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霧中

 

 

    九、
 

 四月。うらうらと穏やかな、天気のよい日曜日であった。少し傾斜のついた道を左手に花束、右手に鞄をさげて恵理は歩いている。屋根の大きな、なかなか感じのよい雰囲気の洋館の前まで来ると立ち止まり、門扉の横のインターホンを鳴らした。しばらくして女性の声がした。
「はい。」
「あの、堀川…圭吾さんはいらっしゃいますでしょうか?」
「どちらさまでしょうか?」
「東野恵理といいます。」
「東野恵理さまですね。少々お待ちください。」
 待て、と言われてしばらくぼ――ッと待っていた。
「は……、でかい家。」
と独り言を言って家を見上げた。と、玄関の扉が開いて堀川が姿を現した。
「やあ、久しぶり。」
「こんにちは。」
堀川が門扉までの石段を下りてくる。
「元気そうだね。」
「はい、堀川さんも。」
堀川は恵理のためにキィ――と門扉を開けた。
「どうぞ。――成美に会いに来たんだろう?」
「はい。――失礼します。」
トントントンと石段を上がる。玄関の扉を堀川が開けて、恵理を中へと招じ入れた。
「お、おじゃまします。」
ふと中に入って圧倒された。外観と違わず、中も落ちついた感じの立派な家である。――が、家が広い割に、中は恐ろしく静かだった。エプロン姿の女性が一人――正確に言えば家政婦姿の女性が一人、家の中からバタバタと足音を立ててやってきた。
「いらっしゃいませ、どうぞ。」
恵理は少しためらって、横にいる堀川を見上げた。
「ああ、どうぞ。上がって。」
「どうぞ。」
家政婦は笑顔で勧める。
「おじゃま…します。」
恵理は整然と揃えられた一対のスリッパに足を通した。
「あ、お荷物を…。」
恵理が上がると家政婦が手を差し出した。
「あ、いいんです。これは…、成美さんに渡す分だから…。それより、花瓶用意していただけます?」
「あ、はい。」
ふと気がつくと、いつの間にか堀川は先で待っていた。
「こっちだ。」
「あ、はい。」
バタバタと恵理が追いつく。ガサガサと手元の花束を包み紙が音を立てた。玄関を入った所の廊下は北側にあって、明かりを入れるために大きめの窓が並んでいる。庭には背の高い桜の木が植わっていて、今がちょうど盛りであった。廊下を突き抜けてすぐの階段の前を通りすぎる頃、今まで黙っていた堀川が、やっと口を開いた。
「中川くんが何か言ってなかったか?」
「中川…ちゃん? いえ、何も…。」
「そう、か。」
 何も言ってはいなかったが、春休みが開けて始業式に会った時、えらくふさぎこんでいた…というか、落ち込んでいた。三月二十二日――堀川の母晶子が、葉子の義弟、田崎亜雄によって射殺されたその日以来、中川も恵理も寿美恵も、一度として葉子に会っていなかった。ただし中川が春休みに一度、病院に入ったという彼女を見舞いに行くと言っていたが…。
「あの、入院したってきいたんですけど、もういいんでしょうか?」
「―――…入院してるより、手元に置いた方がいいだろうから、空気のいい堀川のこの別荘に移したんだ。」
 何の病気だったんだろう? 恵理は思った。それにしても堀川の様子が以前とかなり違う。何と、言うんだろうか? 大人びた、というか…。少しやせたせいもあるだろうが、もともと高い身長が、さらに高く見えるような気がする。
 廊下を右に左にと曲がると右側面に大きなガラス窓の並ぶ日の入る廊下があった。つきあたりにドアが一つ。その前で堀川が立ち止まる。恵理に振り返る。じっと恵理の顔を見る。とても真剣な、目。
「どんなふうに変わっていても、あまり驚かないように…。」
「え?」
ふと軽く堀川は目をそらせた。
