少女マンガ名作選作品リスト

担当者:咲花圭良 作成日:2001/02/05

作 品

ムーン・ライティング(シリーズ)

作 者

三原順

コミックス

ジェッツ・コミックス(白泉社・全2巻)、白泉社文庫全一巻

初 版

?1986/4/30?5/31

初 出

ムーン・ライティング「花とゆめ」1984年5〜7号…?
お月様の贈り物「花とゆめ」1984年19号…?
僕がすわっている場所・その1「花とゆめEPO」1985年第2号…?
僕がすわっている場所・その2「花とゆめEPO」1985年第3号…?
ウィリアム伝説「花とゆめEPO」1986年第4号…?

登場人物:ダドリー・デビッド・トレヴァー(通称ディー、もしくはD・D)、トマス・リブナー、ディーのお母ちゃん、養豚場のロビンス、ジル、ブタのスザンナ、
ケリー(D・Dの会社の受け付け嬢)、D・Dの会社のボス、リッキー・ベリー(D・Dの同僚)、ロイ、サリー・アン

あらすじ:ダドリー、通称ディーの元に、子供の頃からの旧友、トマスから十年ぶりに手紙が届いた。もしディーが、トマスが子供の頃にした、トマスの祖父の打ち明け話を覚えているなら、協力してほしいというのだ。そして、電話で助けてほしいという彼の言葉に慌てて遠路はるばるその僻地にあるトマスの経営するレストランまででかけたのだが、トマスの経営するレストラン兼自宅に到着しても、トマスは現れる気配がない。電話をかけてみると彼は電話にで、あろうことか悪態をつく。そこで怒ったディーが、開けるまでガラスを一枚ずつ叩き割るといういい、ようやくトマスは裏口を開けた。ところが、そこに現れたのは、ブタの姿をしたトマスだった。
 トマスの祖父は狼男だった。満月の夜になると変身する。ところが、人間である祖母と結婚したために、トマスの父は半月の夜、猪に変身した。だからその猪男と人間のあいのこであるトマスは、月に二回、四分の一月に、ブタに変身するというわけだ。しかもこの遺伝は、トマスの父の場合は祖父の死と同時に、そしてトマスの場合は、父の死と同時に、その能力が表れるようになったのだった。(C)咲花圭良
 両親に死なれ、そしてこの奇怪な症状が表れるようになったトマスは、てっきり狼男に変身できると思っていたのに、ブタだったということもあって(注:トマスは父の変身姿を見ていない)、悲嘆にうちひしがれディーに救いの電話をかけたわけであるが、そのレストランに到着するともう一つ問題があった。近くの養豚場の主、ロビンスが、トマスにブタ泥棒の嫌疑をかけているのだ。トマスはブタを盗んだ覚えはないと言い張るのだが、メスブタ・スザンナが、トマスのレストランに、いなくなったオスブタを慕って養豚場を逃げ出してくるのだという。ロビンスの言い分では、確かにオスブタが一匹、いなくなっているから、スザンナがそのブタを慕ってトマスのレストランに慕ってくるのは、トマスがそのブタを盗んで今もそこに飼っているからというのだ。
 もちろん、スザンナが慕っているのは、オスブタに変身した時のトマスのことである。しかし、まさか本当のことを話すわけにはいかないし、まして、嫌疑は晴れない。そこでディーはその対策を練るのだが、くだんの四分の一月、トマスがブタに変身しようという時になって、養豚場の主ロビンスとスザンナが乱入してくる。かろうじて車で逃走したディーと変身したトマス、しかし、ディーの自動車は先日ワインを掠め取っていてクビにしたトマスのレストランの店員、リチャードによってブレーキを壊されていて…。

コメント:この作品をはじめて読んだ時、私は三原の「はみだしっ子」は既に読んでいて知っていたが、一瞬三原が壊れたのかと思った。
 劇画タッチの深刻なストーリーで知られる人で、ふざけあう場面はあっても、笑い転げられるマンガは少し考えられなかった。そして、このムーン・ライティングをシリーズで読み進めるうちに、そのユーモアあふれる(?)センスにとても好感を持てたものだった。

 といっても、三原順であるから、まず線は太い。それから、文字がかなり多い。彼女の後半の作品を見る限りでは、あの「はみだしっ子」よりも、後半の作品群の方が一作品中のネーム(セリフや独白を交えた、ストーリーを流していく、マンガの語り部分)は圧倒的に増えている。「はみだしっ子」の番外編あたりで、その絵柄はかなり劇画仕様になっていたが、ムーン・ライティングでは確実に劇画となっていて、おそらく絵柄でも作風でも、前半と後半をわけるちょうどいい位置にある作品ではないかと思う。

