咲花倉庫少女マンガ名作選特集・竹宮恵子

担当者:飯塚  作成日:1999/7/1

作   品

 風と木の詩

コミックス

 フラワーコミックス(全17巻 小学館)
 白泉社文庫(全10巻 白泉社)他

初   版

 小学館フラワーコミックス「風と木の詩」第1巻 昭和52年5月20日

初   出

 週刊少女コミック(小学館)昭和51年第10号より連載

登場人物

 
 セルジュ・バトゥール:主人公。14歳。真っ直ぐな気性の少年。。
 ジルベール・コクトー:主人公。14歳。孤高の美を誇る少年。
 オーギュスト・ボウ :ジルベールの叔父。
 ボナール      :彫刻家にして男色家。オーギュストとは犬猿の仲。
 パスカル、カール他 :学院でのセルジュの友人たち。
 パトリシア     :パスカルの妹。セルジュに惹かれる。
 アンジェリン    :セルジュの従姉妹。セルジュに恋する。
 ロスマリネ     :学院の生徒総監。
 ジュール      :ロスマリネの陰。
 他

あらすじ


 19世紀末の南フランス。セルジュは、父の母校ラコンブラード学院に転入してきた。学院長の部屋へ通されたセルジュは、そこで一人の少年に出会う。その少年こそ彼の人生を大きく変える事になるジルベールだった。寮で彼と同室になったセルジュは、娼婦のような生活を送っている彼をどうにかして普通の少年にしようとする。しかし、彼は肌を触れ合わせる事によって人を測り、また、ありのままの自分を認めない全ての人間を拒絶するのだった。
 セルジュは、かつては父の学友であった教師達や友人達と心通わせて学院生活を満喫する一方、ジルベールに惹かれて行く自分に気づき戸惑う。ジルベールはあまりにも美しく、そして誇り高かった。他人から蔑視されながらも自分を曲げないジルベールに、セルジュは共感せずにはいられなかった。セルジュもまたジプシーを母に持つ為に、蔑視され生きてきたのだ。冬の休暇をパスカル宅で過ごし学院に戻ったセルジュに、憔悴しきったジルベールがベッドを共にするよう懇願する。普段は高慢なのに、彼に何があったのか。躊躇しながらも願いを汲んだセルジュは、肌と肌の触れ合いに不思議な安堵を覚えた。この事実は生徒総監ロスマリネの知る所となり、学院を陰で牛耳る人物、ジルベールの叔父のオーギュスト・ボウに報告される。

*

 マルセイユ、“ケルビム・デ・ラ・メール―「海の天使」城”、そこでジルベールは生まれた。しかし彼の誕生は母親にまで呪われ、5歳まで肉親の愛情・教育を一切受けずに成長した。その後オーギュストに出会ってからは、彼の意のままに育てられ、9歳でボナールに強姦されてしまう。ぼろぼろに傷つき戻ったジルベールには、誇りも意地もなかった。彼を前に、オーギュストは性に汚されて行った、かつての自分を見た。自我の崩壊を防ぐには、より大きな力の支配しかないのだ。自分自身がそれになって、ジルベールを支配する――オーギュストはジルベールを性の相手として扱った。しかし、ジルベールはオーギュストに屈することなく、それを愛と受け取り、より一層自信に満ち輝いた。
 二人はパリに移り住む。社交界の寵児となったジルベールだが、眩しいほどの彼にオーギュストの気持ちは冷めて行くばかりだった。ボナールとの再会、それはジルベールの心の傷を再び開いた。しかし、それにすら打ちのめされる事はなく、開き直るジルベール。そんな彼にオーギュストの手ひどい仕打ちがなされた。ボナールの元へ身を寄せるジルベールだったが、心はオーギュストを焦がれ続けた。ヴァンセンヌの森でのボナールとオーギュストの決闘で決着が付けられ、オーギュストの元に戻った彼だったが、ラコンブラード学院へと転入させられた。ジルベール、11歳の時であった。執筆・飯塚