「本当は会わない方がいいのかもしれない…。でもきみには、会っておいてもらった方がいいだろうから。」
「どういうことですか?」
「堀川は何も答えないでドアの方へ向き直り、ガチャリとドアを開けた。開けて、また恵理を見る。
「どうぞ。」
 恵理は堀川の向こうにある部屋を見つめた。一体、何が変わっているのだろう? 堀川の横を抜けて入って行くと、そこは八畳くらいの洋間だった。右奥――南側にベッドがあって、その上に窓がある。ドアの向かいの壁にも窓があってその前に、飾り気のない真っ白な机と椅子が並んでいる。壁の白を床のオレンジが受けて、優しい感じの部屋である。部屋の中ほどには向かいの窓に向けて、大きいロッキングチェアーが置いてある。成美がすわっているのであろう。
「ドア、閉めておくかい?」
「あ、はい。」
 静かにドアが閉まる。恵理は右手に持っていた鞄を腕にさげて、両手で花束を持った。小走りに成美に近づく。
「久しぶり! 葉子!」
横からバサッと膝の上に花束を置いた。何の反応もない。
 あれ―――?
 はっとなって椅子の上にすわっている人を見る。確かに成美―――葉子であった。虚ろな目。揺れる椅子。
「あ、そうか。今はもう成美って呼ばなきゃいけないんだ。ごめんね。――荷物ここ置いていい?」
成美に向かって恵理は尋ねる。何の返事もない。
「置く―――ね。」
持ってきた紙袋を床の上に置くと、ついと机のある方――正面の窓に向かう。窓が東、ベッドのある方が南となっているらしい。
「うわっ、ここにも大きい桜の木がある。きれいねえ…。もうすぐ散り始める頃かな?」
窓の外に桜の木がある。ガラガラと恵理は窓を開けた。
「今度のクラスがえねえ、中川ちゃんと寿美恵が同じクラスなんだ。あたし一人離れちゃって…。葉――成美が転校しなければ、同じクラスだったのかもしれないのにね。」
微笑んで恵理が振り返る。成美はさっきと同じままで、何も言わない。
『本当は会わない方はいいのかもしれない…。』
瞬時、微笑んでいる恵理の姿がピタリと止まった。
「…あ、あ、そうだ、家庭科の先生がね、マフラー返すの忘れてたから、渡しとくわって。」
袋をガサガサと音を立てて、マフラーを取り出す。さっと広げて成美の方を振り向いた。
「成美イニシャル入れてたの…ね。」
成美を見る恵理の微笑みが崩れていく。背後の窓から桜の小さな花びらと一緒に南風が舞い込む。
 誰? これは…。ここにいる、これは…。
「田崎…葉…子、って…。」
 止まりかけていたロッキングチェアーが南風で揺れる。虚ろな目の成美の口元がわずかに緩んだ。微動だにしなかった成美がわずかでも動いたので、恵理は少しばかり安堵する。
「成美。」
揺れる椅子、虚ろな目の成美。吹き込む南風、口元だけが微笑む。揺れる体、笑う成美。
「クス…クスクスクスクス………フフフフフ………。」
「成美――――――?」
花びらのついたマフラーがガクガクと震え始める。顔が強張る。
「嘘…でしょう?」
風が少し、彼女の前髪をかきあげていった。
「成美?」
「………」
一人、幸せそうな成美がそこにいる。バサリ、とマフラーが床に落ちた。ポロポロと恵理の目から涙がこぼれ落ちた。
「成美…う…でしょう…成…。」
ゆさゆさとロッキングチェアーの上の成美を揺する。動かない。虚ろな目も、微笑んだままの口も、手も、花束の乗せられた膝も――――――。
「成美…。嘘よ。成美、ねえ、返事して、ねえ、葉子ぉ? よ…。」
一滴、一滴、恵理の涙が成美の膝の上の、花束の上に落ちる。光と影が部屋の中で交差している。
「葉―――――っ、葉子おおおおお――――――――――。」
堀川は、ドアの向こうの堀川は、唇を噛んだ堀川は、静かに、うつむいた。
 

