少女マンガ名作選作品リスト

担当者:咲花圭良 作成日:2006/11/06

作 品

那由他

作 者

佐々木淳子

コミックス

フラワーコミックス(小学館・全三巻)、メディア・ファクトリー文庫(メディア・ファクトリー社・全二巻)

初 版 

一 1982年6月20日 二 1982年10月20日 三 1983年1月20日

初 出

週刊『少女コミック』昭和56年第16号より連載。

登場人物:柳原那由他、キロ、リョータロー、ソズ、ディー他

あらすじ:明日の小テストの心配をしている、どこにでもいる平凡な女子高生「那由他」は、ある日学校の帰り道、難民の親子を拾った。母親の具合が悪く、病院へとつれて行くと、その母親は肺炎に内臓破裂、やけどと、緊急手術を行わなければならないひどい状態だった。その母親は手術の最中に死亡、那由他は死んだ母親に付き添っていた少年を警察に届け、帰宅した。
 ところがなぜか、家に帰って部屋に入ると警察に届けたはずの少年がいる。那由他は瞬時に超能力があるのだと悟るのだが、言葉が通じないために彼の素性も日本にいるいきさつも語られなかった。
 少年は那由他になついたらしく、那由他の母親の理解で那由他の家にかくまわれることになった。父親にみつかり何度も警察へとつれて行かれても、那由他のところへ逃げ帰ってしまう。結局は那由他の家へ居つくことになってしまった。
 少年は「キロ」といった。
 頭に不思議な輪をかぶっていて、はずそうとするといやがる。テレポートをし、ものを浮かすことができ、人の心を読む超能力者で、日本語はすぐに覚えてしまい、恐ろしい勢いでいろんなものを学習し吸収してしまうのだ。
 那由他はキロのその超人的才能の秘密が頭にかぶっている輪にあると思い、一度キロが寝ている間にはめてみるが、莫大な宇宙の像が見えて失神してしまった。
 那由他には無理――目覚めた那由他にキロがいったその言葉で、二人は喧嘩してしまう。その喧嘩の後、キロは那由他を連れてシベリアまでテレポートするのだが、そこでUFOに攻撃される。テレポートするキロにUFOが絶え間なく追ってくる。最後UFOをキロが超能力で破壊、しかし生き残りの宇宙人にキロは素手で殺されそうになった。
 しかし、すんでのところで那由他が救った。宇宙人もまた、キロがはめているのと同じ輪を頭にはめていて、那由他がそれを頭から抜くと、宇宙人はチリと化してしまったのだ。
 キロは語りだす。
 キロのはめている輪は、キロが遊牧民だった頃、UFOの遺跡のそばにいた宇宙人のミイラのはめていたものだったそうである。はめて使っているうちに、UFOがその力をキャッチし、キロを追ってくるようになったのだという。
 キロは宇宙人に襲われたときその思考を読んだといい、その日から父親の書斎で深く考えこむようになった。そして、ある朝突然成長した少年の姿になり、那由他の前から姿を消してしまった。
 キロは姿を消しただけでなく、那由他の母親の記憶の中からも消えてしまっていた。
 那由他はテレパシーでキロに外へと呼び出された。出て行くと、UFOと宇宙人と、大人の姿をしたキロ。キロは地球の監視人である宇宙人たちと行くからお別れだという。
 そして、キロは、那由他の記憶からもキロ自身を消してしまった。
 ところが、その後、那由他は思い出してしまう。
 キロを宇宙人から救ったとき、頭から抜き取った輪をひそかに隠し持っていて、それをかぶった瞬間すべてを思い出したのだ。
 しかし、輪をかぶった那由他にはキロのようにテレパシーもテレポートもサイコキネシスも使えなかった。


