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巫女姫物語

― 第3部 ―
 
 


 
 
(四)
 
 
 

  
 夜になって、靭実の元にお館から使いがあった。
 内々で支度して、隆明の元に参上せよというものだった。
 お召しのわけは、すぐ想像がついた。
 昨日、義父がお館から帰ってくるとすぐに靭実を呼びだして、巫女の妹――信乃のことを尋ねたのだ。
 靭実は、信乃のことは高階隆明に報告していない。
 大木村へ行軍した兵は、信乃が風にさらわれるように消えたと靭実に報告したが、その場で靭実は、「逃がした言い訳だろう」と片付け、そのまま隆明にも報告しなかった。
 報告して何になる。
 あれは力を使えぬはずだ。
 いや、使えたとしても、使いこなせないはずだ。
 気まぐれで飛べたかもしれない。しかし、修行は重ねてはいないと、自らが言ったのだ。
 靭実にとって、先日大木村で見かけた信乃よりも、獣に襲われて猟師小屋で小夜に治療を受けたときの、あの十の頃の信乃の方が印象的だった。
 小夜よりは優しい面持ちの、しかし気性の激しい娘だった。
 わずか十にして、姉の心を惑わすなと言った。
 思い捨てよと言った。
 長い月日のなかの、ほんの数日の出来事の中で出会った、小夜と、信乃と、村人と――。
 出会わなければおそらく――いや、あの日の信乃がいなければおそらく、そのまま本当に、小夜はただの命の恩人で終わったかもしれなかった。
 何度も思った。
 信乃は、――人の思いに気付かせて、人の心に火をつけて、この二十一年の歳月の中で、わずかにそこにある、あのあまい、あまい時を、思いを――あれは、もたらした恩人か――叩き壊したかたきか――
 その娘を、いまさらどうしようというのだ。
 靭実は、お館の中の暗い廊下を、案内に従って高階の居室へと歩いた。
 案内は居室の前でとまると、「こちらでお待ちでございます」と言って頭を下げた。案内がすすと後ろに下がり、靭実は廊下に腰をおろした。
「小坂靭実でございます。お召しにより参上いたしました。」
 声をかけると中から返答があって、入るようにと促される。
 戸をあけると中で一人、隆明が、くつろいだ姿で書を眺めていた。
 靭実が中に入り、腰を下ろすと、
「何ゆえに呼ばれたか、わかっておるか。」
と、問うてきた。
 しかし靭実は「はっ」とは答えて頭を下げたが、その続きはつげない。
 沈黙に隆明が顔をあげると、
「一人ではなかったそうだな。」
そう尋ねた。
 靭実が顔をあげ、隆明の顔を見ると、
「大木村の天女は、一人ではなかったそうだ。そなた、なぜ報告せぬ。」
しばらく、靭実は言葉を探しながら、またもや沈黙を続けた。
 ややあって、
「あれは、使いものにはなりませぬ。」
靭実のその言葉に、隆明はふふんと鼻をならした。
「使いものにはならぬとな。」
「姉の巫女姫は七つの頃より修行をし、自在に力を操っておりましたが、妹は全くそうしたことをしてはおりませぬ。」
「確かめたのか。」
「かつて、獣に襲われて助けられたときに、直接会って本人からききました。」
「本人とは? 妹の方か。」
「はい。」
「ふむ…。」
隆明は少し考えるそぶりを見せた。それから、
「ではなぜ、飛べたのであろうの。」
「はい。力そのものは、あると申しておりました。ただ、修行はしておりませぬゆえ、操れるかどうかもあやしいかと。」
「靭実。」
「はい。」
「今操れぬでも、これから操れるということもあろう。」
「お館さま。」
「うん?」
「修行というものは、特に巫女に限ったことではござりませぬ。弓馬、技芸の道だとて、修行は積むものにございます。それは幼くして始めれば始めるほどよいものとされ、妹にいたっては今、始めたとしても既に十年の遅れがございます。果たして、姉のように自在に操れるかどうか――しかも、その姉を巫女姫として育てたような人物が、妹には既におりませぬ。」
「――それで、使いものにはならぬと。」
「気まぐれに飛べようとも、巫女姫小夜のようにはとてもいきますまい。脅威にも、まして戦の道具になるなどとは、とても――。」
靭実の言葉に、隆明はしばらく考える様子だった。しかし、
「あいわかった。念のため、こちらでも調べさせてみよう。下がるがよい。」
と言って、書を閉じた。それから、立ち上がろうとする靭実に、