 セルジュの父と母は、子爵家の跡取りとジプシーの娼婦という関係で、一切合切を捨てて駆け落ちして結ばれていた。セルジュは両親の愛を一身に受けチロルで生まれ育ったが、両親とは3歳の時に死別してしまう。祖父の遺言によって子爵家に迎えられ、跡取りとしての教育を受けるが、正式なお披露目の日に最後の肉親の祖母が他界してしまう。子爵家の財産に目が眩んだ伯母の策略によって、苦境に立たされるセルジュ。しかし使用人達の優しい心遣いによって、徐々に立ち直っていった。父から受け継いだピアノの才能を伯母のサロンで披露する事で、時には救われ、時にはその生まれを辱められる事もあった。子爵家に居座った伯母の娘・アンジェリンとの出会い、そして彼女との交流、子どもらしい日々を過ごす事になる。しかし、アンジェリンの激しいまでのセルジュに対する恋心は悲しい事件を引き起こし、セルジュは全寮制の父の母校に行く決心をする。

*

 セルジュが自分の思いをまだ認めぬうちから、オーギュストはセルジュとジルベールを引き離そうとした。夏の休暇、学院に残っていた二人はマルセイユに呼ばれる。そこでセルジュはオーギュストとジルベールの関係を思い知らされる。二人の関係を知っても、尚、ジルベールをいとおしく思うセルジュだった。ジルベールにオーギュストとの関係を絶つよう試みるものの、ジルベールは承知しない。逆にオーギュストの手に落ちてしまったセルジュは、その事実をジルベールに伝えてしまう。オーギュストが彼を「ペットとして育てた」と言った事をも。オーギュストの元にいては自分が駄目になって行く事に気づき始めていたジルベールは、あれだけ焦がれたマルセイユを後にセルジュと共に学院へ戻った。しかし学院に居ては、ジルベールの渇きは癒されるわけはなかった。渇きを満たせるのは唯一オーギュストだけだったのだ。セルジュは葛藤する。ジルベールに対する恋心を認めつつも、最後の扉を開けられないでいた。――しかし、セルジュは決心をする。ジルベールは、罪を犯してまでも手に入れる価値のある相手だと。やがて二人は身も心も結ばれる。結ばれてしまった二人は、もう、相手を失えなくなっていた。二人を執拗に引き離そうとするオーギュスト。不本意ながらもそれに荷担するロスマリネ。ロスマリネもまた、オーギュストの汚い手管に落ちていたのだ。追いつめられたセルジュとジルベールは、学院を後に、パリへと逃げて行く。――チロルへ行くはずだった。しかし二人の逃亡に手を貸したロスマリネの言葉、「計画通りでは、いずれ捕まる」という言葉にセルジュは計画を変えたのだった。

 パリでの二人の生活が始まった。しかし、それは決して甘美で満たされたものではなかった。ただ美しく存在すら感じさせないジルベール、そして現実を満たそうとするセルジュ。二人のすれ違いが続く中、ストーリーは胸の裂けるような悲劇へと進んで行く――。

