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『春琴抄』ノート



 


 
 
 
 

◇遊女夕霧との関連

・名前

 既に前項で春琴抄と資料『難波津』との関連は述べておいた。
 『春琴抄』の第一章の内容は、墓所を語り手が訪うものであるのに、のっけから春琴の本名はいいとしても、「生れ」の記述が出てくる。
 だいたい「生れ」といえば地名ではないか。
 「扇屋夕霧」の文章でも、あの後地名が登場する。「生れは東山三十六峰の麓」と。
 そもそもその家に生まれたと紹介するときは、この場合「薬種商の娘」でとか、「薬種商に生まれて」とし、「生れは」と表現するのはそぐわないような気がする。しかもこの出だしは印象には残るが、この後に続く一章全体の記述順序があちらへ行き、こちらへ行き、雑多な感じも否めない。
 してみればこの冒頭の語は、夕霧へのサインとして、『難波津』を意識して書かれたのではないだろうか。大阪の文人ならピンとくるかもしれぬ、と。
 いや、ピンとくるべきである、と。
 一歩譲って、この被りが偶然としても、同名の登場人物、同一文字を戒名に含めるのは、どうも偶然にしては出来すぎのような気がする。
 昭和二年三月発行の『上方趣味』は、夕霧二五〇年周忌のために企画された「夕霧の巻」であるが、この中にはさらに高谷伸「夕霧墳墓考」があり、夕霧の墓の候補について書かれている。その候補は五カ所あり、下寺町浄国寺ももちろんその一つであり最有力であるが、「夕霧阿波鳴門」故か、徳島にも夕霧のものと言われた墓がある。その墳墓にある戒名は「寂智山慧照霊尼」であり、「慧」は「恵」とよく混同されることから考えても、春琴の戒名「誉春琴恵照禅定尼」とかぶらないでもない。
 かぶらないでもない、というよりは、資料としてあったものを、もじって作ったと考える方が自然であるように思う。

・メタファーとしての「鶯」

 『難波津』にもある通り、遊女のことを「鶯」、その廓のことを「鶯の宿」「鶯の谷」という慣例があったらしい。『春琴抄』の中にも「鶯」は登場する。小鳥道楽のあった春琴が最も愛した鳥であり、春琴が作曲した代表作「春鶯囀」もまた、鶯を題材とした作品となっている。人である春琴抄が、鶯に対して愛着を持つのであるだけならわかるが、作品の中に少しひっかかる記述がある。
 以下の場面である。

皆が庭園へ出て逍遥した時佐助は、春琴を梅花の間に導いてそろりそろり歩かせながら「ほれ、此処にも梅がござります」と一々老木の前に立ち止まり手を把って幹を撫でさせた(二十章)

 この場面は、春琴に琴三味線を習っていた利太郎という男の家で行われる梅見の宴に招かれた時の記述である。この後谷崎は、語り手にこの行動を、「盲人は触覚を以て物の存在を確かめなければ得心しない」と言い訳させている。実際そうであるかもしれないが、梅園を現実に見ると、この行動は梅園をめぐる行動としては、首を傾げざるを得ない。
 というのも、梅の木は桜ほど高く上には伸びず、幹も根本付近で分かれているものが多くて、何といっても幹に触れるには、その幹の周囲を取り囲む華奢な枝に触らぬよう――触るとはじいて折れてしまいかねない、体に触れて花も散らしかねない――注意しながら近づいていかねばならない。また幹も根本から分かたれて上へと伸びていることが多いため、幹に触れるためには、場合によっては若干腰を曲げ、いわゆる中腰の姿勢でなさねばらなぬ。

 下は北野天満宮で撮影した梅園と、梅。



 最初この場面を読んだ時、初めの設定は実は桜の宴で、作品の展開からこうした梅への変更を強いられたのかと思った。とにかく梅の幹へは近寄りがたい。しかし作品では、鶯と関連させる必要性があるために、梅そのものをないがしろにしてよいはずがなく、またないがしろにした書き方はしていない。
 まして鶯といえば梅、同じ春でも桜ではない。

 しかしこの夕霧のことを調べ、遊女のことを「鶯」というのであれば、もしかしたらこの部分の記述自体が必要として挿入され、ある隠喩なのではないかと思えてきた。
 梅の幹にとまり、その梅の間を渡り歩く春琴。人の姿が梅の枝にとまるのは難しいが、幹ならとまれないでもない。まるで、鶯が梅の枝にとまるように。
 小鳥を指す漢字に、琴と同じ音で、「禽」の字がある。春禽と書けば「春の小鳥」の意となろう。「春の小鳥」の代表的なものは、まさに「鶯」である。で、あるならば、「春禽」という言葉から、「春琴」の名が作られたのではないだろうか。
 もっというならこうである。
 遊女=鶯=春禽=春琴。
 
 その「春琴」から「琴」の名がとられ、春禽の連想から、薬種商であるから、その獰猛性から、名字「鵙屋」の「鵙」が選びとられたのではないか。
 とまれ、『春琴抄』最終章に紹介された「春鶯囀」には、この鶯が、「谷から谷へ(梅の)枝から枝へと飛び移って啼く」となっている。
 十六章で愛玩した鶯「天鼓」の詳しい描写が展開され、その描写を受けて二十章で春琴の梅園の様が描かれた後、最終章「春鶯囀」でそれらが一つとなって結びついていくのである。
 そして、「春琴」が「春禽」の音とかぶり、なぜに梅の中を彼女がわたる描写が必要であったかといえば、その描写こそが、春琴を鶯と見立てる必要があったということではないのか。

 作家とは調査し、一度準備したモチーフが、自分の文学的な思想・哲学に大きく関わっていた場合、消したくないと考えるものである。それは読者にとっては小さなこだわりかもしれないが、作者にとってそうとは限らない場合もある。
 こうして図式的に正確に読み解けるものであるならば、故意に入れたと考えても差し支えなかろうと思う。

メモ
 余談であるが、春琴が買う「鶯」に付けられた「天鼓」とは、近松門左衛門作「天鼓」においては千年狐の皮で作られた鼓のことである。昭和六年谷崎作「吉野葛」にも登場する「義経千本桜」における「初音の鼓」もまた千年狐の皮で作られた鼓であるが、一方の「天鼓」の所有者が春琴で、一方の「初音の鼓」の所有者が白拍子静御前である。白拍子が遊女でもあることを考えあわせると(ただし中世の遊女は巫女としての色彩が強い)これも偶然とはいえまい。このことについては、また後で詳述したいと思う。
(2010.12.19)

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