 広い居間の中ほど、向かい合わせで椅子の上に恵理と圭吾は腰かけていた。ついさっき運ばれてきたティーカップが二組、手をつけようともしない。
「会わせない方が―――。」
圭吾が口を開く。恵理がうつむいた顔を上げた。
「会わせない方が良かったかもしれないけど…。いつかは分かってしまうことだろうし―――。」
「後で知った方がショックだったと思います。何で前もって話しておいてくれなかったんだって思いましたけど。知ってたって自分の目で見るまでは信じられなかったと思いますし…。結局同じだったんじゃないかと―――。」
堀川さんだって言葉で表したくはなかったんでしょう? 言いかけて恵理はやめた。
「そう――だな。話しておいてもよかったんだ。もっと早くに連絡しておいても…。でも俺自身結構まいってたから…。」
南の窓からレースを通して光が差し込む。目の前の紅茶が鈍く、部屋の中の光を反射していた。
「どうしてこんなことに…。」
 恵理はうつむいて、沈み込んでしまった。そんな恵理を見てしばらくしてから圭吾は立ち上がった。視界の隅にあるテーブルの上に圭吾の手の気配がして顔を上げると手紙――つと堀川がそれを前に置いて、腰かける。恵理は手紙をじっと見て、堀川を見上げた。
「これ―――。」
「田崎のおじいさんの手紙だよ。…亜雄くんがどうなったかは、知ってるね?」
「ええ――だいたいは…。」
恵理の周りの空気だけが少し緊張している。
「亜雄くんのこととか…いろいろ、書いてあるから。読んでごらん。」
「―――いいんですか?」
「ああ。」
 ぶ厚い封筒の中からすっと幾枚もの便せんを取り出す。四つ折りになった手紙を開くと、達筆な字で縦書きにしてあった。
「長い間ごぶさたいたしまして申し訳ありません。しばらくこちらでは手の離せない状態でありましたので。」
墨で書いてあるらしい。おじいさんらしい、と恵理は思った。
「さて、今回の事の起こりが私に原因があったということは、言うまでのございません。よって、今までのすべてを告白いたします。
 私には息子が二人おりました。事の起こりはその長男の賢の家出でございます。賢は親の私から言うのもなんですが、たいへん出来のいい息子でした。頭も良く、幼い頃から心根の優しい子供で、我が田崎家一族の財産を守るにふさわしい息子には、やはりそれ相応の嫁を迎える気でおりました。ところが、十八年前突然、結婚すると言って地元の娘を連れて来たのです。むろん、我々は反対いたしました。娘と別れて我々に従え、従わない場合は勘当するとまでも言いました。しかしそれにもかまわず、息子は家を出、二度と戻っては来ませんでした。そして息子が家を出た後、何の連絡もよこしませんでしたし、私共も方々を捜しまわりましたが、手がかりさえ見つかりませんでした。もう帰ってこないだろうと諦めているうちに、一年たち二年たち、それから五年して偶然、アメリカに行っていた親類の者がかの地で息子の消息をつかみました。しかしもう時は既に遅く、息子は異国の地で土になっていたのです。私は、元から諦めていたとはいえ、私も人の親でございますから、しばらくは息子を失った哀しみで途方に暮れておりました。そのうち娘が息子の子二人とあまり楽ではない生活をしていると聞きましたので、娘に金を添え孫と一緒に帰って来るようにと手紙を書きました。私共から息子を奪った娘とは思っておりましたが、私も孫かわいさに許すことにしたのです。娘が意外に多かった借金を片付け帰国するとの連絡を寄越しましたので、私は港まで娘と孫を迎えに行きました。
 その日は雪でした。その港に着く日の連絡が入っておりましたので、前日、迎えに出ました。朝早く港に着くと、親子づれの三人が着いていないかと係りの者に尋ねました。娘が知り合いに頼んでその船に乗せてもらったらしいのですが、待っても待っても出てくる気配がないので尋ねてみたのです。係りの者に病院にいると言われ、娘か孫の身に何かあったのかと急いでその病院にかけつけました。そこで私が会ったのは、医師と、船の中で息をひきとった母親と、その横で何も言わずに立ち尽くしている二人の孫たちでした。孫たちは暗い部屋の中、母親が死んだのに泣き声も上げず、ただ黙ってそこに立っていました。私は近寄り、その母親にかけてある布を取りました。医師の話では働き過ぎと栄養失調で体が衰弱していて死に至ったということでした。死んだ娘の顔は青白く、やつれ、しかし私が驚きましたことは、どうしてこんなにもと思うほど、幸せそうな微笑みを口元に浮かべていたことでした。皆に反対されて家を出、異国で頼る者もなく暮らし、夫に先立たれ、二人の子供を一人で育てた。それなのに、どうしてこんなに幸せそうな顔をしているのだろう。私はその時、激しい罪悪感と後悔の念に襲われました。もし、私が二人がかけおちするほどに反対していなかったなら、もし結婚を許していたなら、息子も異国の地で死ぬようなことはなかったであろうし、娘も疲れ果てて死んでしまうようなことはなかったでありましょう。二人の子供も幼くして両親を亡くすようなことはなかったでしょう。私が意地を通したばっかりに、息子たちを不幸におとしめたのです。そして私は、そばにいる子供たちを何がなんでも幸せにしてやらねばならぬ、死んだ二人のためにも必ず、そう決心したのです。それが私の罪滅ぼしになるのだと思いました。
 最初、私が二人の子供たちを連れて帰ると、次男の息子夫婦に子供がいないし、また年老いた私と妻とでは二人の子供たちに十分な事が出来ないだろうから引き取らせて欲しいと申し出て参りました。私といたしましては二人の子供を自分の手で育て上げると決心した矢先でありましたから、何度もその申し出を断りました。しかし息子夫婦は熱心に申し入れましたし、私共といたしましても、やはり老いた身では限界があり、それから先二人の子供に十分な心配りが出来るかどうか不安でありましたから、それでは、と、亜雄は跡取りとなる子供だから、もう一人の姉のようこをと養女に出しました。
