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巫女姫物語

― 第1部 ―

 
 


 
 
 (五)
 
 
 

 小夜がハヤテにのって帰ってくると、信乃が仮殿から出てきて彼女を出迎えた。
「お帰りなさいませ。」
小夜は少し驚いた。
「どうしたのだ、ずっと待っていたのか?」
「はい、だって…。」
「ちょっと待て。話なら後にしてくれ。慈五郎に急ぎの用があるのだ。」
「用とは?」
「すぐすむ。」
そう言って小夜は境内から長い石段を下りて行った。
 すぐすむというので、信乃が境内まで下りてじっと待っていると、間もなく小夜は戻ってきた。
「何の用事でしたの?」
「馬を一頭届けてくれと頼んできた。――寒かろう、中に入ろう。」
小夜が先に立って仮殿に入って行こうとすると、信乃が、
「馬は、あの猟師小屋へ届けるのですね。」
と後ろから静かな口調で尋ねた。
 小夜はその仮殿へと上がる短い石段の途中で振り返った。
「そうだ。」
「誰に馬を与えるのです? あの方ですか?」
「あの方とは?」
「今は敵将、小坂靭実――朔次郎さんにです。」
信乃が緊張した面持ちで言ったのに対し、小夜は微動だにせず少し目を細めて、
「何だ、知っておったのか。」
それから顔の表情をゆるませて、ふと笑った。
 小夜が知っておったのかというのは、小屋に誰かいて、それが誰かということと、小坂靭実が朔次郎だということである。
「お逃がしになりますのか。」
「気付かず命を助けたとはいえ、稲賀殿に申し訳が立たぬので、絞め殺してみようとも思ったのだがな、楓に邪魔された。」
「絞め殺す――!」
信乃は思わず声を殺して小夜の言葉を繰り返した。先に石段の一番上へとあがり、社殿の板間の前で立っている小夜の顔を青ざめて見上げると、姉は、やはり無表情なままで信乃を見下ろしていた。
「そんな、殺すだなんて、馬鹿な。」
信乃は表情を歪めて首を振った。
「馬鹿ではない。今殺っておかねば、どんな災いがあるやもしれぬ。それでなくても、助けたというだけで対面が悪い。」
小夜は短い石段を上り切ると、履き物をぬいで板間に上がった。信乃が上がって来る様子がないので、小夜は振り返ると「信乃。」と声をかけた。するとようやく信乃も上がってきた。
「いつから姉さまは、そんな冷酷なことをおっしゃられるようになったのです。」
小夜は社殿の扉を開けた。
「それを望んだのは、お前たちではなかったのか。」
信乃はどきりとした。言い返そうとして、言葉がのどでつかえる。
「けれど、人殺しなど…。」信乃は訴えるような目で、小夜を見上げた。「かつては、恋い慕った方ではありませぬのか。」
「どうした。随分、感傷的なことを言う。」
「もう、五年たちました。いつまでも、父さまや巫女姫様のことを信じて疑わなかった子供ではありません。」
「そうだな、お前も来年には嫁に――いや、本来ならもういっているはずだったのだ。」
「ねえさま。」
 心の話をしようとしているのだ。
 それなのに、小夜はなぜこんなにも無感動に、受け答えをするのだろう。
 今信乃の胸のうちに広がるのは、後悔と罪悪感だった。言葉なくして信乃は小夜を見上げる。見上げた姉の表情は、どこまでも無表情だった。そしてその氷のような顔は、さらに信乃の胸を無言でさいなんだのだ。耐えかねて信乃はうつむいた。うつむくと、目頭が熱くなる。涙がこぼれる。最初の涙がこぼれると、次から次へとあふれてきた。
「何を泣く。」
全く感情のない声だった。無表情のまま、ただそこに突っ立って信乃を見下ろしている。
「姉さまは変わられました。昔はそんな…。」
「乱世だ。」
信乃の言葉をピシリと切った。
「お前のようなことを言っていては、この世はのり切れぬ。」
信乃は何か言い返そうとして、小夜をじっと見た。しかし言葉よりも感情があふれ、胸が熱く、のども押し潰されそうになるだけで、何も言い返せない。
「失礼いたします。」
信乃はそれだけ言って、石段をかけ下りた。境内を走り向け、境内からの長い石段を駆け下りた。
 長い階段をかけ下りながら、風に髪が乱れるのも構わず、信乃はただ心の中で「違う!」と叫び続けた。
 確かに、この乱世に生まれた巫女姫なら、少しは冷酷でなければならないかもしれない。また、朔次郎がこの村に災いをもたらすと言った、あの巫女姫の言葉も正しかったかもしれない。しかし、それと同じくらい、いや、それ以上、人の心というものが、どれだけ大切かということが、今の信乃には分かるのだ。
 しかし、小夜の場合、両方を通すというのはできないことだった、それも分かる。
 心を切らねばならなかったのだ。
 ――お前は本当の意味で小夜のことを分かっていない――
 今になって、朔次郎の言った言葉がまざまざと蘇ってくるのだ。あの男、行きずりに見えたあの男、小夜に心を通わせようとした、あの男――!
 小夜のあの動かぬ表情が、完全な修行の成果というなら、信乃はこんなにも心動かされない。小夜が、朔次郎と引き離された夜の後、毎夜誰もいない猟師小屋に通って泣いていた小夜を、信乃は知っている。そして、まるっきりしゃべらなかった昼間の彼女は、まるで魂の抜けがらだった。ぼんやりとして、生きる気力もなかった。誰もがいたいたしくて、小夜に近寄ろうとしない。やがて、夜、小屋に通う回数が減り始めると、ようやく小夜は動き出した。少しずつだが、口をきくようになった。しかし、彼女はその時より、ほとんど笑わなくなってしまったのだ。
 小夜の無表情は、悟りを得たからではなかった。どこまでも、ただ冷酷なだけであった。
 階段を下りきった信乃は、膝丈の草むらの中を駆け込んで、雪の上にくずれた。涙はとめどなく、あふれ続けている。
 あの方は、一体今何のために生きておられるのか。
 少なくとも今、姉さまは幸福ではない。命があるから、だから生きている――。
 それだけなのだ。
 信乃は声をあげて泣いた。やりきれない思いと、姉という存在が秘める矛盾が、心に交差して、どこにも行き場がなかった。
 
