コメント: 私がこの作品に初めて出会ったのは、中学一年の時ではなかったかと思う。『ダークグリーン』という作品がコミックス化されて話題になり、そのコミックス巻末の広告で、この『那由他』の存在を知って手を出したのが、きっかけであったろう。
今読み返すにつけ、中学一年の幼い自分が甦り、そうそう、ビッグバンとかDNAとか、さらには「那由他」という数を表す言葉があるということなどを学校で習うよりも先にこうしたマンガで知ったものだった、と、思い返すことしきりである。また、当時は出会う作品出会う作品片っ端から読んでいったが、『ダークグリーン』も『那由他』も、夢中になって乱読した中の一つで、それでもたまにふと何かのきっかけに「そうそう、あのマンガでああいう場面があった」と思いだされる作品の一つでもあると改めて思ったものである。
しかし、読み返すにつけ、もう宇宙人とか、超能力とかいうものが、自分にとって既に信じられる世界では全くなくなっていることに気がついたというのは、頭が固くなってしまった証拠なのか、自分が老いてしまった証拠なのか。
でもSFファンたちは壮年老年になっても、それを信じるかどうかは別として、読み、その世界にいるときは信じきってしまうのだから、それを信じられぬからといって、老いの証明にはなるまい。
早い話、単に頭が固くなってしまっただけなのだ。
この『那由他』を読んだことで、当時十代だった自分の可能性や柔軟性が激しく損なわれていると気づき、反省する契機にも、ちょっとはなったかもしれない。
確かに今、余計な夢は見ない。余計な可能性さえ信じない。
それは、いえるかもしれない。
佐々木淳子という人が、SFマンガ好きの間で認知されるきっかけとなった作品が、この『那由他』だったのではないかと思う。この作品の成功なくして、『ダーク・グリーン』はありえまい。
以前『ダークグリーン』のコメントでも書いたが、この人がSFマンガ家として広く知られるための障害となった一つとして、このいかにも少女マンガらしいかわいらしい絵であるのはやはり否めないと思う。その中でも特に『那由他』は線が細く、それが顕著で、さらにまだ絵に素人らしさが残るために、どうしても男性には受け入れられがたかっただろう。また逆に、愛や恋らしいものがほとんどないために、少女マンガ読者にもなかなか広く受け入れられがたかったに違いない。(C)少女マンガ名作選
愛や恋がないと作品に華が欠ける。
あの、坂口安吾でさえ(と書くのは私の偏見かもしれないが)「恋愛は人生の花であります。いかに退屈であろうとも、このほかに花はない」(『恋愛論』)と書いている通り、やはり多すぎてもうっとおしいが、色づけとしての華(花)はほしい。
特に、『那由他』の場合、那由他とリョータローの仲が、いい感じをにおわせたままさっぱり進展しないのが物足りない。ページ数や連載がどこまで許されるかということで急いだのかもしれないが、それでももう少し深く掘り込んで、大河ドラマにしてしまっても良かったのではないかと思ってしまう。
しかし『那由他』にどこか急いだ、というか、もう少し掘り下げてゆっくり書けたのでは、という感があるのは、恋愛のみにとどまらない。そのスピード感が面白さのゆえんであり、連載当時はそれでもゆっくりに感じたと言われればそれまでなのだが、サイドストーリーがいくつも作れそうな気がするような、いろんなものを捨てて描ききれなかったというものを感じるだけに、今読むと何か読み終えて物足りない感がある。
樹なつみ『OZ』の連載当初もやはりこれに似た感がある。やはり、もしかしたら当時新人であった佐々木に与えられたページ数の限界であったからかもしれない。いつうち切られるか、どこまで描けるか、との思いで書き進め、いつ切られてもいいようになるべく話を圧縮していく。そうであったとも考えられる。
それならそれでまた、気の毒な話というか、もったいない話ではある。
ストーリーテリングの深さと広がりが未熟であったという可能性もあることにはあるが、これはどちらとも判別つきがたい。
とにもかくにも大河にならずじまいで惜しいストーリーではある。
しかし、当時は「よくこんな話思いつくな」などとも思っていたうちの一つでもあった。それまで読んだSFの中でも、佐々木のものは群を抜いて新鮮であったし、今もまだ独特の世界を描いているという認識は変わらない。
舞台は現在の東京であり、何の変哲もない日常の中で、平凡な女子高生が巻き込まれるこの事件は、もしかしたら自分の身にも起こりうるのではないかという一種の期待感や、どこかで活躍するかもしれないもう一人の自分という変身願望を満たすものでもある。また、昔からあるUFO伝説の一つ「宇宙人は地球人を昔から監視している」とか、現代文明が生まれる前に宇宙人や超人類がいる過去の文明があったとする説、あるいは神隠しの一説を上手に利用しているにもかかわらず、佐々木流の物語へと仕上げている。
前者の変身願望を満たすという意味では、この後日渡早紀『ぼくの地球を守って』や、那須雪絵『フラワー・デストロイヤー』シリーズでも描かれるところであるし、後者の様々な説を利用するという点では神坂智子が『シルクロード・シリーズ』で描いているが、そのどれとももちろんかぶっていない。
ストーリーのところどころに若干の矛盾はあるものの、破綻というほどのものでもなく、絵柄に似合いがちな「少女マンガに毛の生えたSF」に堕しておらず、時に残酷で、妙にリアルである。SFストーリーのセオリーを踏まえながらどこか独特の世界を生かせているという感じがするのも、つまりは本人のSFを深く愛し、咀嚼し、描こうとする姿勢の表れではないだろうか。
この作品には、愛も恋もほとんどない。
作品は荒削りで、物足りない感さえある。
しかし、どこか登場人物たちの語りや行動は情熱的でひかれるものがある。
まるで佐々木のSF世界に対する焦がれる気持ちがそのまま人物たちに乗り移ったかのようなのだ。
人物たちは実に自分に正直で、よくわめく、よく泣く、よく叫ぶ――つまり、ドラマティック、なのだ。
ありえないはずの世界に、いつしかひきこまれてしまう。
だから、読み物として、面白い。
ただ個人的には、物足りない感に襲われないために、この人の代表作『ダーク・グリーン』を読んだ上で、初長期連載であった前作品として、読んでみるのがいいのではないかと思う。
むろんかつて読んだ読者の皆様も、一度若かりし頃の感性を思い出す一助として読み返してみられるのは、いかがだろうか。