 それからは皆でつつがなく暮らし、手元にいる亜雄も、たまに遊びに来るようこも、とてもかわいく感ぜられたものでした。息子と嫁は死んでしまいましたが、私共は遺された孫と共にとても楽しく暮らしておりました。四年後、次男の元へ養女にやったようこが、七つの秋、白血病で亡くなりました。こんなに早く逝ってしまうのなら、やはり手元で育てておくべきだったといたく後悔したものです。息子夫婦に先立たれ、幼い孫にも死なれ、そしてその二年後、孫の三回忌を前にして妻にも先立たれました。私は亜雄と二人取り残され、いよいよ寂しい生活を送るようになったのです。亜雄はいわばおばあちゃん子だったのですが、それでもやはり本当の親とは違ってどこか隔てたところもあったでしょう。本来ならいつも一緒にいるはずの姉のようことは幼い頃に別れ、その姉も亡くなり、まして、隔てたところがあっても、一番近い所にいたあの子が、一番寂しい思いをしていたのかもしれません。私も妻が亡くなってからは自分のことで手一杯でしたし、努力もしてみましたが、細かい所まであの子の面倒をみてやれませんでした。後で聞いた事ではありますが、陰のある子をねらうものなのか、学校でいじめにあっていたらしく、私はそれさえ見抜いてやれなかったのです。だからこそ、亜雄は葉子を姉以上、母のようにも思っていたのかもしれません。
 告白いたします。葉子は、あの子は、私共の本当の孫ではありません。六年前、私が親類の家に行った帰りで、もうそろそろ辺りが暗くなる頃のことでした。雪が降りしきる中、曲がり角でスリップ事故を起した観光バスが、すぐ下の池の傍に崩れ落ちていました。私が行った時にはまだ煙が上がっており、車から降りてみるともう絶望としかいいようのない有り様でした。すると、窓から投げ出されたのか子供が、私の足元に倒れていたのです。意識を失い、足にケガをしていたらしく、しかしまだ息はありましたので、抱き上げてみました。その後のことは無我夢中で、よく覚えておりません。車に乗せ、家に連れ帰りました。思えばあの時、私は気が少々おかしくなっていたのかもしれません。私の消えない罪悪感と後悔が、私の心と体を支配してしまったのでしょう。その子が死んだようことどこか似たところもあったせいだと思います。今から考えれば、どうしてそんな事を思ったのだろう、してしまったのだろうかと思われてなりません。
 『この子は死んだようこの身代わりだ。大切に育て上げ、この子の望む所へ嫁がせてやれば、私の償いは終わる。』
 しかし年月がたつにつれ、葉子への愛着も覚え、いつからか他人の子供を勝手に連れてきたということに恐怖を感じるようになったのです。そうしてあの子の気持ちも考えず、とても閉鎖的に扱うようになったのです。こうして、三人の子供たちは、私のエゴの犠牲になったのです。亜雄にしても、ようこと一緒に次男夫婦に預けていたなら、あれほどまでに葉子を盲愛することはなかったでしょう。」
 ――― ――病院精神科――――
 少年がいる、暖かい陽だまりの中、椅子に腰かけた少年がいる。その横で寂しい目をした老人がたたずんでいた。少年が老人に声をかける。
「じいちゃん。」
「ああ?」
少年はためらって沈黙する。それから思いきって口を開いた。
「じいちゃん、オレ知ってんだぜ、葉子が本当の姉ちゃんじゃないってこと。」
老人は少年をじっとみつめた。
「ああ…そうか…。」
「オレずっと、葉子のこと好きだったんだ。姉ちゃんとしてじゃなくてさ。だから病気が治ったら、オレ葉子に告白するんだ。最初のうちは解ってくれないかもしれないけど、いつかきっとオレの気持ちわかってくれるよ――驚くだろうなあ、葉子。」
少年は老人に話しかけているのか、一人でしゃべっているのか解らないような、うっとりとした目をして言う。老人は返す言葉もなく、目を細め、少年を見た。
「ああ…、ああ…、そうだな、亜雄。そうだなあ…。」
――――
「許してください。私がすべて悪いのです。あなたにも何度か失礼な事をいたしました。しかし、わたしも葉子も、あなたがやってこられた時点で今のままではいられないと心のどこかで覚悟していたのでしょう。そして次男夫婦が葉子を返すように何度も言って参りましたが、私はその気にはなれませんでした。私にとって葉子はもう自分の孫同然だったのですから。しかしあの事が起こる数日前、葉子が自分からあなたのところへ行きたい、あなたのそばにいたいと言い出したのです。こう言われては、私はどうしようもありませんでした。葉子が自分の意志で行きたいと言い出したのですから、私にはどうする術もありませんでした。最初からあの子の望むところへ嫁がせようと思っていましたから、それが早くなっただけだ、そう思い込もうとしたのです。しかしその時点で、亜雄の気持ちにも気付いてやるべきだったのです。許してください。思えば私は少しも自分以外の者を、思いやってなどいなかったのです。私はいつも、私が、ただ救われたかった。あの子にとっては多分母親を、もしくはそれ以上の者を奪われる気がしたのでしょう。私がもう少し何とかしていれば、あんな悲劇は起こらなかったかもしれません。すべての原因が私にあるとはいえ、亜雄が憐れでなりません。あなたにもお詫びの申しようもございません。私がすべて悪いのです。今私に出来ることと言えば、狂ってしまった亜雄を終始見守ることしかありません。後は一刻も早く成美さんが正気を取り戻されるようお祈りするばかりです。本当に、本当に、申し訳ありませんでした。心からお詫びいたします。

