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巫女姫物語

― 第1部 ―

 
 


 
 
 (二)
 
 
 

 村はずれにある小屋に、小夜は男を運んだ。
 小夜は男を小屋――といっても板間で、村人が猟をするときなどに使っている――の中央にある囲炉裏を避けて、宙に浮かせたまま男を奥へと滑り込ませた。
 小夜がふと気を緩めると、宙に浮いていた男がドサリと音を立てて板間の上に落ちた。彼女はその床に落ちた男をみつめながら、肩で大きく息をした。いくら手で体を使って運ばないとはいえ、甲冑を身につけた男一人を運ぶのは、かなりきつい。
 小夜は息を整えると、土間から床に上がり、男のそばまで歩いてかがんだ。横向きの体をうつむかせた。
 男の意識は依然としてない。
 小夜はとりあえず甲冑を外し、肩の辺の血に染まった布をめくる。
 太刀傷だ。
 小夜は自分の小袖の袖をさいて男の肩にあて、血止めをした。血止めの上から手をあてて、その傷に気をこめて「手当て」をした。
 囲炉裏に火を起こした。その火を調節しながら男の額に触れる。かなり熱があって、体中汗をかいている。
 予備の薪も薬もない。とりにかえらねば。
 小夜は表に出てピタリと戸を閉めると、上空を見上げて、ハヤテを呼んだ。

 
 五年前だ。
 あの冬も、確かこんなふうにはやる心でハヤテにのった。治療道具を取りに戻ることに気がせいただけでなく、あの頃は全く経験がなかったから、取りに戻る間にも男が死んでしまうのではないかと不安で不安でたまらなかったのもあった。何をするにも手が震えた。男――男というより少年だった――は背中を獣か何かに襲われた様だった。身なりは百姓のそれだし、年は小夜とあまり変わらない様子だった。
 小夜は巫女姫になるための修行の合間合間を見ては、この小屋に通ったのだ。止血し、汗をぬぐい、頭部を冷やしてやる。それでも、少年は三日間眠り続けた。三日目の明け方、ようやく峠を越して幾分か熱もひいた。
 少年が目を覚ましたのは、四日目の朝だった。
 日が昇り、山の動物たちが起き出す頃、バタバタと飛び立つ鳥の羽音で気がついたのだ。
 その時、小夜は修行と看病に明け暮れて四日間不眠の上、少年の傷を治すために使った力の疲れが、どっと出たのだろう、少年の熱がひいたためにほっとしたのか、いつの間にか少年の傍らで寝入ってしまっていたのだ。
 見慣れぬ視界に、少年は体を起こそうとして、背中に激しい痛みが走ったのだった。
「ううっ!」
 それで少年は、何があったのか思い出した。
 そうだった。俺は山を越える途中、獣に襲われて背中をやられたのだ。じゃあ俺は助かったのか? どうして―――。
 そうしてようやく彼は、隣で熟睡している少女に気付いたのだ。少女は少年の立てる物音に目を覚ますと、はっとして顔を上げた。
 いつの間に寝入ってしまったのか、気がつくと、目の前で寝ているはずの少年が、片肘をついて小夜を見ている。
「まだ、起き上がってはなりません。」
小夜は慌てて起き上がると、少年を寝かしつけにかかった。少年はされるままに横になった。
「気分はどうですか?」
小夜は少年の顔を見て尋ねた。
「ああ――気分は悪くない。すごく体が重いけど。あんたが俺の手当てを?」
「ええ、三日間熱が下がらなかったんですよ。背中の傷は痛みますか?」
「かなり。」
「背中に三本、爪痕がついていて、中の一本が少し深かったので、止血に時間がかかりました。でも、激しく動かさなければ大丈夫だと思います。」
 小夜は囲炉裏にかけてある鍋の蓋を開いた。少年が熱でうなされている間も、口から薬やかゆの汁を流し込んでいたが、呼吸がおさまってきたらきちんとしたものを食べさせねばといろいろ用意しておいたのだ。
 小夜は、囲炉裏にかけてある鍋で予めわかしておいた湯に米を入れた。
「ここはどのあたりかな。」
「大木村です。峠から一里ほどの所です。」
「あんたはその、大木村の人?」
「そうです。小夜といいます。あなたはどちらの方ですか?」