 シリーズは、ブタに変身する男の話だけあって、笑える。しかしやはり三原順であるから、話は「もういいじゃない」、というぐらいに練り込んでいて、中でも、「僕のすわっている場所」は、普通のサスペンスにしたてても、十分読み応えがあっただろうに、事件の起こりも解決も、その「話すブタ」なために、とても「濃い作品を読んだ」という印象は抱けない。
 それぐらい、作品中のユーモアが印象的なのだ。
 なかでも、ブタに変身したトマスははねる。
 体に弾力があって、呼吸でそのはね具合が調整できるので、はねれば自動車より速く走れる上に、断崖絶壁やビルから落ちても死なない。ブタとしては無敵だし、第一描かれ方もかわいらしく、トマス自身も最初は悲嘆にくれていたが、読んでいるうちに、そのブタに変身するのが次第に楽しみになってくる。
 それがかえって、三原順の濃すぎる世界が緩和されて読みやすく、いい出来にしあがっているのではないかと思う。
 だからどうか、せっかく練り上げたサスペンスをブタ落ちにするなんて、と思われないように願いたいし、ブタ男でなかったら、映画にもできる、なんて、言わないでほしい。ブタ男に設定されていたからこその効果もあり、やはりうまいにこしたことはないのだ。

 さて、このムーン・ライティングシリーズは、この後「SONS」が登場するが、シリーズはムーンライティングと題した作品の時系列で続きが出てくるのかと思ったが、過去へと、ディーやトマスが子供の頃の話へと戻ってしまっている。
 個人的には、続きの、大人のトマスやディーの出てくる話を期待したのだが、作者の関心が子供の頃にいったらしい。「SONS」自体は三原タッチの繊細な少年たちとそれにまつわるストーリーにしあがっていて、ムーンライティングシリーズと銘打たなくてもよさそうな感さえある。
 ところで、この作品の主人公、「ダドリー・デビッド・トレヴァー」は、「Xday」という作品でも登場するのだが、作者によると、同姓同名で顔も同じだけれども、別世界の別人として設定しているらしい。なぜそんな紛らわしいことになったか、ということは、ムーンライティングのラストで、連想しているうちに話が紛らわしくなり、おじさん顔のストックがなかったからと説明しているのだが、同じ人物だけでなく、出生や家族構成まで同じなのに、ムーンライティングシリーズのダドリーをその子供時代、「SONS」に選んでいる。
 作者の言うことをそのまま真に受けていいというわけでもないので、もしかしたら、三原自身、同じ設定の人物を、性格だけ換えて描いてみるという実験もあったのかもしれないし、あるいは書いている本人と相性のあうキャラクターなので、こっちでも使ってみようというので使ってみたのかもしれない。どちらにせよ、この二種類の「D・D・T」を読み比べてみても面白いだろう。

 ストーリー自体はユーモアあふれるギャグタッチにしあがっている。しかし、やはり、相当モノを読み慣れていないと作品の頭や中ほどは理解するには難しい。マンガだからこそこなせているのであって、映画でさらりと説明を流されても、小説で読み流しても、映画ではわからないところがあって理解しようと後ろに返ることも出来ないし、小説で文字をたどるにも骨が折れる。おそらくよほどでないと十代では読みこなせない。絵柄が劇画タッチだから、それを容れられる年代に読まれるのが適切なのかもしれない。
 また、この作品は、ジェッツコミックスで刊行された時、ややこしいことに、時系列が整理されなくて収録されいた。「僕がすわっている場所」は、第2巻収録であるが、「お月様の贈り物」はその途中談、「ウィリアム伝説」は後日談にも係わらず、第1巻に収録されている。連載順序はまた違っているから、せめて連載順に収録してくれてもよさそうなのだが、当時「こういうのもあり」として編まれたのだろうか。短編集「夕暮れの旅」は、「死のオムニバス」と題うってもよさそうな作品の集め方をしているから、おそらく作者自身がそういう収録の仕方の指示を出したのであろうと思う。この頃こうした時系列の順序入れ換えは、「超人ロック」もそうだったし、「パーム・シリーズ」もそうだった。(C)少女マンガ名作選
 しかし、シリーズ自体も時系列順に描かれているわけではなく、途中「お月様の贈り物」と、「僕がすわっている場所」で二年の空きがあるから、もしかしたら、「お月様の贈り物」という三十ページたらずの小品を書いた後に話がふくらんで、ついでにディーの少年時代の細かい設定も出来あがって「Xday」の時に膨らまなかった少年時代の話が、新しいディーの創出により、ふくらんでいったのかもしれない。そして、「ムーン・ライティング」がシリーズとして描かれたのかもしれない。
 一つの話から、次第にストーリーが予定にない方向に広がるということはよくあることで、このシリーズもそうだったのだろうし、シリーズ化も最初の予定にはなかったろう。シリーズの最初、「ムーン・ライティング」でディーは子供の頃、母親のことを「ママ」と言っているのに、途中から完全に「おかあちゃん」といっているのも、その証しであろうと思う。

 いろいろと、ややこしいといえばややこしいけれども、そんな当時の作者の事情や創作の過程を想像しても楽しい。
 もちろんそれ抜きでも、十分ストーリーは楽しめる。
 「はみだしっ子」の存在が大きすぎて目立たないが、三原のこんな作品もお楽しみあれ。

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