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『春琴抄』ノート・資料1

※マーカー 夏野

 
   「扇屋夕霧」

 鴫田茅亭
『難波津』大正十三年五月

 二代吉野が京は三筋町の誇りであるとすれば、扇屋夕霧は浪華新町の誇りである。
 夕霧その本名はお照、生れは東山三十六峰の麓、夙に父母を失ふた身は、京の島原扇屋四郎兵衛が懐中を鶯の宿として育ち軈て花の顔、月の黛、扇屋の金山と歌はれたが、寛文十二年その扇屋が仔細あつて大阪の新町に引移つた時、この一輪の名花は浪華の土に根を持つこととなつた。伝へいふ、その頃、今日か明日かと淀川筋に、京から下る夕霧を待ちうけた大坂人の多かつたことは当時の『まがき節』に歌はれた程であると。
      ×
 京の二代吉野に一夜の契りをこめて其の暁に桂川の水泡と消えた刀工があったとの説が残つてゐる。同じやうに、生命をかけて恋ひながら、しがない身を耻ぢて心の底を明かしかね、夜な夜な廓にさまよふうち、行摺りにフト夕霧が取落したる櫛を拾ふて、移り香を肌に抱きしめ其の夜の中に生命終りし男があつたとも伝へられる。
      ×
 花の盛りの十九の年に大坂に来た夕霧は、その廿五となった延宝六年正月六日に、冷い屍となつて香の烟の緩くたなびく扇屋の一間に横はつた。法名は花岳芳春信女、墓は大坂下寺町浄国寺にある。伊丹の鬼貫が手向の句に「この塚は柳なくともあはれなり」。
 正月六日に亡くなった夕霧を題材として、その年二月三日から『夕霧名残りの正月』といふ外題で舞台に演ぜられ藤屋伊左衛門は当時の名優阪田藤十郎がこれに扮して満都の人気を集め、大出来、大当りと評判を博し、その年に四回この狂言を繰返し、翌年正月二日よりは『夕霧一周忌』と外題を換え、その後三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌と繰返してこれを演じ、宝永六丑年、その藤十郎が歿する迄に上場せしこと十八回の多きに及んだといふ。
 文豪近松の『夕霧阿波鳴門』は宝永七年の作で、夕霧が三十三回忌の追善供養のために筆を執ったものと推測される。
 新町九軒の吉田屋に夕霧の着てゐた襠裲と、夕霧から「伊さま」に贈つた玉章とが残つてゐるといふ。その「伊さま」とは何人ぞ。それが果して「……むかしは鎗が迎ひに出る。今はやうやう長刀の……」と巣林子が書いた藤屋伊左衛門であったらうか。或人はいふ。その「伊さま」は阿波屋某といふ大坂の大分限者であつたと。また或人はいふ、西国筋の客で「伊さま」と呼ぶ人がたしかに存在してゐたと。ただ夕霧の玉章のうちに「――そろそろ御のぼり候へかし―」といふ文字のあるから推して「伊さま」は、どうやら遠国の人と解せられるが、それもまだ確実でない。知りたいものである。
 或書に夕霧の容貌を書いて「この人は誠に一世の佳人なれど、惜しや眇目」と。世にはいらざる所に力瘤を入れる妙な穿鑿家もあればあるもの。よしやそれが事実であるにもせよ、我等は三十二相どこに一つの欠点のない絶世の美人として我が夕霧を想像するものである。それを何ぞや、言ふべき事に欠いで「藪にらみ」であつたなどと、咄、何等の痴漢ぞ!
 上方唄に『夕ぎり文章』の一曲がある。歌詞は巣林子作と伝へられてゐる。詞に曰く
 
 ゆふぎり文章 (本調子)

なに九年、苦界十年花ごろも、気ままに遊ぶうぐひすの、梅にくるわの恋風や、その扇屋のかなやまと、名にたちのぼる全盛の、松にしがらむ藤かづら、馴れそめて、こい紫の、あけの烏のそれなりに、かねもにくまぬ寝みだれがみの、結ぼほれ、すいた同士の中さへも、あだに別れて丸一年、ふたとし越しのおとづれも、ないで明かしてかこちごと、うらみも誰にゆふ霧が、二世とかけ地をつくづくと、もたれかかりし床柱、おもひに沈む、恋が浮世の何じやぞいな、達磨さん、いろごと知らぬとのたちは、玉のさかづき底がない、おまへの裾も本来は、へつて無いのでありそなものを、しやうことなしの恋知らず