「そうだ、靭実」と隆明が言葉をついだ。
「そなたいつまで『謹慎』しておるつもりだ。早々に出仕せよ。」
 片膝ついた姿で靭実は「はっ」と返事をした。
 立ち上がり、出て行こうとする靭実を見ながら隆明は笑いかけ、
「そなたも、因業の身よの。己を二度までも助けた女を、自ら斬るとは。」
 靭実はぎょっとして、動きをとめた。
 言葉をつげずにいたが、「失礼いたします」と言って立ち上がった。
 部屋を出る。
 靭実は一人、暗い廊下をお館への入口へ向かって歩き始めた。
 隆明の言葉が頭をよぎる。
 ――そなたも因業の身よの。己を二度までも助けた女を、自ら斬るとは。
 暗い中、廊下の明かりが揺れて、目に映る。この暗さ、歩く板の冷たい感覚が、あの神殿の板を踏んだ時の感覚を呼び起こす。
 ――私はお前に斬られたかったのだ――
 最期の姿とともに、また、浮かびあがる、あの言葉。
 うす暗い神殿の中で、抱きとめたやわらかい、手、肌、ぬくもり、優しい声――が、今も、はっきりと、靭実の体に、耳に、まとわりつき、あつい熱をともなってその姿を浮かび上がらせる。
 何も変わってはいなかった。
 五年前の、甘い記憶さながらに、何も変わってはいなかった。
 小夜――。
 因業の身か――。
 自ら斬り捨てた、五年前の記憶とともに――それが『因業』、なのか。
 
 
 部屋の外から「信乃どの」ときよらの声がきこえて、戸が開いた。
 戸が開くと、男装のきよらが現れ、普段のもの静かな風情とは全く違うのに信乃は驚かされた。
「信乃どの、仕度はよろしいでしょうか、参りましょう。」
言葉まではハキハキしているので、信乃は少しどぎまぎと緊張し、
「あの、支度と言われましても、私このままですけど。」
そう言うと、きよらはにっこりと笑った。
「本日はそれで構いませぬ。軽く体が動かせれば。」
そう言って、きよらは立ち上がった。
 信乃は橘に、行ってまいりますと挨拶をすると、部屋を出てきよらに従った。
 修練場で、娘たちへの護身の術を身につけるための練習日だった。
 今日は新年あけての初日である。
 準備するものを尋ねたが、たすきと懐剣が要ると言われ、しかし元より大木村から姉にもたされたものの中にそのようなものはなく、懐剣はきよらに、たすきはその母しずに借りるよりほかなかった。
 普段は長刀や受身の練習もするが、正月があけてすぐは、型どおりの懐剣の訓練しかしないのだという。参加するのは未婚の娘ばかりではなく、既婚の者もまじるのだときいた。
 館の前の坂を下りながら、信乃は思い切って、
「あの、きよらさま」
と、声をかけた。
 すると、きよらはそれに答えず、立ち止まり、
「信乃どの」と改まった声で信乃に面した。
「はい。」
「『きよらさま』はおやめください。わたくしの方が年下です。家格にさほど差があると思われませぬし、何より信乃どのは客人です。」
「はあ、…では何とお呼びすれば。」
「きよらで構いませぬ。」
信乃は、それはちょっと、と、ためらい、
「では、きよらどの、で、よろしいでしょうか。」
そういうと、きよらはにっこりと笑い、
「構いませぬ。そうお呼びください。」
快活に答えた。
 ややあって、「それで」ときよらが信乃を促すので、信乃ははっと我に返り、
「ああ、ええと、きよらどのは、来栖直衛さまに、剣を習われているのですよね。」
「ええ、それが何か。」
「わたくしも、教えていただくわけにはいきますまいか。」
信乃がそう言うと、きよらは少し考えるように信乃をみつめ、
「頼めば断られることはないと思いますが、信乃どのは今までに、武芸のたしなみは」
「女子には必要ないからと、ほとんどさせてはもらえませんでした。」
そう答えると、きよらはまた考えるように信乃をみつめ、それから突然、両手で信乃の両手をとった。
「信乃どの、是非に、直衛どのに頼んでみましょう。女子だからといって、剣はならぬという道理はありませぬ。やりたければ、やってみればよいのです。」
きよらは自分の手に信乃の手を包みこんだ。
 目がキラキラと輝いている。
「ええ」と、気おされながら信乃がうなずくと、
「でも、信乃どの、あせる必要はありませぬ。あせっても敵には追いつけませぬ。まずは、護身の術にまじって、型と基本を覚えましょうぞ。」
「え、ええ」とうなずいた。が、やはりきよらの目はキラキラとしている。