「おれは――ずっと北の方の、高野という所から来た。朔次郎という。」
「また、どうしてこのような所へ? 峠を越えるために来たのですか?」
小夜のこの質問に、朔次郎は、すぐには答えなかった。少し間があって、
「子細は言えませんが―――、助けてくれたこと、ありがたく思う。」
少年はどこか鎮痛な面持ちだった。その少年をみつめて、小夜もそれ以上は問いただそうとはしなかった。
 二人の間には沈黙しかなくなった。
 やがて、鍋がふつふつと音を立て始める。
 小夜は鍋のふたを開け、かき混ぜると、椀につぎ、白湯と一緒に盆に載せ、朔次郎の傍らへと運んできた。朔次郎が起き上がるような素振りを見せると、
「起き上がってはなりません。」
と、盆を横において彼を制した。
「でも」
「食べさせたあげます。」
小夜はさじでかゆをかきまぜながら言った。少しだけさじですくって、「はい、あーん。」と口をあけた。朔次郎は突然のことに度肝を抜かれためらっていると、小夜は横になった彼の頭の下に片方の手を入れ、頭を支えあげた。そしてまた「あーん。」と口を開けて見せる。
 この年の子は普通なら恥ずかしがってここまでしようとは思いもよらない。
 小夜は彼の頭を抱え込んでまるで母親のようだ。
「どうしました、口をお開けなされ。」
平然と言い放つ小夜に、彼もとうとう観念して「あーん。」と口を開けた。支えてもらっているものの、やはりまだ傷が痛むのか、飲み込むときに顔をしかめた。
「熱かったですか?」
「いや、大丈夫。」
小夜は再び椀からかゆをすくうとふうふう吹いて、同じ様に「あーん」と口を開けた。食べさせてもらっている朔次郎の方が恥ずかしくてたまらない。こんな年の近い少女がまるで母親がする様に自分を扱うのである。しかし小夜の方はまるで当然のことのようにしているのだ。
 無理もない。
 小夜はその巫女姫としての力の片鱗を示したときから、巫女姫としての運命が決まっていた。折しも乱世、村を守るためにもより高く安定した力を持った巫女姫が必要であった。故に小夜の修行は七つの頃から始まる。
 普通の子供とは違う生き方をしてきて、人との接し方がそもそも違う。さらに、神の嫁であり一人の男のものとなることは許されないから、色恋沙汰も原則としてご法度なのだ。
 それに、気を読み操るだけでなく、読み書きなぞは当然のことであったが、周辺の事情や歴史、薬草や医師としての知識も必要とされた。巫女姫は、巫女だけでなく医師でもある。
 「普通の娘」ではないのだ。
 とうとう、朔次郎は小夜に甘んじた。
 小夜の胸から心臓の鼓動が聞こえる。温かい。自然と心が安らいでいく。
 しかしどうして、何も知らない少女に、こんなに心が和むのだろう。
 朔次郎は腹が満たされるにつれ、次第に眠くなってきた。
 小夜に頭を起こしてもらって白湯をもらう。目がとろんとしてきた。
 カチャカチャと食器を片付けている音が聞こえる。
「小夜?」
ぼんやりした頭、ぼんやりした視界の中で小夜を呼ぶ。
「また少し、お眠りなさいませ。まだ少し熱があるようです。昼過ぎにまた参りますので。」
小夜は、まるで夢の中の人のように語りかける。
 小夜、小夜、お前は、誰だ――。いったい、何者――
 尋ねたいのに、睡魔に襲われて口が動かなかった。いつの間にか部屋の静寂に包まれるように、眠りの底へとひきこまれていった。

 
 雪がしきりに降って、視界はずいぶん悪かった。
 戦は劣勢で、敗色の色が濃い。敵は敗走する本陣にまで迫っていた。
「お館様、お館様――、お逃げください。お館様――!」
雪の中で敵からの攻撃を防ぎながら、彼は叫んだ。応戦しながら、後方で味方の逃げて行くのが分かる。騎上にいる彼に向けられた矢をはらい、敵方をちらりちらりと見ながら、攻め寄る敵の刀をかわし後退した。
「引けー、引けー。」
彼は部下に指揮していた。振り返り、行こうとしたその時だ。
 消えかけた視界の中から、肩に鋭いものが光った。
 ズバッ!
 うあああああああ――――――――――!