 

 
    夕霧

 高安月郊
『上方趣味』昭和二年三月

 京の吉野、江戸の高尾に対して、大阪の太夫といへば、夕霧ときまってゐる。然し彼は京の女であつた。二代目吉野歿後十年、初代万治高尾より早く五年に生まれて、十八九で既に島原へ出てゐたから、吉野が残した蟹の盃の雫を吸うて、高尾がほした楓の盃の噂は耳にしたであらう。寛文十二年扇屋が新町に移るにつけて、大阪へ移つた頃は松の位に登つてゐたか、それから六年、歌よまぬ小町の大橋、いやらしいお琴、鼻の穴の黒い朝妻など足元にも寄れず、しとやかな格好で、肉つきよく、地顔でも色白く、すがめでも、情ふかく、酒も飽かず飲み、歌ふ声も好く、琴、三味線に長じ、文句気高く、長文書き、物ねだりせず、人に憎まず、手管に長けて、汚名が立つと止めさせ、のぼせ上ると理をつめて遠ざかり、身を思ふ者には世間の事を異見し、女房のある者には合点させ、魚屋、八百屋まで喜ばせたといふ。さては情一図より、理知もすぐれた女の様である。
 尤も廓に育つて多くの人に接するからは、智も砥がれるにちがひないが、根本から智の女か、情の女か。吉野はさはやかで、智も深かった。然しそれより深い情に時雨を染めた、高尾が三股の流に張りを立て通したとは誤伝であるが、江戸の女としては意思が一であらう。夕霧は年の暮に世之助を火燵に忍ばせる転機、それは西鶴の戯作であるが、伊左衛門に踏まれ蹴られても怒らず「此夕霧をまだ傾城と思ふてか」と、遊女気分を離れた真実、それは近松の理想であらう。
     *
 然し京の女の通有性から判断すると、情熱は鴨川の水と浅く、然も性の色は濃い上を分別に化粧して、意地の角の無い柳の柔かさ、誰の袖も撫でゝ一に凝らず、春風と微温であつたのだが、大阪の女に交つて、色は愈々濃く、分別も細かくなつたか、ならぬか、情は横堀の水に湛えて、春より秋風の鋭どさを加へたであらう。純情の女でも無く、純智の女でも無く、情に智を加へて、それ丈人を引いたのであらう。
 伊左衛門が情人の名を占めたがそれも舞台の上で、現実の恋の伝はらぬのは、吉野より其人に遇はなかつたのか個人的より博愛であつたのか。恋より母性に深かつたのか。
  児の親の手笠いとはぬ時雨かな
 これでは母型が出てゐるが、そればかりで断言も出来ぬ。元来遊女の恋は素人よりむつかしい。彼等は余りに多く異性に磨れて、純な愛を自覚せぬうちに濫費する。さりとて全く不可能でも無い、永久の女性は其底に潜んでゐようから相当の対象に逢へば、素人より複雑に現れよう。単に風采や、空想からで無く、現実に、分別も手伝ひ、意識、無意識相混じて、潜熱を燃すであらう。そこに素人より微妙な心理がある。
 但し太夫は其社会の姫君であつた。趣味教育を特別に受けて、おのづから気品もつき、客も敬意を表したからは、下層の遊女ほど世情に疎かつたであらうが、大名の姫よりは情味を解して、士、町人の女房より生の美興を知つてゐた、それで大名から士、町人、それも富豪で無くては買へなかつたから、下層のほど切迫するに至らなかつた。心中するのは大抵中以下の女で、それも多くは金につまつての死花であつた。新町には殊に少かつたのは、廓としても大阪で一、客も多く上流を相手にし、女も太夫本位であつたからといふ。されば南北の新地ほど悲劇の舞台に乗らぬが、さて大阪の女、少なくも太夫の代表とすると、矢張夕霧と言はれるのは、一は劇の為である。

