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「ある家に、ひょんなことから同居人が集まって来て、様々な事件に巻き込まれる」――。
これを聞くと、成田美名子の「エイリアン・ストリート」みたいなもんか、と思うかもしれない。
似てるとも言えなくもないが、「エイリアン」が“門戸開放で、来るもの拒まず、呼ばれた方も嬉しくて、みんな仲良く和気あいあい”なのに対して、「パーム」は“呼びたくて呼んだ訳じゃなし、呼ばれた方も「なんで行かなきゃならないの?」”的に同居が始まる。しかし、いざカーター、ジェームス、アンディ、アンジェラの4人の同居が始まると、彼らは「家族」の絆で結ばれて行く。 始めは、カーターの、ジェームスに対してはボスとしての、アンディやアンジェラに対しては保護者としての責任感が、それに代わっていたのは確かだ。 彼らの同居は、いかにも偶然のように描かれているが、読み進めて行くと必然だったのではないか、と言う気持ちにさせられる。 第1話「お豆の半分」のラストシーンで、「誰もが椰子(ココナッツパーム)のように、海を渡ってここへ流れ着いただけだというのに」という カーターのセリフはアメリカ国民の事を言っているのだが、そのままこのシリーズのテーマを暗示しているかのようだ。
しかし、そもそもこの作品の魅力は、そんな設定にあるわけではない。“西海岸もの”を生かしきった絵柄とストーリーにある。作者曰く“『秘密司令』というスパイものがシリーズのもと”だそうである。 主人公達が巻き込まれる数々の事件はかなりハードだし、危険にさらされるたびに死を予感させる刹那的な雰囲気も、主人公達が根源的に持っている孤独感をその都度思い出させて、スリリングだ。 まるでアクション映画を見ているような気分にさせてくれる。(C)少女マンガ名作選
明暗を使い分けた絵は、どこかアメリカンコミック風だが、特にカラーでは補色と黒を多用して、くっきりと美しい。色使いはゴーギャンを思わせる。
そして何よりも登場人物達自身の魅力が大きい。主人公達はもちろんのこと、脇役までそれぞれの個性を描き分けている。しかも、見るからに“カッコイイ男性”と“美しい女性”を描くのがうまい。
更にセリフも個性を如実に表している上、ストーリーに負けない会話のやり取り、気障な言い回しから、思わず笑ってしまう言い回しまで、うまいなぁと感心してしまう。 彼らはいつでも本音をぶつけ合う。はっきりと言いたい事を訴えて、次第にお互いの理解を深めて行く。そんなところは「いかにもアメリカ人」らしく描かれている。 歯に衣着せぬ物言いは、読んでいて気分がいい。また、カーターとジェームスのとぼけた会話、アンジェラの毒舌、アンディの天然のボケぶりには笑ってしまう。
しかし、私個人がこの作品に惹かれたのは、主人公3人の背負う孤独感だ。彼らには幼少の頃から自分の居場所がなかった。
ジェームスはNYマフィアのネガットの養子だった。義理とは言え、彼ら親子の間には会話らしい会話もなく、事実上、使用人一家の子供のような生活を送っていた。 11歳の時にジェームスが身の代金目的で誘拐された時には、義父は身の代金を払うどころかジェームスを死んだ事にしてしまった。自分の身を守る為に、ジェームスは誘拐犯を説得して、ロスのマフィアのエリーに自分を売らせる。 その後、どうにかエリーの下から抜け出し、警官に発砲して少年刑務所に投獄される。刑期が終る頃には脱獄し、再び監獄に戻る生活を繰り返していた。
アンディは3歳で母親を失った。父親とは、母親の生前から打ち解けてなく、さらに死後はライオンのジェイクとしか心を通わせていなかった。アフリカのサバンナで暮らしていた為何の教育も受けず、人と交わる事を拒み、人間社会の常識にも欠けていた。 彼の父親は、そんな彼を心から愛していた。しかし、二人には心の交流は生まれなかった。父親の死期が近づいていた時、ライオンのジェイクも死んでしまう。「人と交われ」という、父親の最後の望みでアンディはアメリカで唯一の遠縁であるカーター家に来る。
カーターは日系3世。しかし彼の両親が日系に見えないのに、彼だけは見るからに日系人だった。そのことが彼の母親を苦しめる事になる。彼の母親は、18歳まで自分の父親が日本人である事を知らなかった。さらに日系であるが故に戦時中に苦しい経験を強いられた。 息子を愛したいのに、愛せない。そんな経緯でカーターは伯父に育てられる。伯父のレイフはカーターを力づけ支えてくれた。しかし、どうにか母親と和解できそうになったその日に、両親を交通事故で突然失ってしまう。しかもその直後、自分の目の前で、養父のレイフをも飛行機事故で失ってしまう。
自分の場所を見つけても、「死」はあっさりとそれを奪っていく。彼らは「死」によって居場所をあっさりと奪われてしまっていたのだ。そして「死」は、いつも唐突にやって来る。そんな場面に直面した彼らには、いつも心にぐっとくるセリフが与えられている。 例えば、ジェームスが誘拐された時に殺害されてしまった彼の養母が、かつて彼に言った言葉「ナッシング・ハート(決して傷つきやしないんだよ)」。第2話のタイトルにもなっているこの言葉は、深く暗い淵に落ち込むジェームスを救う。そんなふうに、主人公達が逆境に立たされた時に作者が投げかける言葉に、胸が熱くなる。
カーター家に集まる彼らのような「擬似家族」が実際の「家族」とどれだけ違うと言えるのか。血のつながりの有無しか、違いはないのではないか。実際の家族だって元を正せば他人の同居から始まる。 家族とは、お互いを大切に思う気持ち、人は誰だってひとりだと言う気持ち、その表裏一体となった意識で成り立つ共同体でしかない。だから必ず別れが来る。第6話「オールスター・プロジェクト」は、主人公たちの行く末を描いて終ってる。彼らにも別れは訪れるのだ。
この作品をアクションものの娯楽作品として読むのも、人間ドラマとして読むのも、どちらも正しい。読む人の読み方でいろいろな面を見せてくれる作品だと思う。 ドラマティックな展開は、決して読み手を飽きさせる事はないし、くせのある絵も好き嫌いが分かれる所だが、内容の重さに釣り合ってていいんじゃないだろうか。