咲花圭良少女マンガ名作選特集・吉野朔実作品リスト

担当者:咲花圭良 作成日:2001/03/26

作  品

いたいけな瞳

コミックス

ぶーけコミックスワイド版(集英社・全8巻)

初  版

1、1991/3/20 2、11/20 3、1992/3/18 4、7/20 5、11/18 6、1993/2/20 7、4/20 8、8/14

収録ストーリー

1 1〜4話 2 5〜8話 3 9〜12話 4 13〜16話 
5 17〜20話  6 21〜24話 7 25〜27話 
8 28〜最終話    ※作品一覧

コ メ ン ト

 長編ばかり書いていたから短編連載をしたくなり、はじめたのが、この「いたいけな瞳」である、というのが吉野本人の言である。「いたいけな瞳」とひとくくりにされた短編集であるが、その中には「いたいけな瞳」と題する作品があるわけではない。
 が、すべての短編をまとめるために提出されたタイトル、「いたいけな瞳」が何を意味するのか、と、つきつめていけば、何を主題として物語が編まれていったのか自ずと見えてくるかもしれない。
 表題作ではないが、最初のストーリー「ラブレター」に、
「目で見ているものの不確かさと見えないものへの期待と信頼
 真昼の空にも星は光る
 それはきみを恋する気持ちに似ている」
とある。
 そこに確かに存在するはずなのに、実際見えるわけではない。自分以外の人の心というのも、そういったものである。そういった不確かなものを描き出して行くのが、この「いたいけな瞳」であるような気がする。
 いたいけな、とは、幼い、という意味であるが、これを合わせ持つ年齢にまで引き下げていくと、「無垢な」というのと同義ではないかと思う。幼い瞳としてだけで読むと、なかなかシビアなことを書いた作品や、難しいことを書いた作品が多いからだ。姉にとって先妻である人が庭に植えていったバラを刈り取ってしまう「ローズフレークス」、嫉妬から友人を殺し、その罪を抱えて生きる「月の桂」などはその端的な例だろう。
 そうした例を見ると、「いたいけな」を、決して、「幼い」と限定してはいけないような気がする。人というものは、時として、その主観に立ってものを見つめるために、事象を曲げて受け取る傾向があるが、それを、曲げないでまっすぐにみつめ、汚い感情も、美しいものも、素直に受けとめるには、それこそ無垢な(=純粋客観の)瞳―――いたいけな瞳が、ある意味必要なのだ。そして、そうした人間の事象を素直に観察して描き出した作品たち、というような印象を、「いたいけな瞳」という短編集から受ける。
 さらに、そうした無垢な瞳で描き出したというだけでなく、冒頭作品「ラブレター」にもあったように、形にならない気持ちを、実際言葉で切ってしまわずに表現していることも多い。
 「ローズフレーク」や「月の桂」では、あえて言葉にするなら、嫉妬や怒り、あるいは悔恨が、言葉として切り取られることなく行動を描くことで表現され、「橡(つるばみ)」や、「百合の吐息」では「好き」という気持ちが言葉にならずに描き出される。(C)少女マンガ名作選
 また、当人たちが自分自身の見えないものに気付かなかったことが描かれることもあり、好きだという気持ちに気付かずに生み出した悲劇「花の眠る庭」、妻の死を受けとめられず、またその存在がどれほど大切だったかを言葉でなく行動で表現させてみせた「死は確かなもの 生は不確かなもの」、逆に、見えない愛を形にすることを求めた「いつも心にスキップを」「嘘をつかずに男を騙す方法について」がある。
 あるいは、未だ起こらないことへの子供たちの想像力が生み出す恐怖を描く「幼女誘拐」「恐怖のおともだち」、実際目に見えないものを特別な形でみる「自殺の心得」「夢喰い」「夢の格子」などもある。
 それぞれに、それぞれの作品で、目に見えない気持ち、目に見えない大切なものを、事象として客観的に描くことによって、切りとって表現してみせているのだ。
 「いたいけな瞳」とは、おそらく、こうしたコンセプトの元に描かれて短編だったのだろうと思う。

 とまれ、そんな理屈くさいことよりも、問題は、そうした見えないはずのものたちを描き出すことによって表現されるせつなさを味わうことの方がたいせつなような気がする。
 全部で三十一話あるが、短編集で三十一話もあるのに、意外と心に残る作品が多い。「タイトルは忘れてしまったけど、ホラホラあの話」といって、思い浮かばされることが多いのだ。おそらく、人それぞれに思い浮ぶ作品は違っているだろう。私などは「月の桂」や「死は確かなもの 生は不確かなもの」は、初読のとき衝撃的で、何度も読み返した覚えがある。「橡(つるばみ)」や、「百合の吐息」はあまりに切なく、「おとうさんといっしょ」は、なるほどな、とちょっと感心したりもした。
 個々の作品の出来がいいのに、短編集というだけで代表作には数え上げられない。しかし、短編だからといって見逃すのも惜しい作品がたくさんある。
 また、この短編集で面白いところは、短編集なのに、時々登場人物がかぶっていることで、「夢喰い」「夢の格子」の燿(かがり)、「嘘をつかずに男を騙す方法について」「いつも心にスキップを」のスキップ、「百合の吐息」などに登場する大学教授伊吹、「愛が怖くてテロが出来るか」のテロリストがいる。たぶん、使いやすいし、同じような特徴を持つキャラクターを別人物として描くよりは、同じにしてしまおう、という考えからか、あるいは、前の話がその登場人物でふくらんだからではないだろうか。
 と、考えると、結果的に三十一話になっただけで、最初から三十一話書くつもりもなかったのかもしれない。一つのテーマでどれだけ話ができるか、という吉野の挑戦だったのだろうが、一つのキャラクターから別のキャラクターが生まれたり、後の「ECCENTRICS」で登場する人物たちが、数人すでに登場していることから、作家の想像力というのは無限で、いろんな広がりが可能であるのだ、ということがわかる。
 短編による長期連載というのも、変わった試みである。竹宮恵子「わたしを月につれてって!」や、魔夜峰男「パタリロ!」など、それが得意な分野の人で実際連載している人もいるが、吉野の場合おそらく、最後まで話の出来あがった長編の方が得意ではないかと思うのだ。にもかかわらず、挑戦をやってのけるのだから、この人が決して代表作と呼ばれる作品を生み出しても、それだけに満足していないというのがわかるような気がする。そういう作品に取り組む純粋さがあるからこそ、「いたいけな瞳」の繊細さを生み出せるのではないかと思うのだ。
 決して、うがちでも、かいかぶりでもなく、である。

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