 

 小夜の潔斎が開けるだろう朝、朔次郎はそわそわとして落ち着かなかった。コンコンと戸のたたく音がして、「朔次郎さん。」と外から小夜の声がした時は、心が舞い上がった。「小夜か?」と返事をする声までが、上ずっていた。
 戸が開くと、小夜の顔がのぞいた。朔次郎の顔を見ると小夜は微笑んで、
「おはようございます。」
と言った。
「ああ。」
とだけ朔次郎は答えた。本当は、とても嬉しかったのだ。しかしわざと平静を装った。
「かなりよくなられたようですね。お顔の色がよろしいですよ。」
言いながら小夜は食事の準備のために、土間や板間を行ったり来たりした。
「うん。傷も痛まなくなってきた。」
「そうですか。でもまだ無理はいけませんよ。すぐに食事の支度をいたします。」
そう言って動く小夜をチラチラ目で追った。
 小夜が板間に上がって目の前に鍋をかけに来たとき、思わず朔次郎はどきりとして体が硬直した。そのまま、小夜のすることをじっと見る。小夜は蓋を開け、中へ持っていた飯や野菜などの具材を入れて混ぜた。
「小夜、お前またやせたのではないか?」
実際、朔次郎にはそう見えた。
「まさか、そんな度々やせてはいられません。久々に会ったので、そう感じるのでしょう。」
言って、小夜は囲炉裏の前に座り込み、椀をそろえようと端においてあった盆に手を伸ばした。
 その時だった。胸の熱さに耐えかねて、朔次郎はいざり足で近寄り、後ろから小夜を抱きしめた。
「さ、朔次郎さん。」
小夜はうろたえた。自分で顔が赤くなるのが分かる。鼓動が外に聞こえるのではないかと思われるほど、瞬時に胸が高鳴った。
「俺は、今日のこの時を待ち焦がれていたのだ。」
「朔次郎さん、離してください。」
小夜が腕の中でのがれようとすると、朔次郎はなおいっそう小夜を強く抱きしめた。小夜は恥ずかしさと共に、心の奥からジワジワとやってくる幸福を感じていた。朔次郎は抱きしめる腕をゆるめて小夜を自分の方へ向かせた。
「俺は今日、まだよくお前の顔を見ていない。」
それもそのはず、今日小夜は朔次郎に会いたかったにもかかわらず、わざと視線を外していたのだ。今まで恋というものにまるで縁がなかった少女には、それが当たり前の反応だった。そして縁がないといえば、剣の道一筋で、十の頃から親の仇討ちのことばかり考えていた少年にも、それは同じだった。
 しかし朔次郎の方が、どこまでも真っ直ぐなのだ。
 小夜は朔次郎にみつめられて、今度は耳まで真っ赤になった。
「ははは、何だ小夜。お前、耳まで真っ赤だぞ。」
朔次郎は笑った。小夜ははにかんで、朔次郎の腕を押しのけて拒絶した。
「離してください。心の臓がつぶれそうでございます。」
と、きっぱり言ったので、朔次郎はようやく手を話した。ささっと小夜は朔次郎から離れて、胸の鼓動をおさえようと、両手で胸を押さえた。それから熱くほてった顔に手を当てた。手が冷たくて気持ちがいい。
「小夜、小夜は俺が嫌いなのか?」