 昭和六十二年四月八日
 堀川圭吾様

田崎賢造」


 恵理は手紙を読み終えると、しばらくじっと手元の手紙を見つめていた。圭吾も動かない恵理をじっと見ていた。恵理がゆっくり、体を縮める。手紙が「くしゃっ」と音を立てた。
「何もできません。」
「…」
「あたしはこの手紙をみせてもらっても、この人達に何もして上げられません。私はこの人達を知っているけれど、何も出来ません。情けないけど…。」
「何も出来なくていいよ。」
恵理は頭をもたげた。
「何もできなくていい。ただこの人達をさげすまないでいてくれるのなら、それで十分だよ。事情もよく知らないで腫れ物に触るような言い方をして欲しくなかったから、読んでもらったんだ。」
恵理は再び手紙を見るとカサカサと折り曲げて封筒の中に入れた。圭吾の方に返す。
「どうしてこんなことに…。」
「時間だけでも元に戻ればいいと何度も思ったよ。そうすれば、成美だけでも何とかなったかもしれないって…。でもそんなことは出来っこないし…。―――俺自身、情けないよ。」
「みんなそういうふうに思うんですよね。すべてが終わった後に、ああすれば良かった、こうすれば良かったって。でもそれはもう過ぎ去ってしまったことだから、誰も皆傍観しているしかないんです。―――わかってはいるけど、哀しいですね。」
「ああ―――そうだな。」
「いつか、成美は帰ってきますよね。」
堀川は何も言わずに恵理をみつめた。
「元どおりに…。」
「してみせるよ。」
恵理は心の中でうなずいた。いつか―――
 

 それから間もなく恵理が帰ると言い出して、堀川と玄関まで出て来た。恵理は紙袋を二つに折って手に持った。靴を履く。
「送ろうか?」
「いえ、いいです、ここで…。あたし一人で歩きたいから…。」
「そう…か。」
嵐が去った後のような淡白な会話。薄暗い玄関で、こんな会話は少し寂しい。恵理はそのまま堀川の顔をよく見ずに、じゃあ、と言ってドアに振り返った。ノブに手をかけた時になって思い出したように突然振り返った。
「あの…堀川さん、ここから学校に通ってるんですか?」
「ああ…?」
その言葉に恵理は圭吾の顔を見ながら弾むように言った。
「できます! 堀川さん。葉子のそばにいてあげて下さい。それが堀川さんにできることだと思います。」
恵理の言葉をきいて、圭吾は表情を和らげた。とても、穏やかな目をして言った。
「―――わかってる。」
にっこりと恵理が微笑んだ。
「ガチャッ」とドアのノブを回す。ドアを押し開けながら、
「あたしも休みになったら来ますから。」
言った。
「ああ、気をつけて。」
「さようなら。」
圭吾の顔が見えなくなるのを確認しながらドアを閉めた。
 

 外はいい天気である。日差しも穏やかで歩いていると気持ちがいい。見上げた空は青かった。車の通りも少なく、恵理は道の真ん中を歩いていた。
『田崎さんちの葉子さんは品行方正、成績優秀な万能なお嬢さん』
 葉子はそんなもの、本当は要らなかったんだね。人が皆、欲しがるものだけど…。
 恵理は立ち止まり、堀川の家を振り返った。
 あたしは――あたしは葉子に初めて会った中二の時から今までずっと劣等感を感じていたんだよ。葉子にしてみれば、それは要らないものだったかもしれないけど。あたしはあんたの持ってたものすべてが欲しかった。―――ううん、あんた自身になりたいと思った。田崎葉子自身に―――。あんたなんかいなくなってしまえばいいって思ったこともある。あたしは――記憶喪失になったことも、他人の家に養女になったこともないから、あんたの苦しみは本当には解らないと思うし、一人になった時の哀しみなんて解らないけど、あんたにも適えられないことがあるって、苦しんでる事があるって知った時、あたしは葉子がとても近くに感じて、嬉しかったんだ。
 一番欲しいものが手に入らない――あんたにとって一番欲しいものって何だったんだろうね。
 風が吹く。どこからかちらほらと桜の花が舞って来ている。
 あたしはあんたが何者でも、田崎葉子でも、堀川成美でも、いつもあんたのことが好きだったのよ。劣等感を感じながら、いつも魅かれていたの。いつも、いつまでも、友達でいたいって思ってた。―――だけどあんたはいつもあたし達から逃げていたんだね。そして今、現実からも逃げてしまった。
 恵理の目から涙がこぼれ落ちる。はらはらと頬を流れ落ちる。
「遠い、もう遠すぎるよ、――どこまで? どこまで行っちゃったの? ねえ、帰ってきて…帰ってきてよ、葉子。このままじゃ、嫌だよ。みんなあんたが好きなんだよ。――それだけじゃ駄目なの? それだけじゃ―――。」
 恵理は彼女の家をみつめていた。そして歯を食いしばって、歩き始めた。
「今度会う時は、堀川成美だね。」
――――…。
 