 ビクン、となって目が覚めた。
 体の熱さを感じながら、目を開く。真っ白だったはずの視界が暗い。壁や床の板がぼんやりと見て取れる。囲炉裏の香。さっきまでの夢の中の光景が嘘のようだ。
 布団の中、汗でびっしょりになっているのがわかる。何故だろう、この感じ、この家、覚えがある―――。
 壁に向かって起き上がろうとして、肩に激しい痛みを感じた。
「くっ…!」
「まだ起き上がってはならぬ。」
後ろから凛とした女の声がして、彼は慌てて振り返った。
「肩の傷がまだ癒えてはおらぬ。熱もさがっておらぬのだから、おとなしく寝ておれ。」
男は女の姿を見て思わず目を見開いた。それから呆然と彼女をみつめた。
「三日三晩うなされていたのだ。途中、何度何を含ませても起きなんだ。」
彼女は水を張ったたらいと布を運んできて、男の隣に置いた。その水に布をつけて絞る。
「ほら、寝ておれというに。」
男は小夜から目を離さず、おとなしく横になった。すると、小夜は男の体を頭から順に拭き始めた。
 彼は小夜の顔をみつめながら、息を飲んだ。それから、
「小夜、お前、小夜ではないのか?」
男はそうきいた。小夜は何も答えず、ただ黙々とふき続けた。
「小夜?」
首から肩へ、肩から胸へとふいていく。
「いや」男は小夜の手に手をおいて、その動きを制した。
「もういい。すまぬ。後は自分でやるから。」
小夜は手を止めて、男の手をじっと見たが、別に抗うでもなく布から手を離した。
 男は左肩に受けた傷をかばいながら、ゆっくりと起き上がる。それだけの動作でもこたえるのか、ぜいぜい言いながら起き上がった。何とか腰を落ち着かせると、体を拭き始めた。その間小夜は男のすることに目もくれず、黙々と食事の用意をしていた。
 男はちらちらと小夜の姿をうかがった。
 あの後ろ姿見覚えがある。何よりもこの季節に、あの薄着。その服の上からでもわかる、体つきが女らしくなったが、立ち居振る舞いが相変わらずすっきりしていて、何よりもあの顔、あの声。
 小夜ではないのかという疑問が起こる。
 もし小夜なら立派になったと思う。が、それと同時に、あの小夜とは信じられぬヒトらしからぬ冷たさがあった。だから、もしかしたら違うのではないかという疑問が頭をよぎったのである。もしかしたら、よく似た誰かかもしれない。
 とにかく彼が今、一番気になるのは、この女の正体だった。
「ここは大木村だろうか。」
男は尋ねた。
「そうだ。」
女の答えに、やはり、と男は思った。
「お前が助けてくれたのか。」
きいたが、今度は女は答えなかった。
 一体、どこをどう走ったのだろう。あの時、切られた後、振り返って切った男をにらみつけ、馬上からその男を叩き切った。その迫力に押されて後ずさった手勢を夢中で追い払うと、やみくもに馬を走らせた。味方はどうなったかわからず、部下も途中ではぐれたようだった。雪の降る中、傷を受けて気を失いそうになるのを何度もこらえ、馬の背にしがみついていた。
 どこをどう走ったかは覚えていない。
 とにかく戦場ではないが、敵の領地に逃げ込んでしまったのだ。
「食べるだけの元気はあるか?」
女が問いかけた。
「ああ。」
「手伝わなくともよいか。」
「ああ、大丈夫だ。」
小夜は椀にかゆをつぎ、白湯と一緒に盆にのせると、はしをつけて男の前に置いた。
「朝の勤めがあるので、私はもう行かねばならぬ。また来る。私の許可なしで、決して外に出るのではないぞ。」
男の前に座してそういい置くと、立ち上がって戸口に向かった。
「まて、小夜!」
『朝の勤め』という言葉に反射的に小夜と呼び止めた。小夜は戸口の前で立ち止まる。それから静かに振り返って、男の顔をじっと見た。
「誰だ、お前は。」
小夜は全く表情のない顔で言った。
「何故、私の名前を知っている。」
小夜の言葉に、男は愕然とした。
 判然としないまでも、ある程度の確信はあったのだ。確かに、彼女は小夜である。でも、もしあの小夜ならば、自分の事を知らないはずがない。忘れているはずがないのだ。
「憶えてないのか?」
小夜は答えずに、男の顔をじっと見た。
「俺、俺だよ。朔次郎だ。忘れてるはずが、ないだろう。もう、五年前になる。あのときの冬にも、俺は今みたいにお前に助けてもらったじゃないか。」
「朔次郎?」
「そう、そうだ、朔次郎だ! 今は、今は名を変えて、ゆきざねという。」
男は必死に訴えるのだが、小夜は相変わらずの無表情で、そんな男の顔をただじっと見ていた。靭実は言い終えると、小夜が次にどう言うか、その顔をじっと見て待った。すると、小夜は靭実から視線を外し、戸の方へと顔を向けた。