 どこかで見た目だと思ったら、藤吉郎の目だった。
 正月二日の、あの日の藤吉郎の言葉を思い出す。
 ――わたくしが、その…。いえ、信乃どのの、仇は、必ず、我々が、討ち取って…
 真の目的を知らない――知りようがないから仕方がないとはいえ、きよらは――いや、きよらも、もしかして、自分が自ら小坂靭実を討ちたいとでも思っているのだろうか。
 討つ――筋合いなど、自分にはないのに――。
 姉を、あの道へと進ませたのは他ならぬ自分と、村人なのだ――二人を、あの結末へと導いたのは、自分と、村人なのだ――。
 自分こそが討たれても、なぜあの小坂を討てよう。
 
 
 修練場は、神社の石段を降りきった、由良の館とは反対の方に建てられてあった。入り口の前がまた広場になっていて、何かの稽古をする時の場にも、行事をする時の場にも見える。近づくと、入り口近くに娘たちが数人集まって、修練場の中をのぞくふうだった。
 六、七人いるだろうか。
「前の稽古はまだ終わりませぬか。」
後ろからきよらが声をかけると、娘たちが振り向き、その一人が「あ、きよら様」と声をかけた。入り口にへばりつくように中を見ていた娘たちも、姿勢を正しくしてきよらに向き合った。
 先ほど答えた一人が、
「お稽古は終わってございますが、お片づけの方がまだのようで、今、床を拭いています。」
「やれ、兄上はいつもギリギリだ。」
そう言いながらきよらは中へと入っていった。
 そのきよらの後ろ姿を信乃がみつめていると、横から娘の一人が、
「信乃さまですね。」
と声をかけてきた。
「え、あ、はい。」
そういうと、娘たちの視線が一斉に信乃に集まってきた。皆信乃と年が変わらないように見える。
 声をかけた娘が、
「このたびは、お悔やみもうしあげます、由良様家臣、深田吾郎の娘で妙と申します。これはこの村の娘たちでございます。」
とハキハキとした口調で紹介を始めた。
「よ、よろしくお願いいたします。大木村からきました、信乃と申します。このたびはお世話になりまして。」
と頭を下げた。
 信乃の言葉に妙は眉根をよせ、気の毒そうな表情を顔に浮かべ、両手を胸元にあてた。
「本当に、おつらかったでしょう。私たちに何かできることがございましたら、何でも言ってくださいまし。お力になります。」
周りの娘たちがやはり気の毒そうな顔をして、うんうんとうなずいた。
 その、年ごろの娘たちが集団になったときに持つ独特の空気に押されながらも、
「いえ、もう由良様によくしていただいて、これ以上はないほどでございます。」
「まあ、そんな…。」と、妙は言ったが、おもむろに顔をきっとひきしめると、両手で信乃の両手をとって胸元で握りしめ、
「気落ちなさらないでくださいましね、領国の男たちが、きっと、信乃さまの仇を討ってくださいます。」
いうと、周りの娘たちが、またうんうんとうなずいている。
 何かよくわからない迫力に信乃は気おされながらも、
「はい…ありがとうございます。皆様の、お言葉、心強く思っております。」
信乃がそういうと、今度は妙がうんうんとうなずいた。
 すると、横から娘の一人が「今日は、このお稽古に参加されますの。」と尋ねてきた。
 まだ顔にあどけなさが残っている。信乃より年下なのだろう。
「はい、今日から皆様のお稽古に参加させていただきます。よろしくお願いいたします。」
答えると、横から妙が、
「それもようございます。由良のお館にこもって、橘の君のおそばばかりにいては退屈されましょう。気晴らしに、我らのほかのお稽古ごとにも参加なされませ。お針のお稽古は、きよら様も参加されています。」
「はい、ありがとうございます。折りをみて、また。」
信乃がそう答えると、妙は力強く、うんうんとうなずいた。
「ところで信乃さまは、何か以前からこういった体を動かすお稽古を?」
「いえ、今日が初めてでございます。」
すると、周りの娘たちが一斉にため息をついて、気の毒そうな顔をした。
「では、今日はしっかり体をほぐさないと、明日は体のあちこちが痛みましてよ。」
「えっ、そ、そんなに激しいのですか?」
「いえ」そういってまた、妙が真剣な顔になった。
「激しくないから、そうなるのでございます。」
 言われたものの、信乃は苦笑いを浮かべ、首をかしげた。
 動きが激しいから体のあちこちに無理がきて、痛みが走るというのならわかる。
 しかし動きが激しくない――と?