 「カチャリ」と圭吾がドアを開ける。ロッキングチェアーの上の彼女は眠っていた。
「成美。」
圭吾が膝をついて椅子のひじにもたれる。
「眠ってるのか?」
返事はない。圭吾は成美の前髪を静かに手でかきあげた。
「成美――髪を伸ばそうか? 長く長く、髪を伸ばそう。風になびくような、長い髪。…―――そして、元気になったら、お兄ちゃんと一緒に高原にピクニックに行こう。なあ、楽しみだなあ…。」
圭吾はじっと彼女の顔を見つめる。
「一度もおもいっきり笑った顔を見たことがなかったな…。いつも気がつけば、何か一生懸命我慢しているような、張り詰めたような空気の中にいて…。今が一番幸せなんだろうか? ――はやく、帰って来い、成美。もう誰も、お前を傷つけやしないから――傷つけさせやしないから。いつでも護ってやるから。帰って…来い…。」
 彼女は何も答えない。入院中、母方のいとこを呼んで血液検査をした結果、彼女は間違いなく、堀川成美だった。成美は圭吾の元へ帰ってきた。六年ぶりに、こんなにも皮肉な形で…。彼女は眠っている。幼い頃の思い出も、霧の中の真実も、その胸の中に閉じ込めてしまったまま眠っている。悪夢の夜が明けて、今彼女はどこにいるのだろう? …思えばあの時、悪夢のような夜が明け、霧が晴れて行ったあの時から、すべては始まっていたのだ。そして、再び彼女の前にやってきた夜明けは彼女のまわりの霧を吹き飛ばして行った。
 無に帰す。
 そうして夜明けの恐怖を消し去るために、彼女はすべてを無に帰した。
 光あふれる部屋の中、赤子のような顔をして、彼女は眠っている。外では花が舞っていた。緑の木々を夢見ているのだろうか? 透き通るように白いその景色は、とても静かだった。どこまでも、どこまでも、静かだった―――――――…。
 
 

 エピローグ

 光の入る部屋で、じゅうたんの上にすわって、母親は幼い彼女のためにセーターを編んでいた。彼女は幼稚園から帰ってきて、着替えた後に、そのそばに座っていた。
「―――でね、まりちゃんはね、大きくなったら八百屋さんになるんだって。ひろしくんはね、ひろしくんは、飛行機のりになるんだって。」
「飛行機乗り? ―――ああ、パイロットね。」
「うん。しらない。」
母親は娘の顔を見てにっこり笑う。
「パイロットっていうのよ。」
「うん。」
「で、成美ちゃんは何になりたいの?」
「成美? 成美はね――えへへ。」
「あら、何?」
彼女は笑ったまま答えない。
「何? 教えて成美ちゃん。お願い。ね!」
がばっと母親が彼女に抱きつく。
「うひゃひゃひゃひゃ…やだっ、ママくすぐっちゃ、あはは。」
「何? ね。」
「ええとね、およめさん。」
「およめさんかあ。じゃあね、ママが成美ちゃんのために真っ白な花嫁衣裳作ったげる。」
「ほんと?」
「うん。」
「指きり!」
「よし!」
「ゆびきりげんまんうそついたらはりせんぼんのます。ゆびきった。」
「約束だよ。」
「大きくなったらね。」
にっこりと彼女が笑う。微笑み返す、母親。
 日々の日常―――――。

 

※本文中にあります「警察病院精神科」は、本来「医療少年院」に相当するかと思われますが、高校生である時点では調査できずに書いておりました。作品は訂正せず当時のままで掲載しています。

 

あとがき

 このあとがきを書いているのは二〇〇〇年八月です。「霧中」本編を高校の文芸部誌で脱稿したのは一九八八年の十一月だったはずですから、もう十二年の月日がたとうとしています。元の脱稿時に書いた「あとがき」も実際には存在するのですが、掲載誌の性格上、学校の判別がつくような個人的な内容も含まれておりますし、当時を振り返るという意味からも、今回改めて十二年後の今日の「あとがき」を記させていただきます。

