少女マンガ名作選作品リスト

担当者:咲花圭良  作成日:2001/06/04

作 品

動物のお医者さん

作 者

佐々木倫子

コミックス

花とゆめコミックス(白泉社・全12巻)、白泉社文庫全8巻

初 版

1 1989/4/25 2 8/25 3 1990/3/25 4 11/25 5 1991/3/25 6 8/25
7 1992/1/25 8 7/25 9 1993/1/25 10 8/25 11 1994/1/25 12 5/25

初 出

「花とゆめ」1988年1号〜1994年24号

登場人物:西根公輝(にしね・まさき、通称ハムテル)、チョビ(ハムテル飼犬)、ハムテルの祖母、ミケ(ハムテル祖母の猫)、ヒヨ(ハムテルの飼い鶏)、スナネズミたち、二階堂(ハムテル友人)、漆原教授、菱沼聖子、菅沼教授、嶋田小夜、清原他ハムテルの同級生、その他

あらすじ:西根公輝こと、通称ハムテルは、北海道に住み、H大の理系を目指す高校3年生だった。(C)咲花圭良
 ハムテルはある日、友人の二階堂と帰り道、いつものようにH大学の構内を通って地下鉄への近道をしていたが、そこで、般若のような顔の子犬と出くわした。その子犬は、みるみるうちにアフリカンな変装をした漆原教授に捕獲されたが、去ろうとするその教授を呼びとめたために、その子犬を押し付けられ、獣医になる予言をされる。
 その般若のような顔の子犬、実はシベリアン・ハスキーという高価な犬なのだが、教授の友人宅の床下に入り込んだ親犬が産み落としたもので、餌もなく泣いていた子犬とその母犬を、友人が床板を外して助け出し、虫の息のところを教授の所に持ち込まれ、たった一匹だけ生き残ったメスなのだという。
 ハムテルは広大で古い屋敷におばあさんと二人暮らし。そしてその家には既に、おばあさんの飼い猫ミケと、ハムテルが子供の頃買ってきた強暴な鶏のヒヨちゃんがいた。そこにその子犬が加わったのだ。子犬はチョビと命名された。が、間もなくチョビが血便をしたため、仕方なくH大の獣医学部付属病院に連れて行く。診察室に入っていくと、診察する先生は、チョビを押し付けた漆原教授だった。
 子犬を返しに来たのかときくので、病気だから連れてきたのだというと、教授は診察してくれたのはいいが、手伝いの学生が逃げた避妊手術の犬を探しに行ってしまったとかで、点滴の準備には時間がかかる、血管がみつからないといってチョビに3つはげをつくってしまう、挙句の果てに時間がかかったからといって、他の患畜の診察まで手伝わされて、最後に手伝いのご褒美といってスナネズミを2匹くれた。一緒にいった二階堂はネズミが苦手なので、これもハムテルが引きうけることになり、結果動物の家族に囲まれて暮らすことになった。
 動物の診察費用もばかにならないし、自分で治療したほうが早いということで、ハムテルは獣医をめざすことにし、春には無事H大にも合格する。
 H大の理?に合格したハムテルは、二年の秋、獣医学部に二階堂共々進学した。大学三年に講座選択をし、漆原教授の講座に入り、院生を経て、動物のお医者さんになるまで、様々な動物にまつわるエピソードや、獣医学部での事件をくりひろげ、時系列にそった、ほぼ一話完結形式で、ストーリーが展開される。

コメント:「動物のお医者さん」という、佐々木倫子の地味な地味な連載は、いつのまにか、そこに登場するシベリアンハスキーのブームまで巻き起こしてしまった。
 が、そんなブームを巻き起こし、十二巻を数えるまでの長期連載になったが、実は動物を作品の中に意味もなく描く佐々木のために、編集部が「獣医さんの話を」という注文を出して、練られ、始められた連載だったらしい。きちんと主人公ハムテルが動物のお医者さんになるまで描かれてはいるが、ネタは全国から紙面で募集し、その度に作っていくという、自転車操業の連載だったということも、コミックス巻末、「Making of 動物のお医者さん」で明かしている。
 「動物のお医者さん」というから、知らない人には、お医者さんになるまでの、汗と感動と努力の物語と思われそうであるが、決してそうではない。H大理?を目指していたハムテルが、ほとんど成り行きで獣医を目指し、なんとなく院生を経て、開業にこぎつけるまで(このノリが連載そのもののノリに似ている)の時系列の中で、その獣医学部と、様々な動物たちのエピソードを、ほぼ一回読みきり形式で書かれているのが、「動物のお医者さん」である。(C)少女マンガ名作選
 はっきりいってギャグなのだ。
 ロマンスさえ、ない。
 主人公ハムテルが、獣医になるまでの十年あまり、一度もロマンスらしい話が登場しないのは不自然だという意見があったそうだが、佐々木倫子のマンガにそれを期待する方が間違っているような気もするし、ロマンスどころかおとぼけギャグマンガといったほうが正解である。それでも少女マンガとして成り立つなんてことは、今更少女マンガ読者にとって何ら珍しいことではない。
 恋愛沙汰が一度も登場しないだけでなく、院生生活やその雰囲気を知っている私には、あのどこかおとぼけた「お笑いムード」さえも不自然でさえある(だってH大の院卒の獣医なんてその世界ではエリートじゃないか)。が、そんなことを気にしていたら、というか、気にしていてはいけないのだ。
 気にしていてはあの独特の世界が壊れてしまうし(だから描かない方も恐らく正解だし)、するような気にもならないくらい、笑えるのだもの。
 しかも大笑いするのでなく、コソコソ笑う。
 そしていつのまにかその世界に引き込まれてしまう。
 それはどこか、かわみなみの「シャンペン・シャワー」の世界に似ているかもしれない。
 「あ・そ・ぼ」なんてブツブツつぶやいてしまったら、もうおしまいである。
 シベリアン・ハスキーを見て「あ、チョビ」なんて言ったら、間違いなく侵されている。
 …てことである。

 しかし、どちらかというと、一気に読みふけって朝まで、というマンガではなく、ちょっと開いては、ウフフと笑い、ちょっと開いてはウフフと笑う、というマンガではないだろうか。思い出した頃に取り出して、またウフフと笑う。魔夜峰央「パタリロ!」ほどの毒々しさはないから、忙しい日常の、休日に味わう「清涼剤」として読むと、なかなかいいかもしれない。
 ただし、世界に浸って、動物を飼ってみようという気になるかもしれないが、ブームが巻き起こした傷跡が、山に大量に放置されるということもあった。作品の世界に浸るのもいいが、研究者の実態や雰囲気などと同様、現実とは隔たりのあることとも合わせて、上手に作品を楽しまなければいけない。
 でなければ、楽しませてくれる作品を台無しにしてしまう。
 作品に浸ることは悪いことではないのだ。「麻薬」の魅力がなければ、ある意味駄作ともいえる。肝心なのは、読む我々の、現実と作品世界を切り替えるスィッチの問題なのだ。
 上記のことを心にとめた上で、この作品に手を出してほしい。
 そんな感じで我々を楽しませてくれる、「素敵な」物語なのだ。
 ウフフと笑ってください。

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