 中から人の歩いてくる気配がして、入り口からひょいと藤吉郎の顔がのぞいた。
「方々、お待たせして申し訳ございませんでした。もう中に入れますので、どうぞお入りください。」
そう声をかけた。
 藤吉郎が信乃の姿を見止めると、何か声をかけようとしたが、頭を下げながら娘たちが中へ入ろうとするのに道を譲るため、一度入り口の中へひっこんだ。
 それからまた出てきて、最後尾だった信乃のところへくると、
「今日からお稽古ですか。」
と話しかけた。
「ええ、お母上ときよらどのに、たすきと懐剣をお借りして参加させていただきます。」
「そうですか。」
しかし、藤吉郎はそう言ったまま言葉をつがず、なぜか信乃をみつめている。兄妹でどこかキラキラ光るよく似た目だと思っていると、修練場の中から突然、子供が走り出してきた。 
 子供たちは次々に走り出してきて、「藤吉郎さま、ありがとうございました。」と口々に言って頭を下げては走り去っていく。
 藤吉郎はそれに応じながら「気をつけて帰りなさい」などと声をかけた。
 藤吉郎と子供たちのその姿を見、中で、藤吉郎が、稽古をしていたのではなく、藤吉郎が子供たちに稽古をつけていたのだと得心した。
 まだ若いのに、子供たちとはいえ、稽古をつけるだけの実力があるのかと、信乃は思わず子供たちを見送る藤吉郎を見上げた。
 その視線に気づいた藤吉郎が信乃に視線を戻す。
 信乃ははっと我にかえり、急いで言葉を探すと、
「こ、子供たちにお稽古をつけていらっしゃるのですか。」
と問うた。
「ええ、剣の得意な若衆、三人で。」
「あ、そう、なのですか。来栖直衛さまも、ですか。」
「いえ、直衛どのは違います。昔はつけていましたが、今は、子供たちは見ません。」
二人で話すうちに、「こんにちは」と藤吉郎に声をかけながら何人かの娘が中に入っていく。それを見ながら、「ではわたくしも。」と言って、信乃は藤吉郎に頭を下げた。
 藤吉郎も頭を下げ返す。
 中に入ると、先ほどの妙たちや娘たちが、土間の玄関口をあがり、広い板間の中ほどのところに固まって腰をおろしていた。板間の隅の方に、少年が二人ばかり残っている。先ほど藤吉郎が話した若衆の他のものだろう。
 信乃が、中ほどにいる娘たちのところへ近づいていくと、妙が、
「藤吉郎さまと、何をお話しでしたの?」
そこへ腰を下ろす信乃に尋ねた。
「ご挨拶です。今日から稽古を始めるとか、そういう…」
というと、横から娘の一人が、
「いいわね、ご挨拶でも藤吉郎さまとお話ができて」
と抑えた声で言葉を発した。
 は?と思ってその娘の方を見ると、他からひそひそと、
「そうよねえ、私たちは遠くからみているか、せいぜい『おはようございます』とか、『こんにちは』とか言うのが精一杯。お話できる信乃さまがうらやましい。」
 また、それを言う娘の方へと視線を向ける。するとまた別のところから、
「あら、もっとうらやましいのはきよら様よ。毎日同じ家で暮らしていらっしゃる。朝餉を召し上がるときも、夕餉を召し上がるときも。」
くすくすと笑い声が起こり、
「きよら様は兄妹じゃない。何を言ってるのよ。」
「どうせ一緒になれないなら、せめて兄妹でもいいわ。そばにいられるんですもの。」
娘たちが口々に話すのをききながら、これはもしかして、あの藤吉郎のことだろうかと、もう一度入り口の方を見た。
 すると、なぜか藤吉郎は入り口の土間にいて、信乃と目があった。
 あそこまで話し声がきこえないものかと思っていたが、どうもきこえないらしい。
 修練場は板間で天井が高い。そして何よりも広い。二十人足らずの娘が集まっているが、これが全部稽古できるのだから、なかなか立派な建物である。
 そして、入り口の土間にいる藤吉郎は、広間と土間を仕切る板戸の、半分閉じられている向こう側にいる。
 そのせいで聞こえないのだろう。
 隅で片付けをしていた少年たちが、荷物を抱えたところだった。
 そういえばきよらはどこへ行ったのだろう。
「あら、でも、私たちは姉様方にはうらやましがられているのよ。なんといっても直衛様にお稽古をつけていただいているんだもの。」
「でも直衛様はいかにも『先生』なんですもの。」
「そうよねえ。でも直衛様も素敵よねえ。」
と割り込んでうっとりとした声で言ったのは、先頭をきって話していた妙だった。それに割って入るように、
「でも妙さん、直衛様はダメよ。お独り身とはいえ、忘れられない方がいらっしゃるのですもの。」
「亡くなられた方が相手では、かなわないわよねえ。」
「あら、生きていらしたとしても、身分違いで添い遂げられなかったのではないかしら。しかも直衛様より年上で、高野の姫さまなど、丙吾さまや藤吉郎さまとならつりあっても、無理です。」
 娘たちがしゃべる横で、信乃がそっと振り返る。
 視線――?