 当時、とにかく時間がありませんでした。
 学生として忙しい、ということもあったんですが、「卒業までに書く」というタイムリミットがあったために、余計に時間がありませんでした。「卒業までに書かなければならない」という法律が別にあったわけではないんですが、そこは学生ですし、やはり一つのものを仕上げたい、という気持ちもあったんでしょうね。さらに、幸か不幸か、毎回連載に続稿を待っている人が何人かいたもんで、どうしても書き上げねばならない、という気持ちがあった。それが「卒業まで」というタイムリミット、となったわけです。
 で、「霧中」の連載自体が始まったのが、高校二年生の新入生歓迎号から、正確に言うと、高校一年の終わりからでした。ですから、二年以内に無理矢理にでも終わらせなければいけないということが最初からわかってスタートしました。部誌が発行される予定は、多く見積もって、春(正確には初夏)、文化祭、秋(正確には初冬)、新入生歓迎号、春、文化祭、秋、卒業記念号、計八回でした。実際には二年生の秋号は発行されておりません。原稿がなくて発行されなかった(それは私)、という確かそういう理由だったと思います。
 しかも四人の部員全員が書かないと体裁が悪い。で、一人の持ち枚数が確かB5で十枚、それを切ると貧相になり、あまり越えるとホッチキスが止まらない、ということで、この枚数はなるべく厳守、ということだったと思います。
 最初は手書きでしたね。ワープロがまだ高価な時代でしたから。
 で、清書がわりにワープロを使うようになったのが、その年の文化祭号からだったと思います。
 当時はノートパソコンなんて夢にも思わないし、ワープロも持ち歩きはできませんから、下書きはもちろん手で書いていました。原稿用紙では重いです。しかもお金がかかります。で、持ち歩けて安いもの、ということで、ルーズリーフを利用してました。人によって字の大きさが違うのですが、私の場合、片面で原稿用紙相当枚数二枚半、両面で五枚という計算で書いていました。
 で、時間がないのは、卒業までに時間がない、というのとあわせて、締め切りまでに時間がない、というのもありましたが、とりあえず本当に時間がかかるにもかかわらず、無情にも締め切りはやってくる。原稿用紙換算枚数トータルで二百枚ばかし、残された時間は二年、どうしてそんなに時間がなかったかというに、登場人物が何考えてるかよくわからない、というのがまず一点、さらにせっかく答えが出ても、それだけの枚数を費やせないというのがもう一点でした。
 今なら魔法のように出てくる登場人物の心理、当時はすごい時間かけて「考えていた」んです。ストーリーが出来ているからといって、ではなぜ登場人物はそう動くのか、逆にいうと、そこまでストーリーを動かして行くのに、登場人物にどう考えさせればいいのか、それがちゃっちゃと出てこない。人は動くとき、いつも何某かの理由がある、小説の世界では理由がないことすら理由になる、その登場人物たちの心理の膨大な組み合わせの中でストーリーは進んで行く、ということを、この時初めて知りました。で、しかも主人公は記憶喪失という、心理面に大きく関わる上に、悪いことに人物たちはみんな自分と似通った年齢で、どうも客観的に見にくく、「何となくはわかるんだけど、どう表現していいかわからない」というのがあって、書きずらい。
 当時この問題をクリアするために、友人たちに何気なく会話の中に問題提起して、取材をするということもよくやりました。「自分は一体何のために生きているのか」とか他者の目とか。そういう話にきちんとのってくれる友人連がいただけ私は恵まれていたんですが、回答のない答えもかなりあって、「この年頃のこの問いに対する正解は解答がない、というのが正解」と結論づけたものもありました。今から考えるとそういう内容って大人になっても「回答がでない」がほとんどなんですね。
 で、やっと登場人物が何考えてるかわかってきても、展開上それをすべて書くわけにもいかないし、また丁寧に書くには枚数も全然足りない。そこで何を入れて何を抜いていいか選択しなければいけないのだけど、そこの基準がまたわからない。
 ということで、確か私の原稿が上がらなくて大事な残り少ない部誌が出せなかったということがありました。ストーリーは中盤にさしかかる前だったと思います。
 で、その頃「どう考えてもこれは終わらんで」と残された発行誌の数と、残された内容を見て思ったのですが、「よし、解決しないところは卒業して続編を書こう!」ということで、進めることになっちゃいました。だから、本編中で書ききれなかった亜雄や、成美の母親堀川涼子を殺害するに至るまでの山本周一の背景など、解決できていないサスペンス部分なども全部、割愛で、続きがスタートしたんです。結局その続編は今日に至るまで書いていません。
 枚数が足りない分は、行間を詰めて字を小さくして、一枚に入れる字数を増やすなど姑息な手を使っておりましたが、ラストの方は結局十枚を越していました。
 そう、大難産だったんです、「霧中」は。そこから学んだものは膨大なものがありますけれど。
 