     *
 夕霧が始めて舞台へ現はれたのは延宝六年、すなはち其歿後間も無く、大阪の荒木与次兵衛座であつた。それほど其名が高かつたと見える。然し劇としては伊左衛門を勤めた坂田藤十郎が当てたので、続いて同年に四度も出した。其後の一生に十八度も出したのは、傾城買と得意にして、殊に鷹揚な性格が彼貴族的町人に至当であつたからであらう。
 然し其毎に夕霧を愈々濃く印象したにちがひない。浄瑠璃では近松が先ず『遊君三世相』に描いた。但し其死後其娘が亡跡を尋ねる事にしたが、卒塔婆枕のうたゝねの夢に現はれて、邪淫の炎に焼かれる苦悩を見せたのは、遊女普通の応報で、夕暮の特色が出てない。そして悩ませる男が皆唯の客で、娘の父の左京でも恋人でも無い。最後に、跡を弔はれて姿を現はし「元是人間の種にあらず、恋慕に沈む衆生を救ひ、解脱を示さん其為に」仮に出生した菩薩と云ふに至つて「江口」の類型になつて、人間の女としての夕霧は消えてしまふ。
 『夕霧阿波の鳴門』は其後二十余年の作文、年も熟して、人間の女らしくなつた。死後で無く、生前、然し病後の揚屋入り初会の客に対しての張りは太夫の気位を示してゐる。伊左衛門に逢うてからは丸で手管も無く、情一図に口説き立てるのは、傾城も真味の情になると素人同然といふ積りであらうが、もつと複雑を経た単純を示すべき所であつた。これは作者が好模範をえなかつったのか、其真面目を描き出さうといふ気もなかつたのか。
 それから阿波の大尽にわざと根引きされて、伊左との仲の子をぬりつけるのは、遣手の立案とはいへ、悪ずれ過ぎる。露見して、すごすごと帰るとは、太夫より作者の工夫が足らぬ。逆に故無く勘当ありて間に合はず死ぬのは、芸術としても整つて無い。されば全部出なくなり、芝居へ移つて『廓文章』を短縮され、口舌の跡へ直勘当赦免、所作めいたものになつたのは余り智恵が無いが、それで愈々紫鉢巻濃い痕を留めた。江戸にまで移つて富本、常磐津などに唄はれる様になつたが、到底江戸の色で無い、どこまでも義太夫調である大阪式である。
 但しあの口説の文句はもつと前の唄に出てゐる、それも近松の筆か、よくやる他の文句を転用したのか、それから浮世絵にも多少描かれたが、歌麿の趣味の江戸の女である。豊国の夕霧は豊国の筆癖の女である。雪鼎始め大阪の絵師のを見た事はない。鬼貫は浄国寺の墓にまゐつて、
  この塚は柳無くてもあはれなり
 何があはれか、美の死か、美女の死か、死より生を其特色に与へる人の無いのが最もあはれ、夕霧は太夫として、女として、上方を代表する女として、其魂を捉へる人を恋人より待つてゐるであらう。

 

