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『春琴抄』ノート



 


 
 
 
 

◇はじめに

 
 大学の演習で谷崎潤一郎『春琴抄』に出会ってから、二十年が経とうとしている。
 演習の題材としてとりあげるということで、演習が始まる前に一読した、これが私の『春琴抄』との出会いとなった。
 その後はからずも、その年年度内に一本、翌年度内に二本、論文を活字とし、最後に卒業論文としてまとめあげることとなった。若さも手伝って、夢中になって調べつくして書きあげたものだった。
 そして二十年経った今日、いつかは記し置きたいと思い、そのまま書かずにしまってきたその時の備忘録を、忘れる前に記しておきたいと思う。
 自らを省みるとともに、諸氏に何かをご提供できたらと僭越にも思うものであるけれども、とりあえは筆を起こしてみることにした。
 文章自体は当時の順を追えぬものであるが、その点をご留意いただきたい。

 

◇「花柳界」との接点

 谷崎潤一郎『春琴抄』は、盲目の女師匠春琴に、献身的に使える佐助との愛を描いた作品として知られている。「春琴」は大阪の道修町にある薬種商の鵙屋に生まれ、本名を「琴」、春松検校の弟子としてあったために春琴と号したと設定されている。
 作品自体は、春琴の弟子である佐助の証言から書かれた「鵙屋春琴伝」、墓守をする弟子・鴫沢てるをはじめとする幾つかの証言、さらにそれに語り手が考証を加えるという形式で書かれた架空題材の小説であるが、この富裕な家に生まれた深窓の令嬢として設定された春琴に、いくつかの不可思議な点がある。
 たとえば春琴が十歳で失明した折の、以下のような記述である。

 

検校(引用者注・温井佐助のこと)は又お師匠さま(引用者注・春琴のこと)のは風眼であるとも云った。(中略)一番末の妹に附いていた乳母が、両親の愛情の偏頗なのを憤って密かに琴女を憎んでいたという。風眼というものは人もしる如く花柳病の黴菌が眼の粘膜を侵す時に生ずるのであるから(後略)

 

 春琴を失明させた原因が「花柳病」の黴菌のためであるというのである。深窓の令嬢がその病を得るのに、末の娘の乳母がその菌を持ち込んだと谷崎は佐助に主張させるのであるが、たとえそれが乳母によるものとしても、入手経路が困難である上に、もし事実としても、犯人の判明する恐れのあることを考えあわせても、非常に際どい、考えようによっては無理な設定で、谷崎も作中の語り手自身に「佐助の揣摩憶測にすぎない」と批判させているが、この「佐助の揣摩憶測」そのもののネタを作り出しているのは、ほかならぬ谷崎本人なのである。場所が遊郭であるならまだしも、なぜ深窓の令嬢が失明する原因として、「花柳病」が選ばれたのであるか、はなはだ疑問である。

 また、こんなこともある。
 春琴が佐助の三味線の稽古をつける際の記述であるが、

佐助の呑み込みが悪くて中々覚えない幾度やっても間違えるのに業を煮やして例の如く自分は三味線を下に置き、やあチリチリガン、チリチリガン、チリガンチリガンチリガーチテン、トツントツンルン、やあルルトンと右手で激しく膝を叩きながら口三味線で教えていたが遂には黙然として突っ放してしまった。

平山城児氏の「『春琴抄』について気づいたこと。」()には、谷崎の地唄の師匠をしていた菊原検校の娘初子さんの証言が載せられているが、それには次のようにある。

そこでハジキの音の表記は(三)の糸の場合、リンです。ガンとは絶対いひません。私の父も、ガンといふのは、よく花柳界の人、いわゆる芸者衆などにガンとはじくことをいふ人があるが、地唄は絶対いはぬといって居りました。

 この場合、谷崎の取材源が「花柳界」の人であったとも考えられる。だからガンやガ―が使用されたと言えなくもない。
 ただ、この表記のみで判断するなら、である。
 しかし、先に上げた表記と比べたら、どうであろうか。
 故意に、とは言えないだろうか。
 さらに加えて、次の記述である。佐助が盲目の春琴を、春松検校のところへと稽古へ連れていくとき、次のような記述がある。

手曳きをする時佐助は左の手を春琴の肩の高さに捧げて掌を上に向けそれへ彼女の右の掌を受けるのであったが(後略)

 このときは春琴まだ十歳ごろのことであるが、この記述のまま着物を着た女性(もしくは女子)を連れて歩くと、何かがあったとき、その女性は、右手がふさがっているため、左手で着物の褄(つま:着物の端のこと)をおさえねばならなくなる。あるいは、はだけたまま歩くか、階段を上るかの、どちらかである。
 ご存じかとは思うが、「左褄」とは芸者の別名である。左で褄をとると襦袢が交差してその中に手を入れられぬため、「芸は売っても身は売らぬ」の意味にもとれるし、また、その襦袢を外に向けることで、色っぽさ艶っぽさに一役買うという考え方もできるが、どちらにせよ、左手で着物の褄をとるの意からきた「左褄」とは芸者のことを指すのには間違いがない。

 深窓の令嬢であった「お琴」、後の「春琴」に、なぜこのような「花柳界」をまとわりつかせているのかということが、最大の問題である。

 ここで、さらに「花柳界」との共通点を並べて行く前に、先に私見を述べておく。
 作品とは、出来上がった段階であるものが、最初から完成形をもって出てくるものとは限らない。胚胎し、形を成すまでの間に様々に変化するものである。つまり、これら『春琴抄』に紛れ込んでいる「花柳界」の記述は、ここに元あった原型が残り、あるいは残して、それがゆえに顔を出しているものではないかと想像する。

 ともあれ、その「花柳界」の接点を今少し探し当てて行こう。(2010/11/30)


注 『立教大学日本文学』第四十八号


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