 お金をもらって書くわけでもなければ、自分たちでお金を出して本を出していたわけでもない。評価といっても身近な友達の声がきけるぐらいでした。ただそこにあったのは、あったのは―――なんなんでしょうね。私の場合は始めてしまった責任感というのがあったのですが、途中でないがしろにするには書くうちに書く人間としてのプライドみたいなものも生まれてきましたし、大難産だったんですけど、「魂の充実した苦痛」というのは苦痛のうちに入らない、返ってその分得るものもあって楽しいくらいでしたから、本当に純粋に、書くと言うことに向き合えたと思います。その分、葉子の苦痛なんかを惜しみなく書いて、これは読む読者にも本当に「痛い」作品だったし、今もそうなのではないかと思います。
 私がこの「霧中」を書いた後、どういう展開をたどったかというと、大勢の方はご存知だと思います。
 本来私はストーリー重視の話を作る人間でしたが、ストーリーの何を一番重視していたかと言うと、「面白さ」を重視していました。初めてこの長編を書き、ラストを書き上げた後、「これじゃあ、いかんな。」と思ったわけです。「霧中」を書く上でのテーマの一つに「『運命のいたずら』を創る」というのがあったのですが、いくら運命のいたずらでも、ここまで重なることがあるはずがない。不自然だ、と。
 でもやっぱり「面白ければいいじゃないか」と思ってましたし、実際書き上げた後、読者の皆様にも好評だったのですが、心のどこかで何か「納得がいかない」。自分で作る世界だから、現実に則さなければいけない「決まり」はないのですが、何か「違う」と思ってしまう。第一、うそ臭くないか、と思ってしまい、思ってしまった瞬間から、「面白いけれど」と「けれど」がついてしまう。結局それって失敗じゃないの? と思ってしまったところから、すべてが狂いはじめたのだと思います。
 この「霧中」以降の作品で、私がそれから始めたのは、そうした「どこまで書けば、どういうふうに書けば、現実と照らし合わせて嘘くさくなく書けるか」というライン探しでしたが、それはつまるところ、「今までの自分をどこまで修正するか」ということとつながるところがあり、精神もゆらぐし、基準が全くつかめなくなってくるし、結果として「どう書いていけばわからない」と、筆を折ることになってしまったわけです。
 小学校からずっと、そのために続けてきたことなので、言うなれば目や足を亡くしたスプリンター、声をなくした歌姫といった心境でしょうか。当時を振り返ると自分でも精神的に変でした。拠り所がない、といった感じで。
 それが研究の方面に走って、「書く」という行為を外から見たために、ある程度頭が整理され、「あ、書けそうだ」と思って書いた作品が、「箱の中」だったわけです。
 

 その筆を折った時に、「霧中」の原稿が入ったフロッピーは初期化してしまい、以降、読み返すことはありませんでした。今回ホームページ掲載にいたって、紙の原稿が残っていたのはたいへんありがたいことだと思います。それでも文芸部誌、その後書き足してまとめた個人誌はどちらも完全稿ではみつからず、つぎはぎの形での掲載となってしまいました。
 紙に書かれたものをパソコンにうちこみながら、私も読者のみなさんと同じように毎月この「霧中」をたどってきました。最終回を読み返したのは、何年ぶりでしょう。私は恵理のモノローグがあることさえ忘れていました。
 今見ると、当時思ったほどはひどくありません。生きるために総てを閉じてしまった葉子と、生きるためにつらい記憶をすべて消してしまった亜雄の、続編であった復活劇を書けなかったことが非常に残念とさえ思えます。
 読み返しながら、一度は否定されてしまったこのストーリーは、高校時代を思い返す呼吸が伝わってくるものでしたし、たぶんそこには、私だけでなく、私の周囲の人たちの呼吸も混じっていることと思います。いっぱい笑って、たくさん怒って、バカみたいに夢中になりながら、媚びない自由な勢いが、作品の中に生きているのではないでしょうか。
 高校時代、勉強は全然しなかったけど、確かに楽しかったです。私本人はかなり遅くまで大学に進学する意志がほとんどなかったので、これで最後と満喫しようとした分、余計楽しんだかもしれません。結果としてこういう形あるものが残せたことは、本当にラッキーだったと今では思います。

 最後に、このつたない作品を最後まで読んでくれたあなたにありがとうを。
 ドアを開けて、高校生のあなたに出会えましたか?
 

平成十二年八月三十一日

咲花実李記す

(冒頭)

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