「我らがお館さまの敵、高階隆明が家臣、名将小坂茂実(こさか・しげざね)どのには、養子があるという。聞いたことがある。名を確か、靭実(ゆきざね)とかいうのだそうだ。子のない小坂殿に、剣の腕を認められて養子になったとか。そして、今は隆明が寵臣」
小夜は靭実の方に顔を向けた。しかし、ただでさえ暗い部屋で戸口の影になり、その表情はうかがえない。
 小夜は続けた。
「これは、不覚であった。」
靭実は目をこらして小夜の方を見るが、やはり表情はうかがえない。気のせいか、口元が笑って見える。
「不覚?」
「大木村の巫女姫ともあろうものが、敵の家臣を助けてしもうたわ。お館さまに、どう言い訳しよう。」
小夜のこの言葉に、靭実はギクリとした。
 ここは敵の領地なのだ。そして、自分は敵の家臣なのだ。
 名乗らないほうがよかったか。懐かしい小夜だと、安心してしまったのが、仇になったか。
「命が惜しいか、靭実。」
小夜が問いかける。
「今このまま逃げても、どうせ追いつかれるな、その体なら。」
「何が言いたい。」
 靭実は緊張した。これは、確かに大木村の巫女姫小夜なのだ。五年前、同じようにここで出会った少女だ。
 しかし、何かが大きく違っている。
 考えが、何も読めない。しかも、どこかにある、無言の威圧感。
 誰だ、これは――。
「敵の家臣を助けたは、巫女姫一生の不覚ゆえ、このまま内密にしておこう。ただし、この小屋から一歩も外へ出るな。出ると命はないぞ。」
「命はない?」
「この乱世、敵を助けたと知れては、村の存続にかかわる。逃げて明るみに出れば、お前を殺すだけのこと。大木村の巫女姫は、手も触れずに人を殺すなどたやすい。ただ、神に仕える身ゆえ、襲われでもせぬかぎりは、なさぬがな。」
小夜は戸口を開けた。外の光が反射し、その光が差し込んで、小夜の顔を照らしたが、やはり冷たい笑顔のままこちらを見ている。
「出るなよ。」
言われて、靭実はしばらく答えを躊躇した。
 小夜が助けようとしているのか、それとも額面通り取り引きしようとしているのか測りかねたのだ。しかし、どちらにせよ動けない自分の体を考えれば、小夜の言う通りここでおとなしくしているしかない。
「わかった。」
ややあってそう答えると、小夜はにっこりと笑い、外へ出て戸を閉めた。
 小屋の中には静寂ばかりが残っている。簡素なやりとり、冷たい小夜。
 やはり巫女姫だと名乗った。あれは、あの、小夜なのだ。
 憶えていないと言った。殺すこともできると言った。事実か否かは、はかりかねるが――
 靭実は、はあっと大きく息を吐き出した。今の会話で忘れていた体の重さが、ぶり返してくる。床に体を倒し、用意された飯も忘れて、また、深い眠りに落ちていった。 

 
 あの日、「朔次郎」の熱がようやく下がり、何とか起き上がれるようになったのは、目が覚めてから七日ほど経った頃だった。傷のわりには治りが早いのは、いうまでもなく、小夜の力のおかげであった。
 朔次郎は次第に、小夜が来るのを心待ちにするようになった。
 小夜がそばにいると、和やかな気持ちになって落ち着ける。こんな気持ちになったのは、一体何年ぶりだろう。朔次郎は幼い頃に、両親を亡くしたから、養母の記憶しかない。養母は厳しく、そして優しかった。朔次郎が九つの時に死んでしまったが、それ以来、身内のぬくもりなどに触れた記憶はないのである。
 しかし、朔次郎は、それにしても小夜は変わった娘だと思った。話こそ詳しくは聞いていないが、何やら幼少の頃よりずっと修行をしているらしい。そのせいかどうかは知らないが、ずいぶん時勢に詳しいわりに、人を警戒せぬところがある。しかももっと変わったことに、彼は小夜が帰る時に、小窓からチラッと見ただけなのだが、彼女はどうやら鳥を使えるようなのである。
 しかもイヌワシだ。
 朔次郎は小夜がうらやましいと思った。あんな風に鳥を使って空を飛べたら、どんなにか気持ちがいいだろう。
 すると、外から雪を歩く音が聞こえる。トントンと戸をたたく音がした。「朔次郎さん、小夜です。」と声がする。戸が開いて小夜の顔がのぞいた。
「小夜。」
「朔次郎さん。おはようございます。」
「おはよう。」
小夜はいつものように胸に箱を抱えて入ってきた。
「大分よくなられた様ですね。お腹がおすきでしょう。お勤めが終わらねば来れませんので、どうしてもこの時刻になってしまうのです。申し訳ありませぬ。すぐ支度いたします。」
