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『春琴抄』ノート



 


 
 
 
 

◇資料『難波津』

 大学の演習の授業で、遊女夕霧の話題が出、その後すぐに大学は前期試験、そして夏休みに突入したかと思う。
 というのも、大学の演習で、その遊女夕霧のことを調べてくるのは、夏休みの宿題になっていたからだ。
 確かその夏休みの最中に、私は地元図書館に、いつものように本を借りに行った。その時ふと、その宿題の件を思い出し、そうだ、夕霧のことを調べようと思った。
 調べるなら、郷土資料コーナーか、風俗文化のコーナーだと思い、足を運んだ。
 ちなみに、図書館の郷土資料、地方資料、地図のコーナーはよくお世話になる。
 現実の舞台を小説の舞台として選んだり、参考にした時は、必ず資料で確認に行くからだ。いや、そうでなくても、ただの遊びで見ることも多い。
 特に谷崎潤一郎は関東大震災後、難を避けて関西へ来た。大正十二年のことである。結果として長きに渡る移住となったわけだが、関西に来た作家が、その後関西を舞台とした作品を書き続けたなら、大量の郷土資料に目を通したはずである。ストーリーそのものがフィクションであったとしても、現実に存在する舞台のあれこれがいいかげんでは、作品の質そのものが落ちる。(といえども、資料では調べきれないことも、ままあるわけだが。)
 まして書く時は、その土地に対する絶対的な自信――現地人に負けず劣らずとまではいかないにしても、作品にその土地に対する不確かさ、おぼろげさでのぞんでしまっては、作品にもそこからくる自信のなさ、いいかげんさが反映しかねない。
 そこで一応調査として郷土資料に手を出すはずだと、まず郷土資料のコーナーへと足を運んだ。
 そこになかったら、風俗文化のコーナーへ行ってみよう。
 ちなみに私は、生まれた時から大阪在である。したがって通った地元図書館は、大阪を中心として郷土資料のコーナーが設けられている。
 二、三の図書を手にとって、目次をめくってみた。
 その中に、『町人文化百科論集』というシリーズ本があった。その4「浪花のなりわい」と副題されたものがあり、めくってみる。
 目次に「8、遊郭と遊女――夕霧太夫」
 その項目の横に、「扇屋夕霧 鴫田茅亭/夕霧 高安月郊・・・」と続いている。
 あった、と、その場で立ったまま、その鴫田茅亭のページをめくって読み始めた。すると、すぐにこの文が目に入った。

夕霧その本名はお照、生れは――
 そこで私はふと『春琴抄』の冒頭が思い浮かんだ。
春琴、ほんとうの名は鵙屋琴、大阪道修町の薬種商の生れで、――

 さらに夕霧の本名「照」は、『春琴抄』にて生き証人として登場する唯一の人物、「鴫沢てる」と同名である。また、春琴の戒名「光誉春琴恵禅定尼」の中にも含まれている。

→全文はこちらで。大正十三年五月『難波津』掲載・鴫田茅亭「扇谷夕霧」
 上記現物のコピー写真(大阪府立図書館蔵)

 ぎょっとしながら目を走らせると、「鶯」の文字、さらに末へとたどっていくと、「ゆふぎり文章」があって、その末に「達磨」が目に入った。

おもひに沈む、恋が浮世の何じゃぞいな、達磨さん、いろごと知らぬとのたちは、玉のさかづき底がない…

 達磨とは、普通に考えれば人形の達磨であろうが、そもそも達磨とは禅宗の始祖である。そして『春琴抄』末尾に、そこまで作品の中一度も出てこなかった作品登場人物とは何の関係もない天竜寺の峨山和尚の名が登場する。

天竜寺の峨山和尚が聞いて、転瞬の間に内外を断じ醜を美に回した禅機を賞し達人の所為に庶幾しと云つたと云うが…

この『春琴抄』作品末尾を読んだ時も、その二年前、観光で嵐山の天竜寺に行った時の、寺に掲げられた達磨の絵を思い浮かべたが、この鴫田茅亭の文の末尾にある「達磨」の文字を見た時、再び天竜寺の「達磨」の絵が浮かんだ。

 そもそも谷崎と禅宗の接点がよくわからなかった。
 自身の実家の日蓮宗、後に改宗した浄土宗ならわかる。作品の中にも挿入されている。それはいろいろと「日本仏教」を調べつくした後の、ある種プライドを持っての対峙に思えた。
 それがここへきて、なぜここだけが禅宗なのか。
 『春琴抄』はフィクションではある。これが本当に実話で、本当に本物の峨山和尚がそうコメントしていたなら話はわかる。
 しかしそれは違う。
 ではなぜ「天竜寺峨山和尚」なのだ。

 そう思いながら、この小品の書誌情報を探した。旧仮名遣いで書かれたこれが、最近のものであるはずがない。
 するとすぐに末尾に(原題同「なにはづ」大正一三ー五)と書かれたのが目に入った。
 「あたりや!」と思った。
 「あたりや!」と思ったのは、夕霧がモチーフとして挿入され、これが執筆時の資料だと思ったということである。
 この時はまだ私は下寺町浄国寺を訪れていず、『春琴抄』は一度通読したのみである。まだ出会って半年も経っていない。それでも「あたりや!」と思ったのは、ただ単に若さ故の早計さか、あるいは自分がそれまで積み重ねた小説道――読み解く方ではなく、作る方の――への、過信であったかもしれない。
 しかしそれが、その時、自身の長きに渡り、また谷崎作品を大正年間までさかのぼる、そのきっかけとなろうとは、夢にも思わなかった。

 私はすぐに本を閉じ、貸し出しの手続きをとりに行った。
 夕霧の『春琴抄』執筆当時の資料は、この本の中にまだある。
 そうして、昭和初年当時の資料を漁り始めたのであった。(2010.12.19)

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