 
    『梅忠』と新町の遊里*抜粋

 石割松太郎
『大大阪』昭和四年十二月

 (前略)
 そして花街の組織は、遊女の置屋(くつわといふ)と遊女を呼んで遊ぶ家である揚屋又は茶屋とからなるが、この廓で揚屋となると、九軒と佐渡屋町、越後町にあつた。そのうちでも九軒は代表的な揚屋のあつたところ、夕霧の吉田屋、江戸屋勝次郎の遊んだのも九軒の井筒屋であるという風であつた。
 (中略)
 「天神」といふのは「太夫」の次の遊女、銀二十五匁がその揚代である。「二十五」といふ数が、北野の縁日であるところからの名が「天神」だ。この天神の又の名は「中位」「宋」「むら」「格子」などいつた。が、揚げ代からして「二尺五寸」と銭勘定をわざと避けて尺目でもいふのだが、後には揚代三十匁となつたから、「三尺」ともいつた、三十匁の揚代では「天神」の名にふさはしからぬことになつたが、権輿を重んじて、そのまゝ「天神」「梅」などは、変らずに呼ばれたのである。
 これまでの「太夫」と「天神」の二職が、揚屋へ聘される資格を以つてゐる遊女であつて、以下は、揚屋へは上げなかつた、それらは「茶屋」へ聘ばれたのである。
    *
 が時代が後になるほど太夫がどしどし殖えるのを見るとその位にならぬものまでが「太夫」の名を冒すことになつて、揚屋は上つても、太夫の品位は落ちる一方であつた。宝暦七年刊行の『みをつくし』といふ新町に関する文献によつて、揚代を調べると、太夫六十九匁、天神三十三匁、見世女郎二十二匁とある。
 前に述べた「引舟」の起原は、彼の伊右衛門の情事を伝へる夕霧が京の島原から新町へ来てからの話で、夕霧が按じた制度であるより見ても、夕霧の全盛が思ひやられる。「夕霧」の話は、そのくだりで述べたいから、茲には、「引舟」の創制者であることだけを記しておく。
 次が「囲ひ」である、「鹿恋」とも書くが、「十五女郎」と西鶴は表している。
 (中略)
 『冥途の飛脚』と時代が同じいから、これを引用するのが、一等の捷径であるが、本文の引用を省いて遊女の品目のみ、こゝに並べるとかうだ。

太夫、天神、囲(かこひ)、汐、影、月(ぐわつ)、白人(はくじん)呂州、お山、比丘尼、間短(けんたん)惣右衛門

 の十二種類の遊女の品目があるが、「白人」以下の六種は私娼であるから、即ち「岡場所」謂ふところの「島場所」の「をんな」だから、この稿の進むにつれて、その折々に説明するとして、太夫以下の六種の遊女、即ち当時正徳年間に新町に稼ぎをつゞけた六種類のこの遊女についてのみ、こゝに説明をしよう。
 「太夫」とは、廓で最上の遊女である。何故「太夫」といふかといふに「太夫」とは、「芸」に対する名称である。慶長年間までの遊女は、四条河原に芝居を構へて、能太夫舞太夫皆傾城が勤めた。傾城といふが、実は表芸は舞太夫であつた。乱舞仕舞の太夫であつたから、後には遊女の惣名となり、本廓が寛永年間に出来てからは廓の最上の遊女は、「太夫」と称けたのである。――といふのが『洞房語園』の説で、これが本とうであらう。
 そしてこの太夫に「五三」といふ異名がある。これは、その勤めの銀が五十三匁といふからの異名で、「松の位の太夫」などゝと呼ばるゝのは、秦の始皇帝が、猟に出た時、俄雨にあひ松の下に、暫しの雨を凌いだので、「松」に太夫の官をなし給ふたといふ故事がある。鷺に五位の位を与へられたなにがしの帝の伝説と和漢の双璧だが、「松」に「太夫」の官があるところから、「松の位の太夫」とか、太夫を「五三」とか「松」とも呼んだ。又「上職」ともいふ、又唐韻の「上声」ともいつた。「左馬」ともいひ、「上官」「本位」「高体」などゝともいつた。
(後略)

 

 
    十夜と報恩講*抜粋

 池春雷
『難波津』十号

 十夜は陰暦十月五日から十四日まで十日間、浄土宗の寺院で行はれるもので、老若男女群衆して弥陀の名号を誦して鉦を叩く。
 十夜の起原は、『無量寿経』に『…於此修善十日十夜、勝於他方諸仏国土、為善千歳…」とあつて此の時期に於て善を成すこと十日十夜なれば、他方の諸仏国土に於て千年善を為すにも勝るとの意で、十日といひ、十夜といふより、月の十月を撰び用ゐたもので、『俳諧歳時記』には

 十夜、洛東鈴声山真正極楽寺真如堂を以て初めとす。本尊は慈覚大師の作なり。此像霊験によりて別時念仏を修む。これを十夜といふ。蓋し伊勢守貞国始めてこれを修す。

とある。十夜といへば、網島の大長寺で、小春と治兵衛との情死は、享保五年十月十四日、十夜の満願日の暁方であつたといふ。
  北山をうしろに坐る十夜かな   小洒
(後略)

 

 
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