少女マンガ名作選作品リスト

担当者:咲花圭良  作成日:1999/8/4

作 品

吉祥天女

作 者

吉田秋生

コミックス

フラワーコミックス(小学館・全四巻)、小学館文庫(全二巻)

初 版

―――

初 出

1983年 別冊少女コミック三月号より連載。

登場人物:叶小夜子、遠野涼、遠野暁(涼の従兄弟)、麻井由似子、大野麻利、松本(涼の友達)、浮子(小夜子の義理のおば、遠野暁に実のおば)、小川雪政(小夜子の付き人)、大沢、今井久子、根津先生、麻井鷹志、

あらすじ:高校二年の新学期早々、麻井由似子のクラスに転校生がやってきた。美貌の転校生叶小夜子はたちまち女子生徒の人気の的となり、男子生徒の憧れの的ともなった。彼女はこの町の天女伝説で、天女が嫁いだ家の子孫の家である旧家、名門の家である、叶家の三女だった。六歳の時、祖母の知人の家に引き取られたのだが、今回実家に戻ってきたのだった。
 小夜子は転校早々、クラスメイトの涼が感心を持ち始めたことから、その彼女の今井久子にうとまれ、その友人たちに屋上に呼び出されることになる。そこを涼が機転をきかせ助けたのであるが、しかしそのために返って由似子や麻利との帰り道、久子は仲間の男子生徒を使っての強姦をしかけようとした。ところが小夜子はその大人しい容貌とは裏腹、男相手に形勢を逆転し、正当防衛という名の元に男子生徒ののど元を貫くと脅し、全員引き上げさせることになる。
 一方涼は、共に暮らす従兄の暁がその美貌と、事件の顛末に興味を持ち、小夜子との仲を取り持ってほしいと頼まれる。立場上、暁に逆らえない涼は屋上へ小夜子を呼び出してその話を持ち出すのだが、その現場を根津教員に見とがめられ、誤解を受けた二人は放課後、生徒指導室に呼び出されることになる。涼は一人ふけようとし、小夜子だけが生徒指導室に行ったのだが、そこで小夜子は根津に暴行されそうになり、逃げ出してきたところを由似子にひきとめられた涼が発見することになる。しかし根津は、暴行しようとした経緯を全く記憶していなかった。(C)咲花圭良
 やがて、叶家で養女先から帰って来た小夜子の「お披露目」がなされることになった。山林資産数億で、実質的資産に逼迫している叶家の唯一の独身女性である小夜子のお披露目は、事実上、婿候補の品評会でもあったのだが、特に不動産業に手を出す遠野建設の息子暁と従弟の涼は、小夜子の父と遠野の父の、資産運営上の利害が一致するために、是非とも婚約をさせたいという思惑で招待されたのだった。
 涼は全く乗り気ではなかったが、暁は乗り気だった。しかし、その後、暁に小夜子がなびかず、そのプライドを傷つけたため、暁は次々と報復手段に出るようになる。しかし小夜子自身が傷つくことはなく、周囲に不審な死者が増えていくばかりだった。

コメント:吉田秋生の作品はハードである。それは「BANANA FISH」のように、内容が実際的に血を流し闘い、命にかかわるようなハードな場合もあり、また、感情的な「痛み」を伴うハードさもある。主人公たちは、いつも理不尽な境遇に置かれ、何ものから脱出しようとあがくことが多い。ところが、「桜の園」はそうしたハードさから一線を隔した、多感な女子高生たちを描く、吉田には珍しい種の作品であったが、ある意味で、上記条件を満たしてしまう秀作が、この「吉祥天女」なのではないだろうか。

 「吉祥天女」の小夜子は、男性にとっては、ある意味、悪女にも映るだろう。人によっては、なぜ、「吉祥天女」なのかと問いたくもなるだろう。しかし、吉田にとってはやはり彼女は吉祥天女なのである。「吉祥天女」という語そのものは、「日本霊異記」(※)からの参考というように書かれている。天女の肖像があまりに美しく、恋するあまり、僧が夢の中で欲情し、その天女を抱いたという話であるが、このエピソードは作品の中で次の言葉によって生かされている。
「わたしにはわかるのよ 男たちがどんな目で自分を見てるか 何度妄想の中でわたしを犯したか…」
 小夜子は何もしない。ただそこに存在するだけで、男たちは彼女の上に妄想をべっとりと塗りつける。彼女が本当に天女なら良かった。肖像ならよかった。しかし、彼女は生身の人間で、感情のある生き物なのだ。そしてさらに不幸なことに、男のそうした妄想を感じとってしまえる力を持つ、天女の子孫でもあった。
 しかし実は、男の妄想とは小夜子という美貌の人に限ったことではないのだ。ただ、美貌の人である小夜子に如実に表れる、というだけに過ぎない。望むと望まざると、女は皆、その宿命を背負わされる。妄想を抱かれ、実現しようという男のいいなりになれば、自分を殺すことになる。自分の意思を殺さず、守ろうとすれば、相手を殺すことになる。小夜子は後者を選択したに過ぎず、「吉祥天女」でそこはかとなく、時にははっきりと漂う、「哀しみ」は、そういう哀しみでもあるのだ
 男性にとっては悪女と映るかもしれない。逆に男が犯されたとさえも映るかもしれない。しかし、小夜子は自分の身とプライド、ひいては自分の精神を守るための闘いをしているに過ぎないのだ。(C)少女マンガ名作選
 男の「妄想の中にいる女」と同じようになれ、と強いられた時、”知ったもんですか、いやなものは、いやなのよ。”と言った。――ただ、それだけなのだ。

 さらに、天女とは、無闇に至福を与える存在ではないことも忘れてはならない。日本の民俗学でも祀られず、敬えられない神は、オニとなって里人に災いをなす、と説かれている。小夜子とて、同様の手段をとったにすぎない。だから祀られた時に至福を与える天女は、由似子にこう噂される。
「あの人ねえ…あたしの理想だったんだ」

 ただ個人的には、小夜子が涼へ「あなたが暁くんでなくてよかった」というせりふ、もし涼が暁の立場だったなら、もしかしたら小夜子の計略の遂行は難しかったかもしれなかったのではないか、などと考えてしまう。涼がセンシティブであったというだけでなく、涼が相手だと本気になってしまったかもしれない、という懸念があるからだ。図らずも失った恋人への最後のキスは、作品の中で唯一の本当のキスだったのかもしれない。小夜子が流した涙に、怖い女ではなく、天女としてではなく、人間の女としての恋情を見た気がした。

※「日本霊異記」…(にほんりょういき・にほんれいいき)景戒編。平安時代の説話集。上・中・下の全三巻から成る。正式名称は「日本国現報善悪霊異記」。「吉祥天女」で参考に上げられているのは、中巻第十三、「愛欲を生じ吉祥天女の像に恋ひ、感応して奇しき表を示す縁」である。この話は、聖武天皇の時代、和泉の国に住む僧が、吉祥天女の肖像に愛欲を覚え、毎日の勤行のたびに「天女の如き容好き女を我に賜へ」と願いつづけた所、夢で天女の像と交わり、明くる日その肖像を見ると、腰衣の裾が不浄(淫精)で汚れていたというエピソードである。深く信じて、願をたてれば、修行者に禁じられている欲望の方面ででさえ適うということを説いたものであるらしい。(参考文献…日本古典文学大系・岩波書店)

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