話しながら小夜は手を動かした。
「いや、命を助けていただいただけでも有難いことなのに、ここまで世話になって…。そろそろ出て行かねばならんと思っているのだが。」
小夜の支度する手が少し止まった。それからまた、何気ないふうに手を動かした。
 言おうか言うまいか迷っているのは、その後ろ姿でわかる。
「山を越すのはまだ無理でございます。」
朔次郎はギクリとした。
 握りしめた手がカクカクと震えて、両手を合わせることでなんとか抑えようとした。
「山?」
「峠の道には見張りの兵がやって参ります。山中を通らねば、国境いを超えるのは無理でございましょう。」
「何故、山などと…。俺は峠を通って行く。」
「冬でも越え難しと言われたあの峠は、昔は追われたものが逃げて参ったそうでございますが、今は稲賀殿が整備された分、見張りの兵がいつもおります。その峠をさけてさらに山中を目指したのは、何か理由がおありなのでしょう。あなたさまの殺した狼が、獣道に転がっておりました。太刀筋から見てかなり剣も使われるのでしょう。ただのお百姓とも思われませぬ。」
「だから?」
朔次郎は息を飲んで小夜をじっとみつめた。小夜も朔次郎の様子をじっと見守る。
「あなた様は何者でございます。」
朔次郎は小夜から視線をはずしてうつむいた。うつむいたまま、うろうろと視線を泳がせると、
「子細は…子細は申せませぬが、迷惑をかけるなら今すぐにでも」
「いえ!」
小夜は慌てて叫んだ。朔次郎が思わず顔を上げると、小夜は必死の形相で、
「いえ、いいえ、せっかくお助けした命ですもの。追われているのなら助けもしましょう。逃がしてもさしあげましょう。せめて、理由だけでも、教えてくださいませぬか。」
真剣な小夜の表情に、朔次郎はしばらく見入っていたが、うつむくと理由もなく笑って、首を横に振った。
 そのまま、押し黙ってしまった。
 ずいぶん差し迫られた感じだ。できれば、もうしばらくはこの問題にふれて欲しくなかったのかもしれない。
 せめて、傷が完全に癒えるまで…。
 朔次郎は話をそらそうとわざと明るい様子になって顔を上げた。
「そう、そうだ、そう…言えば、小夜は鳥が扱えるのだな。」
その言葉に、今度は小夜の方がうたれたようにギクリとした。
 それから、探るように朔次郎の顔を見つめると、
「見えるのでございますか?」
「え?」
「あなたには、ハヤテが見えるのでございますか。」
「ハヤテ? あの鳥はハヤテという名なのか。」
 小夜があまりに驚いた様子なので、かえって朔次郎の方がどぎまぎしてしまった。小夜は何か考えている様子だが、何も言わなくなってしまった。ただ黙々と手を動かし、用意が出来ると朔次郎の前に膳を運んだ。そして朔次郎の正面に正しく座し、じっと彼の目を見た。
「ここに留まり、体を治そうと思われるのでしたら、私のことを含め、村の事はすべて内緒にしていただきたいのです。この村から出て、峠を越えたいと思われるのなら、この小屋から一歩も出ないでください。」
小夜の顔は真剣だった。
 朔次郎には分からなかった。
 鳥を使う、ということが、この娘にはそんなに重要なことなのだろうか。隠さねばならない、秘密のことなのだろうか。小夜のような、こんな山中の小娘が、一体何を隠すことがあるというのだろう。そしてその小夜の秘密とは、小夜の身一つのことだけでなく、村全体に関わる大事にさえ聞こえる。
 とにかく、自分にも秘密があり、それを言わないのなら、小夜のいうことも聞かねばならない。
「わかった、約束する。」
朔次郎は真剣な面持ちで答えた。すると、小夜は腰をずずっと後ろにずらし、「ありがとうございます。」と深々と頭を下げた。
 そして、小夜は静かに立ち上がった。
「夕餉の折にまた参ります。何か不自由なことがございましたら、遠慮なくお申し付けください。」
そう言った小夜は、来たときよりもどこかよそよそしかった。
「いや、今のままで十分だ。よくしてくれてありがとう。」
朔次郎がこう言って頭を下げると、小夜も軽く頭を下げた。
 小夜が出て行った。
 小夜が出て行った戸口を、彼がじっとみつめた。
 何か、おかしくないか。
 例えば、彼女の立ち居振る舞い、あれはこんな山中の、ただの娘のものだろうか。静かで物腰が柔らかく、そして無駄がなかった。言葉遣いも何もかも、適度に上流の躾がされている。そして、「朝のお勤め」「夕べのお勤め」といって、その後に彼女はいつもやってくる。お勤めとは何だろう。普通に考えて、神か仏か。
 すると、彼女は巫女か?
