「夢の碑」とは、作品群の総称である。
さて、作品をジャンル分類しよう、と見てみると、異界のことを扱ったものなのか、と、一瞬思いつくのであるが、異界、あるいは、異形のものの話ばかりではない、ということは、読んでいてすぐにわかる。「ベルンシュタイン」あるいは、「鵺」は、解釈こそ「不思議」や、運命、転生について触れているが、そんな話題がなくても一向構わないほど、物語としても洗練されている。
時代は、平安時代から、現代までと広く、また、舞台も日本に限らず西洋にまで及んでいる。しかし読んでいて驚かされるのは、木原の知識の広さであり、例えば「おに」に関した事例だけでも、あ、折口信夫だ、あ、柳田國男だ、あ、馬場あき子だ、と、指摘できる点が多くある。そうしたものを、深く調べ、それをただ右から左に移して作品の中でのべつまくなしに解説するのではなく、自分なりに解釈をほどこして、木原作品としてストーリーを完成させていること、感服以外のなにものでもない。
さらに、面白いことに、作品によっては歴史をになってきた人物たちが、なんの気負いもなく登場している。「とりかえばや異聞」の織田、毛利、「青頭巾」の平家、また「風恋記」の後醍醐天皇や、実朝、「雪紅皇子」の映宮(はるのみや)などは、ダイレクトに過ぎるほどである。それは、その時代、舞台に、実際にはいなかったはず、なかったはずのエピソードであるが、何ら無理なく作品展開の中で活かされている。
また、「とりかえばや物語」を踏まえた、「とりかえばや異聞」、戯曲「サロメ」を踏まえた、「ベルンシュタイン」、雨月物語から「青頭巾」、百夜通いあるいは謡曲「通小町」に材を得た、「君を待つ九十九夜」など、伝説、フィクションの先行作品を、方法として作品の中に引用している点、理知的にも楽しめる。
しかしなんと言っても、「夢の碑」と題されている通り、木原独特のロマンティシズム、さらに、ロマンティシズムというに残酷なほど複雑に描かれた人の心は、作品を味わう上での、これ以上はないというほどの味付けで、時にあまりに現実的すぎて、読む側がドキリとさせられることさえある。
さて、果たして、「夢」とはなんであるか。
我々の生きる現実、生きてきた現実も、目をつぶってしまえば、まぼろしなのかもしれない。死んでしまえば、それもまた、まぼろしなのかもしれない。(C)少女マンガ名作選
たくさんのまぼろしが交錯する現実の中で、どれが本物なのか、それを語ることほど、実は不粋極まりないことは、ないのかもしれない。
あったことの中に、ありうべからざることを刻む――夢か、幻か、それとも現実か――真実は、どこに――
夢を、まぼろしを、また一つ、また一つと心に刻んで、まだ見ぬ世界の極上の夢に、酔うのは素敵かもしれない。
「摩利と新吾」という代表作がありながら、しかし既にこの十二年の歳月をかけて描かれた作品を踏まえないでは、木原と言うマンガ家さえ語れなくなってきたのが実際である。個人的には、こちらを代表作とした方がよいのではとさえ思うほど、豊かなベテラン作家としての人間洞察、それを表現するに足る、知識、技術が備えられた作品ではないかと思うのだ。