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『春琴抄』ノート



 


 
 
 
 

◇「生理的必要品」

 十三章に次の記述がある。

つまり目下の人間と肉体の縁を結んだことを耻ずる心があり反動的に余所々々しくしたのであろう。然らば春琴の佐助を見ること生理的必要品以上に出でなかったであろう乎意識的にはそうであったかと思われる。

 十二章十三章で、春琴と佐助の縁談が持ちあがり、春琴がそれを拒絶したものの、十六才で妊娠が発覚し、十七才で出産した。春琴の相手が佐助であることは疑いなかったが、どう責めて春琴がそれを認めない。仕方がないから両親が二人を同じ家に住まわせ同棲させるのであるが、そもそも春琴は徹頭徹尾佐助を目下の者としてしか見ていないし、扱っていなかった。
 ならばなぜ、二人が肉体の関係に至ったのか。
 二人の関係からして、佐助が求めたというよりは、春琴が誘ったと考えるのが相当なはずである。
 深窓の令嬢であるべき春琴が、「意識的には」愛してもおらぬし、むしろ見下している、夫でもない男に体を許す、許すのみならず関係を続けて行く、その理由が「生理的必要品」である。
 春琴はいわゆる「あばずれ」ではない。
 盲目であるため、書物によってその知識を得られない春琴が、どのようにして発情し、佐助を誘ったのか。
 谷崎はそれを「生理的必要品」の言葉で片付けているが、男性性と女性性は明らかに違う。情報過多な現代ならいざしらず、多くの他の階層の子女と交際しない良家の盲目の子女が、自然発生的に男の体に発情し、娼婦が男に身を任せるごとく、どうでもいい相手といたずらに肉体関係に陥ろう、続けようなどとはまず考え難い(敢えて皆無とは言わないが、女性性がそうであるならば、男性性ビジネスの如く女性性ビジネスも成り立っているだろう)。
 さらにそれは「意識的には」という言葉で何とか折り合いをつけようとしている。
 乗り切れないではない。
 しかしこの理由は苦しくはあるまいか。
 このことに関し、「谷崎は女をわかっていない」と説く向きもあるようだが、青年の妄想をそのまま小説にしたような「刺青」の頃ならまだしも、結婚もし、女性に対する知識も深めたであろう、齢四十七歳の谷崎が、そんなことは知らない、思い当たらないとは、とても考えられない。(
 そもそもこのストーリーでこの設定、春琴の性格で通すには、無理がある。
 結婚によって事が成るならまだしも、佐助相手に春琴の「生理的必要」で肉体関係が生じるという恋愛模様を描くのである。

 『春琴抄』は、大きくみればジャンルはラブストーリーである。
 そもそも何故谷崎がこの物語を作るにあたって、こんな面倒な展開を選んだのかということなのだ。
 しかしここで、元の設定が違っていたのだ、と、考えれば、すべて説明がつくのではないか。すなわち、春琴が「娼婦のごとく」、男を迎えたという設定であったならば、どうか。
 高安月郊の「夕霧」(『上方趣味』昭和二年三月 全文は資料参照)に次のような一説がある。

元来遊女の恋は素人よりむつかしい。彼等は余りに多く異性に磨れて、純な愛を自覚せぬうちに濫費する。さりとて全く不可能でも無い、永久の女性は其底に潜んでゐようから相当の対象に逢へば、素人より複雑に現れよう。単に風采や、空想からで無く、現実に、分別も手伝ひ、意識、無意識相混じて、潜熱を燃すであらう。そこに素人より微妙な心理がある。

 ただ体をまかせるだけの関係から、「純な愛」を、「意識的に」自覚したらどうなのかということなのだ。『春琴抄』のストーリー展開を見れば、この状況は読みとれようが、すなわちこのように、元のストーリーが遊女であって、遊女の恋であったならば、想いを寄せぬ相手と交わることもあるだろう。またそれが江戸初期の太夫であるならば、谷崎の理想とすべき女性崇拝の位置付けも可能だった。
 
 ところが、設定は変えられた。
 これまでの昭和初年代の作品系列からいけば、『春琴抄』あたりに、遊女の物語が出てきても全く問題ない状況であったにもかかわらず、である。
 では何が、この設定を新町九軒の遊女から、商家の娘へと変更させたか、ということなのだ。(2010.12.22)

 

 参考までに、三島佑一氏は『谷崎・春琴なぞ語り』で春琴が佐助に体を許した理由を、「好奇心」としている。

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