朔次郎に言われて、慌てて小夜は朔次郎へと振り返った。
 朔次郎の瞳は哀しげに小夜をみつめていた。小夜は急いで首を横に振る。
「では、なぜ逃げる。」
「に、逃げたのではありません。」
「逃げたではないか。」
「さ、朔次郎さんが突然あんなことをなさるから、驚いたのです。」
小夜は一生懸命弁解した。朔次郎がじっと小夜の顔をみつめた。小夜はなんだかとっても居辛かった。
 でも、心は浮いているようである。
「今日の朔次郎さんは変です。」
「お前だって変だ。」
「私のどこが変なのです。」
「だって、お前今日はろくに俺の顔を見ようとしないではないか。」
「そんなことありません。朔次郎さんの方が、突然、だ、抱きついたりして、変です。」
「なぜ、どこが変なのだ。この間も一緒に、抱きおうて泣いたではないか。」
 小夜の顔がまたかっと赤くなった。小夜はほとんど恐慌状態で顔を押さえて動けなくなってしまった。どうしたらいいのか自分でも収集がつけられず、目が潤んで思わず小夜は立ち上がった。
「待て、待ってくれ、小夜!」
その場から逃れようとする小夜を、一生懸命朔次郎は呼び止めた。そうして手を伸ばして小夜の衣の裾をつかんだ。
「すまん! 悪かった。何か俺が気に障るようなことを言ったのなら、謝るから。」
振り向いてみた朔次郎の目は真剣だった。真っ直ぐに小夜をみつめていた。が、口を開く段になって反省するようにうつむいた。
「ちょっと、浮かれすぎてしまった。久々にお前に会えて嬉しかったのだ。たった三日のことなのに、長くて、この日が待ち遠しくてならなかったのだ。」
 うつむいているからその表情は見てとれない。でも、朔次郎はそのことを言うのに随分照れくさそうだった。一つ一つ、語る言葉が、小夜の胸に重く響く。
 小夜はそのまま、その場に座り込んだ。目の前の朔次郎をじっと見る。朔次郎はうつむく顔を上げた。小夜の目を見ながら、開いた両手を、小夜の手を受けるようにそっと差し出した。その手の上に小夜が自分の手をのせると、ゆっくりと朔次郎はにぎって、自分の頬を寄せた。
「お前といると、心が和んで安心していられる。」
朔次郎がそっと目を閉じた。小夜はそんな朔次郎の顔を覗き込むように見ると、同じように頬を寄せた。
 朔次郎が顔を上げて小夜を見る。小夜もその顔を上げて、朔次郎をみつめ返した。黙って互いの顔をみつめ合ううちに、朔次郎は手をほどき、小夜の背中に手を回すと、静かに小夜を抱き寄せた。
 先ほどのような焦りはなかった。ただ二人は、寄り添うて、それで幸せだった。心が満ちていくのがわかる。朔次郎の鼓動と体温を感じながら、信乃は心のかせが次第に溶けていくようだった。
「こんな気持ちは――」朔次郎は言う。「幼い頃、母上に抱かれた感覚に似ている。小夜は、不思議な女子だな。」
 二人の心が溶け合っていくのがわかった。
 幸福だった。
 このまま、時がとまってしまえばいい――。
 
 

