コメント:この作品をはじめて読んだ時、私は三原の「はみだしっ子」は既に読んでいて知っていたが、一瞬三原が壊れたのかと思った。
劇画タッチの深刻なストーリーで知られる人で、ふざけあう場面はあっても、笑い転げられるマンガは少し考えられなかった。そして、このムーン・ライティングをシリーズで読み進めるうちに、そのユーモアあふれる(?)センスにとても好感を持てたものだった。
といっても、三原順であるから、まず線は太い。それから、文字がかなり多い。彼女の後半の作品を見る限りでは、あの「はみだしっ子」よりも、後半の作品群の方が一作品中のネーム(セリフや独白を交えた、ストーリーを流していく、マンガの語り部分)は圧倒的に増えている。「はみだしっ子」の番外編あたりで、その絵柄はかなり劇画仕様になっていたが、ムーン・ライティングでは確実に劇画となっていて、おそらく絵柄でも作風でも、前半と後半をわけるちょうどいい位置にある作品ではないかと思う。
シリーズは、ブタに変身する男の話だけあって、笑える。しかしやはり三原順であるから、話は「もういいじゃない」、というぐらいに練り込んでいて、中でも、「僕のすわっている場所」は、普通のサスペンスにしたてても、十分読み応えがあっただろうに、事件の起こりも解決も、その「話すブタ」なために、とても「濃い作品を読んだ」という印象は抱けない。
それぐらい、作品中のユーモアが印象的なのだ。
なかでも、ブタに変身したトマスははねる。
体に弾力があって、呼吸でそのはね具合が調整できるので、はねれば自動車より速く走れる上に、断崖絶壁やビルから落ちても死なない。ブタとしては無敵だし、第一描かれ方もかわいらしく、トマス自身も最初は悲嘆にくれていたが、読んでいるうちに、そのブタに変身するのが次第に楽しみになってくる。
それがかえって、三原順の濃すぎる世界が緩和されて読みやすく、いい出来にしあがっているのではないかと思う。
だからどうか、せっかく練り上げたサスペンスをブタ落ちにするなんて、と思われないように願いたいし、ブタ男でなかったら、映画にもできる、なんて、言わないでほしい。ブタ男に設定されていたからこその効果もあり、やはりうまいにこしたことはないのだ。
さて、このムーン・ライティングシリーズは、この後「SONS」が登場するが、シリーズはムーンライティングと題した作品の時系列で続きが出てくるのかと思ったが、過去へと、ディーやトマスが子供の頃の話へと戻ってしまっている。
個人的には、続きの、大人のトマスやディーの出てくる話を期待したのだが、作者の関心が子供の頃にいったらしい。「SONS」自体は三原タッチの繊細な少年たちとそれにまつわるストーリーにしあがっていて、ムーンライティングシリーズと銘打たなくてもよさそうな感さえある。
ところで、この作品の主人公、「ダドリー・デビッド・トレヴァー」は、「Xday」という作品でも登場するのだが、作者によると、同姓同名で顔も同じだけれども、別世界の別人として設定しているらしい。なぜそんな紛らわしいことになったか、ということは、ムーンライティングのラストで、連想しているうちに話が紛らわしくなり、おじさん顔のストックがなかったからと説明しているのだが、同じ人物だけでなく、出生や家族構成まで同じなのに、ムーンライティングシリーズのダドリーをその子供時代、「SONS」に選んでいる。
作者の言うことをそのまま真に受けていいというわけでもないので、もしかしたら、三原自身、同じ設定の人物を、性格だけ換えて描いてみるという実験もあったのかもしれないし、あるいは書いている本人と相性のあうキャラクターなので、こっちでも使ってみようというので使ってみたのかもしれない。どちらにせよ、この二種類の「D・D・T」を読み比べてみても面白いだろう。
ストーリー自体はユーモアあふれるギャグタッチにしあがっている。しかし、やはり、相当モノを読み慣れていないと作品の頭や中ほどは理解するには難しい。マンガだからこそこなせているのであって、映画でさらりと説明を流されても、小説で読み流しても、映画ではわからないところがあって理解しようと後ろに返ることも出来ないし、小説で文字をたどるにも骨が折れる。おそらくよほどでないと十代では読みこなせない。絵柄が劇画タッチだから、それを容れられる年代に読まれるのが適切なのかもしれない。
また、この作品は、ジェッツコミックスで刊行された時、ややこしいことに、時系列が整理されなくて収録されいた。「僕がすわっている場所」は、第2巻収録であるが、「お月様の贈り物」はその途中談、「ウィリアム伝説」は後日談にも係わらず、第1巻に収録されている。連載順序はまた違っているから、せめて連載順に収録してくれてもよさそうなのだが、当時「こういうのもあり」として編まれたのだろうか。短編集「夕暮れの旅」は、「死のオムニバス」と題うってもよさそうな作品の集め方をしているから、おそらく作者自身がそういう収録の仕方の指示を出したのであろうと思う。この頃こうした時系列の順序入れ換えは、「超人ロック」もそうだったし、「パーム・シリーズ」もそうだった。(C)少女マンガ名作選
しかし、シリーズ自体も時系列順に描かれているわけではなく、途中「お月様の贈り物」と、「僕がすわっている場所」で二年の空きがあるから、もしかしたら、「お月様の贈り物」という三十ページたらずの小品を書いた後に話がふくらんで、ついでにディーの少年時代の細かい設定も出来あがって「Xday」の時に膨らまなかった少年時代の話が、新しいディーの創出により、ふくらんでいったのかもしれない。そして、「ムーン・ライティング」がシリーズとして描かれたのかもしれない。
一つの話から、次第にストーリーが予定にない方向に広がるということはよくあることで、このシリーズもそうだったのだろうし、シリーズ化も最初の予定にはなかったろう。シリーズの最初、「ムーン・ライティング」でディーは子供の頃、母親のことを「ママ」と言っているのに、途中から完全に「おかあちゃん」といっているのも、その証しであろうと思う。
いろいろと、ややこしいといえばややこしいけれども、そんな当時の作者の事情や創作の過程を想像しても楽しい。
もちろんそれ抜きでも、十分ストーリーは楽しめる。
「はみだしっ子」の存在が大きすぎて目立たないが、三原のこんな作品もお楽しみあれ。