 しかし後方には藤吉郎たちがいて、何か話しているだけで、誰も見ていない。
「悲恋よねえ。お相手の姫とそのご家族様を、若かりし直衛さまは、お館さまと由良さまの兵に交じって、自ら死地へと追い込んだのだもの。」
 その言葉に、信乃はぎょっとした。
 信乃の動作にはっとして、思わず妙が、
「しっ、直衛様がいらっしゃるわよ。お静かに。」
と声をかけ、一同は一斉に静かになった。それから妙が、
「そろそろ並びましょうか。」
と娘たちに声をかけた。
 妙の指示で、娘たちは並び、信乃は妙に二列目に入れられた。
 すると、やはり後方からの視線が、信乃が動くにつれてついてくる。
 強い視線――。
 そうして列を作っている時に、例の長身の直衛が、信乃らが入ってきた入り口とは反対側の、正面にある板戸を開け、きよらと共に入ってきた。
 入ってきたが、みなが立ち上がろうとすると、入り口のところにいる少年たちを見止め、「少し待っていてください。」と言って直衛は制止した。
 そのまま娘たちの前には立たず、入り口の方へと向かって歩いていく。
 しんとして娘たちが座っている中に、混じって信乃も座っていた。
 まだ後方から、視線――視線だろうか?
 体にまとわりつく――熱を帯びてやってくる、眼差しにならずに向けられた――視線――視線?
 信乃は思い切って、すわったまま後ろを向いてみた。
 藤吉郎の視線とぶつかって、藤吉郎はふいと眼をそらせた。
 来栖直衛と藤吉郎たちが、板戸の向こうの土間で何か話し始めた。その板戸の開いたところから、直衛の後ろ姿と藤吉郎の姿がみえる。
 信乃はしばらく、話す二人の姿をみつめていたが、軽く息をつき、前方を振り返った。
 胸がときめく。
 集中しなければ――。
 皆が思うように、仇討ちが目的の、そのためのお稽古ではないのだ。
 自分の力を、玉なしでも抑制できるようになるための、お稽古なのだ。
 集中しなければ――集中――。
 
  
 由良の館の前で藤吉郎と剣の手合わせをしながら、年が明けてから、いったい何度目の手合わせだろうかと、直衛は思った。
 ほぼ毎日ではないだろうか。
 しかも、年が明けてから、去年よりも激しさが異様に増している。
 直衛はふと、木刀を構え対面している藤吉郎の手がわななくのに気づいて、
「藤吉郎、今日はこれまでだ。」
と声を上げた。
 その声に藤吉郎が我に返ったように顔を上げ、直衛の顔を見た。
 荒い息の中で、何も言葉を発せなかったが、
「もう、お相手してくださらぬのか。」
と、木刀を構えたまま、ようよう言うので、直衛はしばらく藤吉郎の姿を困ったように見ていた。
 直衛はしばらく考えるように動かなかったが、手で汗をぬぐい、
「とにかく、今日はここで終わりだ。少し休め。」
と、落ち着いた声で返した。
 直衛は庭先に置いてあった、下男が竹で作った長いすを持ち出してきて腰を下ろした。
「まあすわれ。」
そう言って左手で懐から手拭いを出し、自分の隣の空いた所を右手でタンタンと叩いた。
 藤吉郎はうながされるままに、直衛の隣に腰を下ろす。
 腰を下ろして、荒い息のまま汗をぬぐう藤吉郎を直衛はみつめた。
「藤吉郎。」
直衛が呼びかけると、藤吉郎は呼吸を整えながら直衛に目をやった。直衛はしばらくその藤吉郎をみつめていたが、藤吉郎は直衛の目を不思議そうに、まっすぐにみつめ返すばかりだった。
「藤吉郎、お前、かわいいな。」
とたんに藤吉郎は目を白黒させた。
 眉根をぐぐぐと寄せると、木刀を再び握り締め立ち上がり、
「おのれ! たとえ直衛どのでも、かわいい、などとは、許せぬ!」