 朝の勤めを終えて本殿から出てきた小夜を佐助が待ち構えたのは、小夜が慈五郎に馬を届けさせた次の日だった。
「何だ、こんな早くに。」
「あの男をどこへやった。」
「あの男? 何の事だ。」
「お前がかくまっていたではないか。あの猟師小屋に。」
佐助は声を荒げた。
「知らぬ。」
小夜は全く動じず、ただこう言い放った。佐助はちっと舌打ちした。
「だれぞ、あの猟師小屋にいたのか?」
そう尋ねたのは小夜の方だった。
「敵将、小坂靭実だ。」
「ほう、あの剣の名手が…。よくこんなところにいたものだの。」
「お前、なぜあの男をかくまうのだ。何か関係があるのか。」
「知らぬというのに。」
「小夜!」
佐助は小夜の襟元をつかんで、本殿の柱に体をどんと押し付けた。
「俺が今朝方、お館の兵を連れて行くと、小屋の中はもぬけの殻だった。しかし、誰かいた形跡は残っていた。なぜ、あんな男をかばう。言え!」
「手荒なことをすると、吹き飛ばすぞ。」
おどされながらも、小夜は不遜な態度で佐助に応じた。佐助がいくら脅しても無駄だ。小夜の方が、ある意味佐助よりずっと強いのだ。
 ただただ佐助を見るだけの小夜に、それ以上のことは聞き出せまいと、手を離した。
「用はそれだけか。」
立ち去ろうとする佐助の背に、小夜は声をかけた。
「お前に尋ねるぐらいなら、鳥にでもきいた方がましだ。」
「なるほど。」小夜は得心の笑みを浮かべた。「それも手かもしれんな。」
その言葉に振り向いた佐助は、感情をむき出しにして小夜をにらみつけた。が、すぐに向き直って、瞬く間にどこへともなく消えてしまった。
「あいつ、あの気の荒さ、いつか命取りにならねばいいがの。」
小夜は一人ごちた。
「兄者があんなに心を乱すのは、小夜の前だけだよ。」
楓の声があって、仮殿の影から姿を現した。
「私の前だけ?」
楓はうなずいた。
「兄者は普段沈着冷静で、修行中の子供たちは皆密かに兄者にあこがれている。」
「信じられぬな。」
「兄者があんなに心を乱すのは、小夜が好きだからだよ。」
「佐助が私を? 嫌っているの間違いではないのか?」
「違う! それに兄者は今年十八になるのに、未だに嫁をとらぬではないか。」
「何?」
「今度のことだって、男が関わってるから、余計あんなんなんだよ。」
「それは困ったな。」
小夜は腕組みをした。
「私などに思いを寄せても無駄なこと。翁殿に早く佐助に嫁をとらせろと進めねばの。あれは一族の長になるはずの男だろう。跡継ぎが早うできねば、翁殿も不安だろうて。」
何気なく言い放つ小夜に、楓は目を見開きまじまじとその顔を見つめ続けた。
「何だ。」
「小夜は時々、とても残酷なことを言う。」
「そうか?」
楓はうんとうなずいた。小夜は少し苦笑する。
「そういえば、お前、佐助に何も話さなかったのだな。」
「何が?」
「猟師小屋の男のことだ。」
「だって、いえば、小夜に不利になるだろう? それに」
「それに?」
「見張りにつかされたのに、見逃したといえば、あたしが兄者に叱られる。」
「楓は兄が恐いのか?」
「怒るとすごく恐い。」
小夜は思わず吹き出した。
「楓はかわいいな。信乃と一つしか違わないのに。あれの方がずっと年上に見える。」
「そりゃ、信乃は――、小夜の妹で、来年嫁に行くし…。」
「何をいう。お前もそういう年頃ではないか。」
楓は答えず、目をうろうろさせて、笑う小夜の顔を見る。どこかこそばゆい。話の内容よりも、こんなに明るく笑う小夜の顔が初めてだからだ。楓はどこか、小夜にとても近づいたような気がした。
「小夜。」
「何だ。」
「さっきあたしが社殿の影から出てきたとき、少しも驚かなかっただろう? 知っていたのか?」
「ああ…」
思い出したというように、小夜が声をあげた。
「なぜそんなことをきく?」
「だって、昨日小屋に行ったときも、小夜はあまり驚かなかったじゃないか。」
「そんなことはない。まさか、楓があんなところに来るとは、夢にも思わなかった。」
「じゃあ、誰が来ると思ったの?」
「何だ、変な奴だな。」
「小夜は、最初からあの男を殺す気なんかなかったんだ。外で誰かがいたのは、わかっていたことなんだ。」
「なぜ、そんなことを。」
「おどしだったんだろう? 早く出て行かねば殺すぞって。小夜は手を貸すわけにはいかないもの。怪我を押してでも行かせねば、お館から兵がやってくる。しかも、ただ兵が来るといえばいいだけなのに、わざわざ憎まれるようなやり方で。」
「お前の思い過ごしだ。」
「違う! でなければ、なぜ戸を開け放ってあんな大事をした。それに、巫女姫は人を殺すことは何よりも禁じられているじゃないか。小夜、あの男は、小夜にとって本当に何者なの?」
楓は必死になって尋ねた。別段他意があって言っているのではなく、本当に小夜を心配しているようだった。
 小夜は楓をじっと見た。
「楓。」
「はい。」
「私は昨日も思った。お前、その優しさや人の良さが、いつか命とりになると。私だとて、自分や、信乃や、多数の村人の命を守るためなら、敵将一人殺すことなど惜しくはない。私を好きなお前には信じられないのかもしれなくて、そんなことを一生懸命考えたのかもしれないが、私だとて心を鬼にするときはある。」
 楓ははっとした。
 小夜の表情には、昨日小坂靭実に「お前、本当に小夜なのか?」と問われたときの、あの憂いを含んだ影が浮かんでいた。息を飲んで、その顔を見上げるばかり、楓が何も言えずにいると、小夜は、楓をろくに見ないで、仮殿の中に入って行ってしまった。


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