 それと、鳥を扱うと言われて、ひどく驚いていた。「ハヤテが見えるのでございますか」と。ハヤテが鳥の名なのかと思ったが、「見えるのでございますか」とはどういうことだ。本来、見えないものだとでも言いたげではないか。
 変ではないか。見えないはずのものが見えて、見えないはずのものに小夜はのっているということか?
 朔次郎は答えを出そうと考えをめぐらせた。
 巫女で、鳥を使う。それを、隠さなければいけないと思っている。しかもその鳥のことを見えるのかときいた。
 目の前の膳を見据えて考えてみた。
 しかし、それ以上の答えなど出るはずはない。
 知らないのだから。
 朔次郎はそこではたと我に返った。いかんいかんと頭を振った。
 先ほど言ったばかりではないか。約束する、と。隠したいことがあるのだ。世話になって隠したいことを詮索するなどと――
 しかし、そう思ったところで朔次郎の胸がきゅっと痛んだ。
 なんだか、寂しい。
 もう十日、目が覚めてからでももう七日になるのに、小夜は何か隔たりがあるような気がしてならない。
 朔次郎はまた、思い直した様にイヤイヤと頭を横に振った。
 どうせ傷が癒えるまでのつきあい、このままでいいのだから、気にする必要はない。
 でも、今心の中にある枷――いっそ、誰かに話して――小夜に話して――楽になれたら、この荷物をおろして、楽になれたら――
 疲れているのだ。
 なまじ、こんなふうに温かく看病されてしまったから、余計そう感じるのだろう。
 朔次郎は天井を仰いだ。
 しっかりせねば。こんな所でくじけてどうする。
 朔次郎は、小夜の用意してくれた椀とはしに手を伸ばした。ずずずとわざと音を立ててかゆをすすった。それは、冷めていると思ったのに、上のほうだけで、中は十分温かかった。はしでかきまぜると、中のゆげが立ち上る。
 今更ながら、温かさとありがたさに、朔次郎の目に涙があふれた。

 
 神社本殿の脇に、境内から続く細道があって、ずっと進んでいくと分かれ道がある。右に行くと白石山へ、そして左に行くと神社裏のお滝場に出る。
 その滝は修行の場であった。
 小夜は、おばである前の巫女姫から修行を受けていたときは三日に一度、能力が安定して正式に巫女姫となってからは、十日に一度くらいの割りでお滝に入っていた。
 ところが、小夜はここ連日お滝場に通っていた。
 今日もまた、朝の勤めが終わると、朝食もとらずに滝に入っていた。身につけているのは衣一枚。水が身を切るような冷たさである。水煙が上がっていた。合掌して目を閉じた小夜の肩に水がうちつけている。
 「はあっ」と気のこもった声がしたかと思うと、小夜は滝の流れから抜け、ざぶざぶと岸へ向かった。
 小夜は衣を脱いで体をふくと、小袖に袖を通した。
 濡れた髪をふいて、すっと目を上げ、木々の茂った辺りを見た。
「佐助。楓。」
微動だにせぬ木の間から、男の声でクククと笑い声が漏れてきた。
「何だ、気付いておったのか。」
そう、少年の声がしたかと思うと、小夜の目の前に少年と少女が降ってきた。少年が先に立って笑顔で、
「この寒さの中、滝にうたれても唇の色一つ変えぬな。おぬしそれでも人間か。」
いやみたらしく話しかけた。雰囲気や体つきからして、青年といっても差し支えない。
 年は十八、佐助という。
「小夜を見ていると、少しも温度というものが感じられぬな。」
少女の方がまだ、あどけなさの残る顔で言った。佐助の妹で楓という。年は十四。
「何の用だ。」
小夜は別に動じるふうでもなく、黙々と服を着る。
「巫女姫殿のご機嫌うかがいだ。」
そういう佐助を小夜はちらりとみた。
 稲賀政秋子飼いの忍びだ。衣服も短くどちらが寒くないのかといいたくなるような服装をしていた。
「私は忙しい。用件なら早く申せ。」
小夜はお滝場から、神社の境内へと続く道へと向かった。
「冬のこの時期に、一体巫女姫殿は何がお忙しいのだろう。新年の準備にはまだ早い。さしずめ、傷を負った敵兵の介護に忙しいといったところか。」
佐助は小夜の表情をうかがいながら言った。小夜の表情は全く変わらない。
 佐助が意味ありげな視線を送るので、小夜は立ち止まり、振り向いて佐助の方を見た。
「言いたいことがあるのなら、はっきり申せ。」