 すると、直衛は、藤吉郎の後方、神社の方の道に目をやり、
「あ、信乃どの。」
言うので、とたんに藤吉郎はその動きをとめた。
 ゆっくりと後ろへ振り返る。
 由良家の下男が木の束を抱えて歩いてくるばかりで、誰もいない。
 振り返った藤吉郎の後ろ頭を、直衛は木刀でコチンと叩いた。
「嘘だ。すわれ、藤吉郎。」
藤吉郎は立ち上がって向こうを向いた姿勢のまま、動こうとしない。
「すわれというに。」
直衛のまたの催促に、藤吉郎が気まずそうにゆっくりと、直衛の方に向きなおる。直衛は前を向いたまま正しい姿勢で腰かけているので、藤吉郎はゆっくりとその横に腰を下ろした。
「父にきいたのだが」
直衛がおもむろに話し始めた。
「正月にお館へ向かう折に藤吾様が父に話されたそうだ。藤吾様は信乃どのをたいへん気に入ったと。躾もよくされていて礼儀正しく、何よりも曲がったところがなく気立てがよい。これも何かの縁ではないかと、できればお前の嫁にと考えたそうだが」
 藤吉郎はぎょっとした。
 ぎょっとして、膝に置いた手に力をこめた。
 藤吉郎が何も言わないので直衛は話し続ける。
「正月の雑煮の席で本人に尋ねてみると、すでに許婚どのがおられるとのこと。これは一足もふた足も遅かったかと、藤吾どのはたいそう残念がられたそうだ。」
藤吉郎はうつむいたまま、何も続けない。
 その藤吉郎に直衛は目をやり、また視線を前に戻した。
「正月の『藤吉郎祭り』。」
そこで藤吉郎はガタンと立ち上がった。
「直衛どの、何が言いたいのだ!」
「正月の『藤吉郎祭り』は愉快であったと」
「直衛どの!」
「あ、信乃どの。」
「二度とその手には」
「今度は本当だ、見てみろ。」
そう言われて振り返ってみると、神社の方から信乃が白い作業着姿で歩いてくる。
 何も言わずにみつめ続けると、
「やれ、本当に始めたのだな。」
と直衛は藤吉郎の背中ごしに言った。
「あの装束は」
「先日、護身術の稽古を始めたが、翌日体の痛みで動けなかったらしい。それで、きよら様に、剣を習うのであれば体から作らねばならぬと言われ、鍛え始めたようだな。」
「そ、そんなに剣を、習いたいのであろうか。」
「それだけではあるまい。同じ年の娘たちに比べると、かなり遅れをとっている、それも気にしたのであろう。大木村は、元は天然の要塞のような地で、女子が身を守る術をつける必要もなく、まして信乃どのの家は武家の出でもなく、代々神職の家だそうで」
「では、別に鍛えずともよさそうなのに。」
「今までと今とはもう違うからな。一人になって思うところがあったのだろう。」
 直衛の言葉をききながら、藤吉郎は歩いてくる信乃の姿を見つめ続けた。
 大木村からの帰り、信乃がこの地にくることを、橘に懇願したときのことを思い出す。
 ――わたくしは、彼らに申し訳なく、しかし、姉の真意を伝え、誤りなくそれを伝え、姉を守り、――それだけの言葉を、私は、わたくしは今、持ちませぬ。
 信乃は床に手をつき、頭を下げた。
 ――わたくしを、玉来に、お連れくださいませ。
 ほたほたとこぼれる涙に、頭を上げず、下げ続けた信乃だった。
 ああ、あんなに強く、気丈にふるまわなくとも――あんなに強く、耐えようとせずとも――
 藤吉郎は歩き来る信乃をみつめながら、唇をかんだ。
 唇をかみ、振り返って、椅子に立てかけてあった木刀をつかんだ。歩いていこうと踏み出した途端に、直衛に「待て、藤吉郎」と、衣服を掴まれてとめられた。
 そしてそのまま、
「お前飛ばしすぎた。」
と強い口調で言った。
 藤吉郎が振り返り、直衛に視線を向けると、直衛は強い目で藤吉郎をみつめ、
