コメント:もしジャンルわけするなら、ホラーになるのだろうか。たぶん、怪奇もののくくりに入れるのが正しいかとも思うが、どうもこの人自身それほどプライドを持ってジャンルを選別しているとは思えない。純粋に、マンガ文化の中で育ち、先人たちの作品に感性を肥やされて、自身の得意分野をかけぬけているのではないかと思う。
前作「闇のパープルアイ」はあまりにも篠原を有名にした作品ではあるが、変身ものプラス、その血の所以の設定を見るにつけても、どうやらそんな気がしてならない。
とりあえず、これだけ血と死体と涙の出るマンガはそんなに多くはないだろう。そういえば、同じ頃に「北斗の剣」がテレビ放送されていたはずだから、こういうものもある程度OKだったかもしれない。篠原に影響を与えたと予測されるマンガ家柴田昌弘も、この頃「ブルー・ソネット」でスプラッタだったから、おそらくそうなのだろう。
ウィルス感染という段階を経て、一卵性双生児の双子だけが生き残り、それぞれ繁殖させる側と、抑える側の抗体となってしまった。そのことによって得た能力が、一途に恋のために使われた前半に対し、中盤、ジーンという新たな登場人物を経て、ストーリーは、世界を征服する、という方向に話が展開されていく。ところが、そのジーンも殺されてしまい、残されたウィルスの処方箋がばら撒かれてそれを探さなければいけないという後半にもつれこむ。
「思う気持ち」だけで、最初、流水はよくこれほど次々と人殺しができるものだと感心した。これもジーン・ジョンソンの登場で幅が出て読みやすくなり、無理もなくなっていく。登場人物の少年たちの体は、どう見ても青年の体だという描き方もちょっと気にならなくはない。だいたい、当麻克之みたいな男子高校生がいるはずもない。
と、言ってしまえば、この話自体があるはずもなくなってしまうので、無効になってしまうのだが、ストーリー自体に重点をおけば、あまり気にならない。登場人物たちの熱さも、この程度でなければ話自体のあつさもカバーできないし、しれっとした人間が面白みのないように、話を面白くするためには、登場人物もいわずもがな選択されるということだ。(C)少女マンガ名作選
テレビドラマ化されたのは「闇のパープルアイ」の方だったが、未だにコミックスが出まわっているところを見ると、その人気のほどが伺える。
確かに、誰もが一度は想像する、「ある日目ざめて、自分の当たり前だった世界が崩壊し、親しい人が別人のようになって、誰も頼れなくなったらどうしよう」という不安が、目の前で実現して描かれるのだから、怖い。さらに、「ある日空を飛べ、壁を抜け、かつヒーローに守られながら、活躍する作品のヒロインになれたら」という思いまで実現しようというのだから、贅沢でさえある。またその度ごとに、危機をしかけて危機を乗り切らせて行く篠原のアイデアも、尽きず出てくる。意外な展開と、「やはり」な展開の繰り返し、篠原が作品をひきつける手法であり魅力だろう。
たくさんのものを失っていく。得るものなどほとんどない。最後まで、ハッピーエンドをのぞみながら、ハッピーエンドを望めない、不幸なこの物語は、物語が終わっても不幸だけが生き続ける。幸福ではないラストは、否ではないが、あまり印象には残らない。
それ以上に、作品内部に漂う恐怖、哀しみ、そして激しさが、作品を繰り返し読ませる原動力となっているのだ。