 大木村の巫女姫は、普通の巫女姫ではなく、特別な力があると、近隣の村はおろか、この村に出入りする商人ですら知らないのに、どこでどうかぎつけたか、稲賀は知っている。ほんの数年前、その稲賀の使いがきて、小夜の力を国防のために貸せと言ったのを、「代々、我々は国が大事に至った折にのみ、都にあらせられるおおんきみにだけお力をお貸しすることになっている。村人のために力を使うのは、我々を助け秘密を守り大事にもてなしてくれた恩に報いるため。私利私欲の助けをすればこの力、神の怒りにふれ、五体ともに裂けてたちまち消えうせるわ。」と、使いの者を叩き返した。しかし乱世ゆえに放置しておくわけにもいかず、どの武将にも決して味方しないということを条件に、稲賀は小夜の自由を黙認した。
 その代わり、この子飼いの忍びの者が、こうして時々小夜の元にやってくる。
 はっきり言えという小夜の言葉に、佐助はフフンと鼻をならした。それから問い詰めるような口調で、
「先日の戦の折、敗走する兵の中でただ一騎、行く先外れてこの方角に逃げてきたものがあると目撃したものがいる。国境いを越えたかどうかは知らぬが、その逃げてきた兵、話では敵の名将小坂茂実殿の子息靭実殿で、何でも左の肩に傷を受けているはずだとか…。」
佐助は首を傾けて顔を近づけ、探るように小夜を見た。小夜はその動きにそって顔をあちらの方角へと動かした。
 この男は二年前からずっとここに来ている。
「なるほど。しかし、巫女には戦のことなど預かり知らぬこと。いくらこちらの方に敵兵が逃れてきたからとて、何故私に尋ねに来る。相手を間違えておらぬか。」
「巫女姫殿、毎日どこへ行く。」
「どこへ行こうと私の勝手だ。」
穏やかな顔で詰問していた佐助の顔つきが、にわかに変わった。突然不機嫌な顔になって小夜をじっとみると、小夜はあちらに顔を向けたまま、
「敵兵のこと、何か尋ねたいことがあるのなら、村の年寄り連中にきけばよい。」
平然とこう言った。
「では、村外れの猟師小屋に寝起きしている男のことは知らぬと申すか。」
「知らぬ。」
「その男のこと、お館様に報告しても構わぬのだな。」
「構わぬ。」
小夜が眉一つ動かさずそう答えると、佐助が小夜から顔をひいた。すると小夜は佐助の顔を見上げて、
「話はそれだけか。」
その問いに、佐助は答えなかった。そばにいた楓が、佐助と小夜の顔を交互に見た。一触即発といった張り詰めた空気に、あせりを覚えたのだ。
 しかし小夜は、無言の佐助から視線を外すと、前を向いて歩いて行ってしまった。
 佐助もまた、小夜の後ろ姿を見送りながら、
「行くぞ、楓。」
そう言って、山中へと消えていった。
 二人の気配が遠ざかると、小夜は後ろを振り返り、二人の消えて行った山の方角をじっと見上げた。

 
「あ! 巫女姫さま!」
 小夜が境内まで出てくると、四、五人の子供たちが小夜の姿をみつけてかけ寄ってきた。
「みの。」
小夜はふと表情を和らげた。先頭を走ってきた女の子が長老の孫、たきの長女のみのである。みのは小夜の腰に抱きついた。続いた子供たちが、「巫女姫さま」と口々に言いながら、小夜の周りを囲んだ。小夜はそれにつられて腰をかがめた。すると、子供たちのかけてきた石段の方から、妹の信乃が歩いてくるのが見えた。
「信乃。」
「子供たちが来て『巫女姫さまはどこ、巫女姫さまは』と騒ぐので、ここまで来てみたのです。また、お滝場の方へおいででしたの?」
「巫女姫さま、髪の毛ぬれてるー。」
背面にいる子供がそう声をあげると、周りの子供たちが「ぬれてる、ぬれてる。」とはやし立てた。
「そうか、ぬれているか?」
言って小夜は立ち上がると、ふわりと髪の毛を風に通した。舞い上がった腰まである髪に子供たちは「あっ!」と叫ぶと、髪はたちまちのうちにはらりと背中に落ちた。
「ほら、もうぬれてはおらぬぞ。」
と、腰をかがめて髪を少し横の方へたらした。みのがその髪にさわると、
「本当だ。乾いてる、すっごーい。」
と驚きの声をあげた。子供たちが「すごいすごい」ときゃっきゃとはやし立てると、小夜はにっこり微笑んだ。
 普段はほとんど表情を露にしない小夜も、子供たちの前に出ると和む。微笑む。
 笑うとまだ、十四、五の娘のようなあどけなさがのぞけた。