「そんなに飛ばしては、戦に出る前に体を壊す。よく考えろ。」
「しかし。」
「今度ばかりが戦でもなかろう、落ち着いて考えろ。一日二日で急激に力が伸びるなら、誰も苦労したりはせぬ。」
「でも」
「お前は同年代の中ではずば抜けている。さすがに義見の血統を継ぐだけある。しかし、あせる必要はない。」
 藤吉郎は立ち上がった姿勢のまま直衛に向き直り、何か言おうとして、また、唇をかんだ。
 違うのだ。
 それでは駄目なのだ。
 直衛は続けた。
「信乃どののこととて、まだ失うと決まったわけではない。」
 藤吉郎は愕然とした。
 直衛は相変わらず、強い目でみつめ続けていう。
「――生きているのだ。まだ、生きているではないか。」
 直衛の言葉が、思わず藤吉郎の胸をついた。
 ――あの、高野の戦の夜の光景が、藤吉郎の胸によぎる。
 高野の、妹姫の、桔梗の君の――
 藤吉郎は、申し訳なさで己を嫌悪した。
 なぜこの人に、自分のことで、あの夜のことを思い出させねばならぬのだ。
 藤吉郎は再び、長椅子に腰を下ろした。
 胸の痛みで、涙がこぼれそうになる。
 それをぐっと飲み込みながら、ただ歯を食いしばってひたすら下をむき、必死に耐えた。
 自分が泣いていいところではない。
 その空気を読んでか知らずか、直衛は言葉を続ける。
「そなたを見ていると、高野にいた剣士のことを思い出す。俺と同じ年で、早くうまくなりたいと」
「朔次郎兄か。」
「覚えていたか。」
もう顔もはっきりとは思い出せないほどに遠くなってしまったが、ずば抜けてうまい少年だった。祖母の実家、義見の家の親類筋の者で、高野に行ったおり、直衛とよくはりあっては、勝負を挑んできた少年だった。
「あれも、生きていれば――高野の戦で露と消えねば、今頃は領国で名をとどろかす武将になっていたかもしれぬのに。」
「それが、世の習いだろう。」
藤吉郎はひとりごちるように言った。
 そういえば、信乃はとっくに館にたどりついてもいいのに、まだ現れる気配がない。まさか避けられたかと思ってまた、神社からの道に目をやると、まだ先ほどの場所にいる。
 立ち止まって空を見上げている。
 その視線の先に目をやると、遥かむこうの空に、イヌワシ――。
 また、同じところを旋回している。
「直衛どの、あの下には何かあるのだろうか。」
そういうと、直衛が顔をあげた。
「どこだ。」
問われ、藤吉郎が指をさした。
「あの、イヌワシが旋回している下だ。この前も、同じところをグルグルと回っていた。」
言われ、直衛は藤吉郎の指差す方向をじっと見た。
「どこだ? どこにイヌワシがいる?」
「だから、あそこに、あんなに堂々と立派なやつが。」
それで、もう一度直衛は目を細めて藤吉郎の指差す方向を見た。
「何を言っておる。イヌワシなぞ、おらぬではないか。」
藤吉郎は思わず直衛の顔を見た。
 直衛はきょとんとして、どう見ても嘘をついているようには見えない。
 藤吉郎は急いで信乃の方を見た。
 イヌワシの行く方をじっと目で追っている。
 しかも何か、悲しげな顔で――。
 その姿をみつめながら、藤吉郎の中ですべてがつながっていく。
 夜明けの白石山、早朝既に玉来にいた信乃、森での不自然な倒れ方、敵方に狙われた姉・巫女姫――そして、今、人の目には映らない、形をなさぬイヌワシを、目で、追っている。
 ただそれが、なぜ己に、見えるのか。
 信乃に見えて、直衛に見えず、なぜ、己に――
 

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