としてより身近で、そして、今ふりかえって、彼女の持つ独特の人を引きつける「情熱」は、この頃から芽吹き、より熱かったのだと感心する
個人的には「マルチェロ」が全く登場しない外伝「天使になる日」が一番好きである。コミックスにすれば一冊に納まってしまいそうな長さであるけれども、秀一の作といってよいと私は思う。