コメント

 
 この作品は、セルジュの1年数ヶ月の学院生活の合間に、セルジュとジルベールのそれぞれの生い立ちを描き、二人のパリでの暮らしで終わる。二人の生い立ちのエピソードに至っては、それだけで独立した作品にも成りうるような内容だが、それなくして全体を深く理解する事はできないだろう。舞台も19世紀、南フランス、豊かな自然、マルセイユの海、海に臨む城(「海の天使城」と言う心憎いネーミングそのものがジルベールを象徴しているかのようだ)、片田舎の全寮制男子校、森、そしてパリ、というように魅力的である。竹宮惠子の流麗ながら力強い筆致の描き出す世界は、美しい限りだ。無駄のないストーリー構成で、ぐいぐい作品世界に引き込んでゆく。空想の彼方まで思いを馳せ、堪能させられてしまう。
 この作品を初めて読んだのは10代の半ばだった。どんな印象だったのか、はっきりとは覚えていないが、人は誰でも性の前に泥臭く汚れて行く、と言うオーギュストの言葉だけはいつまでも忘れられなかった。少女漫画誌に連載され、読み手の多くは10代の少女だったはずである。衝撃的な内容にも関わらず、連載当時から多くの反響を呼んだ。あれから20年経って、ごく最近全編を通して読む事ができた。少しも瑞々しさを失わないどころか、より一層輝きを放って現れたこの作品の姿に驚くばかりだった。
 セルジュとジルベール、この二人の運命的な出会いと崇高な愛の物語・・・。それがこの作品の素直な感想だった。失った後に心に浮かび来る愛しいその人の姿は、いつも後ろ姿。恋焦がれ、目で追い続けるしかなかった日々。読み終わった時には、切ない思いで胸が張り裂けそうだった。その純粋さに囚われながらも、やがて見えてきたものは人間が生まれながらにして持っている「孤独」だった。どんなに愛し合っていても、決してお互いを本当に理解しあえる事はない、と言う事実。そんなどうしようもない「孤独」を作者は描きたかったんだと思う。
 セルジュは、ジルベールと二人きりで暮らしても失ったものへの未練が捨て切れず、自分が多大な「代償」を支払ったという意識が常につきまとう。結局人間は、誰だって自分が一番大事なのかも知れない。それに対しジルベールのセルジュに対する愛情は無償で、常に刹那的で限界まで愛を渇望する。結局は「普通の人」でしかないセルジュは、そんなジルベールに応えられきれずに悲劇を迎える事になってしまう。愛し合っているのに、二人が満たされる事はない。セルジュの青臭いまでの世間知らずな行いが、二人には妥協も譲り合いもない事を示唆する。二人の純粋さ、それが結局は悲劇を引き起こし、この結末はどうやっても免れない事を読み手に伝える。二人の愛が本物である事が痛いほど伝わってくるから、読み手は胸をえぐられるような思いを受ける。
 また、セルジュとジルベールの二人に代表されるように、作品の中の人物たちは、ことごとく対立する立場にある。オーギュストとボナール、ロスマリネとジュール・・・。ジルベールとオーギュストも対峙する位置にある。ジルベールは強姦されながらも結局は肉体の結び付きを受け入れて、その感触こそが他人を測る唯一の手段になった。それに対しオーギュストは義兄の病的性癖の為に養子に迎え入れられた為、肉体の結び付きは屈辱以外の何物でもなかった。ジルベールにとっては、セルジュにしてもオーギュストにしても相容れないものを持つパートナーだったのである。
 20年前のあの時は、まだ知らぬ性の世界を暗示するだけだったのに、今は現実をなんと克明に写し出す鏡になっていることか。倒錯的なまでの性の世界、究極の愛の世界を描いていると言う事実にも増して、鮮やかに「現実」を描き出している事は否めないだろう。
 この作品に限らず、作者竹宮惠子は「人間としての魅力」を語ろうとする。それは既製のヒューマニズムにのっとった考え方ではなくて、性別も年齢も関係なく、如何にその人が魅力的であるか、見た目の美しさひとつをとっても、女性だからとか男性だからとかいう概念を抜きにした美しさ、社会的に受け入れられなくても美しいものは美しいという美しさ、そう言った「価値」を抜いた魅力、絶対的な魅力を認めようと語り掛けてくる。ジルベールはそれを具象化した存在だと言えるだろう。彼の特異な生い立ち、実験的な存在まで言及せずとも、彼が女性ではないこと、女性ではないのにセルジュの魂が惹かれたこと、それだけでも十分説明がつく。セルジュ自身も作中で自分に問い掛けている。男女が惹かれ合うのは言わば本能のなせる業だが、ではなぜ男性であるジルベールに惹かれてしまうのか?男性なのに、なぜジルベールがセルジュを引き付けるのか?この作品が少年同士の愛情の物語に成らざるを得なかった理由がここにある。(C)少女マンガ名作選

 ストーリーに何よりも心が奪われてしまうが、この作品がマンガであることを確認しておきたい。この作品はマンガと言う表現方法を使わなければ、これほどまでにすばらしい作品になり得なかったのではないか。小説では、読み手の空想の余地がありすぎて、作者の意図がまっすぐに読み手に伝わらないかもしれない。映像が伴うと、かえって下世話な印象を与えたと思われる。マンガだからこそ、ジルベールの美しさを見たままに素直に認められるし、色や音、動きは読み手の想像に任されてくるのだ。(余談ですが、安彦良和氏が監督してアニメを作成したのに、売れ行きははかばかしくなかったようです。きっとアニメ自体の出来の問題以前に、アニメにしてしまうと、それはもう別の作品になってしまっていたからだと思います。)

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