「巫女姫さま、近頃ちっともお相手してくださらないのだもの。みのつまらない。」
みのがうつむいてふくれると、小夜は困ったようなせつない表情をした。
「すまぬな。私もみのたちと遊びたいのだけど、村のことでいろいろと調べものをしなければいけないのだよ。」
「調べもの? 大切なご用なの?」
「うん、だから、今少し忙しいのだ。しばらくしんぼうして、皆で遊んでおいで。」
「うん、ご用がすんだら遊んでくれるのね。」
「ああ、もちろんだ。」
「じゃあ、約束ね。」
小夜はうなずいた。
「行こう。」と言って子供たちがかけて行く。かけて行く後ろ姿に、「あまり遠くへ行くのではないぞ。」と小夜が声をかけると、元気な「はーい。」という返事があって、境内の前の石段をぱたぱたと降りて行った。
 小夜と信乃が木々に囲まれたせまい境内の中に取り残される形になった。信乃がもの言いたげにじっと小夜を見ているので、
「何か話があるのではないのか。」
と小夜が切り出した。
 信乃はどきりとしながらも、姉の持つ威厳に押されまいと、握りしめた拳に力を込めて口を開いた。
「姉さまはここ数日、どこへ行かれているのですか。」
「またか。」
「は?」
「さっき佐助も同じことをきいた。」
「佐助が来ていたのですか。」
信乃は思わず声をあげた。
「姉さま、本当に、本当に、毎日どこへ行かれるのです。朝のお勤めに出られたと思ったら、一向に帰ってくる気配もなく、毎日、お滝場の滝にうたれに行かれる。私はここ数日、姉さまが物を口にしているのを見たことがございませぬ。もし、体をこわしたりしたら…」
信乃の顔は必死で、本当に姉のことを心配しているということがうかがえた。そんな信乃を見ながら小夜は笑顔で、
「信乃は、だんだん、亡くなられた母上に似て来るな。母上もよく先の巫女姫の目を盗んでは、いろいろと様子を見に来て、無理をしていないかと世話を焼いた。」
懐かしそうに言った。
 小夜たちの母親は六年前、父は去年の末に亡くなった。今年あったはずの信乃の祝言が来年の春に伸びたのは、父の喪に服していたためである。
 小夜は続けた。
「信乃はもう、私のことは心配せずともよい。来年は太一の元へと嫁入りではないか。私の世話は自分で出来るし、慈五郎夫婦もいる。」
小夜の言葉に信乃は首を横に振った。
「どうして、心配せずにいられますか。たった二人きりの、血のつながった姉妹ですのに。」
信乃の目は潤んでいた。
 小夜とは違って、喜怒哀楽がはっきりしているこの人は、姉妹であり潜在的には姉ほどの力を秘めながら、まったく調整がきかないので、先の巫女姫が力を封じ込めてしまったのだ。もし小夜に力がなければ、この娘が巫女姫となっていただろう。
 それでも、封じられたといっても勘は人一倍働く。
「近頃の姉さまは変です。」
「変?」
「知らないと、お思いですか? 以前もこのようなことがございました。気がつくと家にもどこにもおられず、巫女姫さまが何度お叱りになっても集中力がなくて、こっそりお滝場に通っていらっしゃいました。あれは、五年前――」
信乃がそういったところで、小夜の足元から突然ざあああっと風が巻き上がり、周囲の雪や木々をふきあげて、上空へと吹き抜けた。突然の風に、信乃が思わず叫び声をあげたが、風はすぐに収まった。信乃が小夜を見ると、小夜は目を閉じてうつむいていたが、すぐにぱっと目を開いた。
「姉さま!」
 信乃は驚愕した。
 激しい不安が信乃の胸を襲う。何か、よくないことが、この姉には起こっている。これから、この姉の身を襲う何かが、迫っている。理由はわからないが、今まきあげた一陣の風にふれて、信乃は心を大きく乱した。
「姉さま! 姉さま!」
信乃は我を忘れて小夜にかけ寄った。その小夜をつかもうとする信乃の手を、はらい、何も言わず小夜は足早に社殿へと歩を進めた。社殿へと続く階段を上がると、そのまま社の中へと入って行ってしまった。
 激しい不安が胸を占める。理由のわからない恐ろしさに、動けない。
 小夜の消えていった社殿を一人、境内から見つめる信乃は、ただただ、一人、途方に暮れるばかりだった。

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