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『春琴抄』ノート



 


 
 
 
 

◇昭和初年代遊女資料群探索

 大正年間に柳田国男が登場して、日本民俗学は出発し、一大ブームを迎える。この柳田が、遊女が江戸期のそれと違うと紹介した「巫女考」は、まさしくその大正年間のものであった。
 果たして谷崎が遊女なるものに強く目を向け始めた時期と、きっかけは、いつだったろうか。それはまだはっきりせぬものの、時系列に並べていくと、こんな感じになる。

昭和二年一月
 夕霧太夫の二百五十年周忌が、大阪新町九軒吉田屋で執り行われた。時をあわせて、昭和二年一月二日からの四ツ橋弁天座で行われた文楽一月公演では『曲輪文章』(近松作『夕霧阿波鳴門』上巻に加筆して作られたもの)が入れられている。
 谷崎は昭和二年「饒舌禄」で、

去年の十一月、ちょうどあの小屋が焼けた月に、『法然上人恵月影』と云ふ新作物を出したので、ふとした好奇心から這入って見ると、それが案外面白く、殊に法然上人の人形の首が馬鹿によかったので、以来人形芝居と云うものにだんだん惹き着けられるようになった。そうして今では毎月欠かさず弁天座へでかけるのである。(後略)

「去年十一月」とは大正十五年十一月である。同年昭和元年を迎え、翌年は昭和二年となったため、谷崎は大正十五年十一月よりこの文章のある昭和二年六月まで毎月弁天座に文楽観賞に行っていることになる。昭和二年一月公演の演目である『廓文章』の観賞は疑いあるまいが。この観賞を抜きにしても、新町九軒吉田屋で行われた夕霧二百五十年周忌は、郷土誌『上方趣味』では「夕霧の巻」という特集号が出され、その「編者から」に「丁度めぐり来ました扇屋夕霧太夫が二百五十年忌の噂は、大分世間を賑わしましたようで」とあるし、またその裏表紙に、大阪長堀高島屋にて「上方廓風俗展覧会」(二月十九日〜二十日)の広告が載せられて開催されたことからしても、市中ではこの夕霧忌がちょっとした騒ぎになっていたらしい。残念ながら夕霧忌参加者一覧の中に谷崎の名はないが、武者小路実篤の名があるから、作家が訪れるのに何の支障もないもの、それなりの規模のものであったことが推察できる。
 この号の『上方趣味』自体も、寄稿者たちは上方に在住する文化人たちであり、夕霧忌参加者に名を連ねていて、谷崎自身も噂ぐらいは耳にしたかもしれない。(常識的に考えれば、居所さえ判明していれば、谷崎のような在阪文人たちに送付献本するものではないかと思われるが…。)

昭和四年
 水上勉『谷崎先生の書簡』で、中央公論社社長嶋中雄作宛書簡に『吉野葛』執筆のために遊女の資料を探しに行くとある。

昭和五年
 前掲『乱菊物語』発表。

昭和六年
 前掲『吉野葛』発表。
 この『吉野葛』で、語り手と吉野を同道する「津村」の母は、前身が夕霧太夫と同じ、大阪新町九軒の遊女であり、その母を父が身請けし、「津村」が生まれたという設定になっている。
 『武州公秘話』発表開始。
 主人公である武州公の初恋の女が戦で得た首級を化粧する女であった。首化粧は武家の子女がする場合もあったが、御陣女郎と呼ばれる遊女が行うこともあった。

昭和七年
 前掲『蘆刈』発表。
 また、作中人物であって、草むらの中の男の父親が恋仲であった「お遊さん」は、「てる女」「春琴女」と同様の書き方をすれば「遊女」である。名字「粥川」も別読みをすれば、「粥(ひさ)ぐ川」であり、通して読めば「ひさぐ川の遊女」となる。

 
 昭和四年に、遊女の調査に行くといい、昭和六年の『吉野葛』ではその遊女が新町九軒にいた設定になっている。
 どう考えても、新町九軒を調査していて夕霧太夫がでてこないはずはないし、それ以前にその調査に行くと書いた同じ年の小品「カフェー対お茶屋、女給対芸者」で、既に京都の遊廓島原の太夫が「お家流の字を習い、活花、茶の湯、和歌、俳諧、碁、将棋を習い」と、教養のあることを知っていて、しかもこれは江戸初期の太夫の特徴を記述していることからしても、元は島原の遊女であって、後に新町九軒の遊女となった夕霧を想定して調査に行ったと考えた方がよいのではないか。

 
 また、この『吉野葛』に関連して一つ付け加えておくと、吉野葛で新町九軒にいたという津村の母は、文久三年生まれに設定され、『春琴抄』のてる女と同年である。
 津村の母が色町に売られたのが明治六年か七年で十一、二才、てる女が春琴の元に奉公に上がったのが明治七年十二才である。さらに津村の母の死亡年は明治二十四年二十九才、てる女が春琴・佐助の元を去ったのが明治二十三年二十八才である。
 不思議なほど共通した二人であるが、これを遊女にあてはめてみると、下地っ子として入るのが十才前後、器量がかなえば十五才頃に売り出され、二十七、八才で奉公を終える。
 実は春琴自体も、被害に遭う直前の容姿を「二七八のように見えなくはない」と形容されており、(実際三十七で十は若く見えるというのは相当無理があると思うのだが)これらのストーリーには何らかの思考の跡が見受けられるようであるが、この詳細も後に譲る。(2010.12.19)

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