 夏休みも残りわずか、那由他は課題自由の科学のレポートに、宇宙人と輪のことを書いて提出する。それを科学の助手が見てしまう。助手は実は宇宙人の手先だった。
 そして、那由他は休日、輪をかぶって友達と街中で待ち合わせをする。すると、全く知らない少年に待ち合わせ場所で頭からいきなり帽子をかぶせられた。少年は那由他にテレパシーで話しかけてくる。所属はどこか、名前は何か。
 那由他は結局このリョータローという少年に輪を所有するものたちの暮らすテリトリーという場所につれて行かれ、輪が「ジャルン」と呼ばれるものであること、ジャルンと呼ばれる輪は、人間が元々持つ力を引き出すもので、そのジャルンを知ったが最後「アザドー」と呼ばれる宇宙人に命を狙われ、一親等まで殺されるということ、キロがアザドーの側についた裏切り者であることを教えられる。(C)咲花圭良
 そして、那由他自身の家も火事となり、両親が殺され、テリトリーで寝起きし、隠れながら生活することを余儀なくされるのであった。
 那由他がジャルンによって引き出された力は「過去見」と呼ばれる、過去を見る力だった。そのため、那由他は両親が生きていた頃の幸せな過去へと意識が入り込んでしまう。意識が過去へと入り込んだ那由他の心を引き戻すため、テリトリーの長で強烈なテレパシスト・ソズとリョータローが協力して那由他の心へと入り込み、連れ戻しにかかる。しかし那由他はリョータローを阻止、さらに過去へ過去へとさかのぼっていくが、なんとか五千年を越えた先で、リョータローは那由他をつかまえた。ところが、そこは、なんと、アザドーと人間が共存する過去だった。そしてその過去の世界にいる神にも似た存在が、那由他やリョータローを捕まえようとするのだった。
 テリトリー全員の力を得て、その神にも似た存在からの攻撃をかわし、再び現在へと帰った二人だったが、その時既に那由他の過去見は八十%失われていた。
 テリトリーにいる資格はないと、テリトリーを出て行く那由他。しかし外でキロの罠にはめられ、キロと再会、仲間にならないかと誘われる。那由他は断るが、その後、テリトリーがアザドーらによって壊滅させられ、那由他の寄る辺はなくなってしまったのだった。

コメント: 私がこの作品に初めて出会ったのは、中学一年の時ではなかったかと思う。『ダークグリーン』という作品がコミックス化されて話題になり、そのコミックス巻末の広告で、この『那由他』の存在を知って手を出したのが、きっかけであったろう。
 今読み返すにつけ、中学一年の幼い自分が甦り、そうそう、ビッグバンとかDNAとか、さらには「那由他」という数を表す言葉があるということなどを学校で習うよりも先にこうしたマンガで知ったものだった、と、思い返すことしきりである。また、当時は出会う作品出会う作品片っ端から読んでいったが、『ダークグリーン』も『那由他』も、夢中になって乱読した中の一つで、それでもたまにふと何かのきっかけに「そうそう、あのマンガでああいう場面があった」と思いだされる作品の一つでもあると改めて思ったものである。
 しかし、読み返すにつけ、もう宇宙人とか、超能力とかいうものが、自分にとって既に信じられる世界では全くなくなっていることに気がついたというのは、頭が固くなってしまった証拠なのか、自分が老いてしまった証拠なのか。
 でもSFファンたちは壮年老年になっても、それを信じるかどうかは別として、読み、その世界にいるときは信じきってしまうのだから、それを信じられぬからといって、老いの証明にはなるまい。
 早い話、単に頭が固くなってしまっただけなのだ。
 この『那由他』を読んだことで、当時十代だった自分の可能性や柔軟性が激しく損なわれていると気づき、反省する契機にも、ちょっとはなったかもしれない。
 確かに今、余計な夢は見ない。余計な可能性さえ信じない。
 それは、いえるかもしれない。


