コメント:この作品自体は、「南京路…」の前作、「蘇州夜曲」の続編である。おそらく森川久美というマンガ家を、世に知らしめた代表作といっていいだろう。
日中戦争のおよそ三、四年前からストーリーは始まり、「南京路…」自体は、前年の正月から翌年の七月、日中戦争勃発までを描いている。だから、「あらすじ」の末尾では「思わぬ方向に…」と書いているが、実際は「進むべき方向に進んだ」、という方が正しいのだ。
実際の事件の中に、全くの虚構を折り込んで話を展開させる、という手法は、三原順「XDay」や、後の清水玲子「月の子」でもなされているが、この「南京…」も上手い。(C)少女マンガ名作選
話は進むべき方向に進んでいるはずなのだが、進んではいけない方向へと導いているような感覚を読者に起こし、またその展開が自然である。しかも、悲壮感はあまり感じさせず、ただただその「悪夢」にずるずると引き込まれていく。
とりあえず、登場人物はみなかっこいい。
そもそもこの作品をジャンルわけすれば、おそらくハードボイルドだろう。絵柄も森川独特の劇画タッチ、かつ艶のある絵柄、拒絶もせず、こびもせず、と言った具合である。
中でもワン・ツーマンという、二つの祖国に挟まれた青年が暗躍することにより、物語はいっそう深みを増して行く。日本についても中国についても裏切り者、腕がたちすぎるわりに、繊細すぎる神経は、腕がたつゆえに、さらに彼を人殺しや裏切りの苦悩へと追いやることになる。暗躍する組織のものとしては、あまりに「優しすぎる」のだ。
ただ一度、ジョーに、勝つために「血と陰謀と硝煙に国境はない、何ものにも縛られることなく生きていける」一緒に来ないかと誘われる。その誘いに対し、黄は「僕は自由になれるほど強くないんだ」――
深い恋が描かれるでもなく、登場人物はさほど拷問に会うわけでもない。ただ、何か、やるせない思いで物語は進んでいく。様々な人々の思いをのみこんで、繰り広げられる悪夢にもかかわらず、なぜか本当の悪人などいないのではないかという夢さえみてしまう。
そして、読むものを酔わせる、作品底部に流れるロマンティシズム――
この時代、この場所に生きていたらひどい目に会うかもしれないのに、物語の世界にいる登場人物たちがうらやましくなる、そんな作品である。
ただ一言付け加えるならば、この「南京…」からかなり経って、続編が書かれた。「Shan−hi1945」は、あまりいただけない。「南京路…」の続編は個々の中で夢みるに抑えた方がよかろうと、私は思う。