 佐々木淳子という人が、SFマンガ好きの間で認知されるきっかけとなった作品が、この『那由他』だったのではないかと思う。この作品の成功なくして、『ダーク・グリーン』はありえまい。
 以前『ダークグリーン』のコメントでも書いたが、この人がSFマンガ家として広く知られるための障害となった一つとして、このいかにも少女マンガらしいかわいらしい絵であるのはやはり否めないと思う。その中でも特に『那由他』は線が細く、それが顕著で、さらにまだ絵に素人らしさが残るために、どうしても男性には受け入れられがたかっただろう。また逆に、愛や恋らしいものがほとんどないために、少女マンガ読者にもなかなか広く受け入れられがたかったに違いない。(C)少女マンガ名作選
 愛や恋がないと作品に華が欠ける。
 あの、坂口安吾でさえ(と書くのは私の偏見かもしれないが)「恋愛は人生の花であります。いかに退屈であろうとも、このほかに花はない」(『恋愛論』)と書いている通り、やはり多すぎてもうっとおしいが、色づけとしての華(花)はほしい。
 特に、『那由他』の場合、那由他とリョータローの仲が、いい感じをにおわせたままさっぱり進展しないのが物足りない。ページ数や連載がどこまで許されるかということで急いだのかもしれないが、それでももう少し深く掘り込んで、大河ドラマにしてしまっても良かったのではないかと思ってしまう。
 しかし『那由他』にどこか急いだ、というか、もう少し掘り下げてゆっくり書けたのでは、という感があるのは、恋愛のみにとどまらない。そのスピード感が面白さのゆえんであり、連載当時はそれでもゆっくりに感じたと言われればそれまでなのだが、サイドストーリーがいくつも作れそうな気がするような、いろんなものを捨てて描ききれなかったというものを感じるだけに、今読むと何か読み終えて物足りない感がある。
 樹なつみ『OZ』の連載当初もやはりこれに似た感がある。やはり、もしかしたら当時新人であった佐々木に与えられたページ数の限界であったからかもしれない。いつうち切られるか、どこまで描けるか、との思いで書き進め、いつ切られてもいいようになるべく話を圧縮していく。そうであったとも考えられる。
 それならそれでまた、気の毒な話というか、もったいない話ではある。
 ストーリーテリングの深さと広がりが未熟であったという可能性もあることにはあるが、これはどちらとも判別つきがたい。
 とにもかくにも大河にならずじまいで惜しいストーリーではある。


 しかし、当時は「よくこんな話思いつくな」などとも思っていたうちの一つでもあった。それまで読んだSFの中でも、佐々木のものは群を抜いて新鮮であったし、今もまだ独特の世界を描いているという認識は変わらない。
 舞台は現在の東京であり、何の変哲もない日常の中で、平凡な女子高生が巻き込まれるこの事件は、もしかしたら自分の身にも起こりうるのではないかという一種の期待感や、どこかで活躍するかもしれないもう一人の自分という変身願望を満たすものでもある。また、昔からあるUFO伝説の一つ「宇宙人は地球人を昔から監視している」とか、現代文明が生まれる前に宇宙人や超人類がいる過去の文明があったとする説、あるいは神隠しの一説を上手に利用しているにもかかわらず、佐々木流の物語へと仕上げている。
 前者の変身願望を満たすという意味では、この後日渡早紀『ぼくの地球を守って』や、那須雪絵『フラワー・デストロイヤー』シリーズでも描かれるところであるし、後者の様々な説を利用するという点では神坂智子が『シルクロード・シリーズ』で描いているが、そのどれとももちろんかぶっていない。
 ストーリーのところどころに若干の矛盾はあるものの、破綻というほどのものでもなく、絵柄に似合いがちな「少女マンガに毛の生えたSF」に堕しておらず、時に残酷で、妙にリアルである。SFストーリーのセオリーを踏まえながらどこか独特の世界を生かせているという感じがするのも、つまりは本人のSFを深く愛し、咀嚼し、描こうとする姿勢の表れではないだろうか。


 この作品には、愛も恋もほとんどない。
 作品は荒削りで、物足りない感さえある。
 しかし、どこか登場人物たちの語りや行動は情熱的でひかれるものがある。
 まるで佐々木のSF世界に対する焦がれる気持ちがそのまま人物たちに乗り移ったかのようなのだ。
 人物たちは実に自分に正直で、よくわめく、よく泣く、よく叫ぶ――つまり、ドラマティック、なのだ。
 ありえないはずの世界に、いつしかひきこまれてしまう。
 だから、読み物として、面白い。

 

 ただ個人的には、物足りない感に襲われないために、この人の代表作『ダーク・グリーン』を読んだ上で、初長期連載であった前作品として、読んでみるのがいいのではないかと思う。
 むろんかつて読んだ読者の皆様も、一度若かりし頃の感性を思い出す一助として読み返してみられるのは、いかがだろうか。

Copyright(C)2006-,Kiyora Sakihana. All rights reserved.