レトリック

レトリック

 ここでいくつか例を示しながら、レトリックをあげて行きたい。
 模倣 、引用、パロディ、本歌取りである。
 ※頻出のもののみあげた。他にもあるが、今は割愛する。ご自分で調べて勉強なさってください。

 

模倣

 模倣には二種ある。知らずして行ってしまう模倣と、レトリックとして行う模倣とである。前者は初心者が行うもので、盗作と危ういものが多い。ほぼプロになって一年、アマチュアでも創作を始めて二、三年程度にはよく見られることであり、そう考えてみれば、盗作に危うい模倣というのは初心者に許される行為であって、プロになって二年も三年もたつのに「私はその作品を知りませんでした。」で許されるものではないのである。
 そういう人がもしそう言い訳したなら、その勉強不足を大いに恥じ、それ相応の処置を講じるべきである。
 ちなみに模倣の例を挙げると、例えば万葉集の柿本人麻呂の歌に、

  東の野にかぎろいの立つ見えてかえり見すれば月傾きぬ

というものがある。これは、江戸時代の与謝蕪村に、次のように模倣されている。

  菜の花や月は東に日は西に

そこから高野辰之の唱歌、「朧月夜」へと受け継がれていく。

 いずれもあまりに有名なものばかりなので、解説する必要はないかと思う。それぞれ後につくられたものを見ると、先行作品がふと思い浮かぶ仕掛けになっているのだが、唱歌「朧月夜」は蕪村の俳諧発句を情景描写して書き起こし、メロディに入れて新しい世界を生んでいる。また、蕪村の句は柿本人麻呂の若き軽皇子に従った折の早朝の情景を詠んだ、若き王子の未来を思う緊迫した和歌の世界を、朝と夜の時間を逆転させ、菜の花の情景を加えることで、暖かい日暮れの世界へと転換した、というものである。
 同じモチーフを使いながら、その前作からどのように解釈や変化が加えられているのか、知的なものをくすぐられ、作成者の才能の一旦をかいまみる気持ちにはならないだろうか。
 ただ形を真似るだけではない。先行作品を尊重し、模倣したことにより、当人の才覚さえもうかがえるものでなければ、それは模倣とは言えないのだ。

※ 「咲花書庫」で、「June Bride」という小説は、模倣を前提として書いたものです。模倣という言い方がいまいち適切でなく、批評の意味合いも兼ねて書いたものなので、「パロディ的試作」という言葉を当てはめています。
 

引用

 模倣と違い、作品の一部分を踏まえて新たな解釈を生み出すものを引用という。小説なら場面設定や、モチーフ等を利用するという方法があるが、わかりやすい例に、宇多田ヒカルのデビューアルバム「First Love」収録「Never Let Go」がある。
 この曲は、編曲部分のギターのメロディを、スティングの「Ten Summoner's Tales」収録の「Shape Of My Heart」から引用しているわけであるが、スティングのこの曲は、ジャン・レノ主演にしてその代表作・映画「レオン」の主題歌として使われた曲である。スティングの作詞を「レオン」の監督リュック・ベッソンが登場人物の心情にそぐわせて使用したものであるが、故に比較的、スティングを知らなくても曲は知っているという有名なもので、きけばアレンジのメロディが同じだとわかる人も多いのである。宇多田側は、わざわざこの有名な曲のアレンジ部分使用許可を律儀にもスティング側にとったそうだが、抽象的な宇多田「Never Let Go」の歌詞に、このメロディが流れてくると、どうしても「レオン」を思い浮かべてしまう人が少なからずいるのではないか。そこに少女の歌声で歌われていると、まるであの作品の中でろくに語られなかった少女マチルダの言葉をきいているような気分になる。
 普通の恋愛詞にとれなくもない。が、あの静かな曲調の中に、少女の情熱的な感情を感じ取ってしまうのは、つまりはあのアレンジの影響も多い。宇多田が「レオン」を見たのか、どういう感想を抱いたのか、またアレンジャーとどれだけ相談したのか、わからないが、製作者側が許可をとってまで使用したということは、そこに何らかの意図が働いていたはずである。
 もしかしたら、レオンの心でしめられたようなエンディングに、宇多田なりのマチルダの世界という解釈を示し、あるいはあの作品の持つ力を借りたのかもしれないし、アレンジャーが出来上がった詞曲に新たに施した解釈かもしれない。どちらにせよ、製作者側がレトリックとして有効になるよう、アレンジを引用したことは、評価したいところである。(他のリズムに混ぜ合わせて差異を楽しむ音楽的な「遊び」と解することもできる)
 なお、作る時間を惜しんで、おいしいとこどりしただけで、何ら新しいものを生み出していない、引用先をきいて引用者の力量になんら感心するところのないものは「引用」とは言わないので、どうぞご留意いただきたい。

パロディ

 何らかの作品世界を模し、滑稽的・風刺的に作り出されたもので、先行のものが知られていないと全くお話にならないしろものである。詳説は必要あるまい。

本歌取り

 小林亜星が1967年に作曲した「どこまでもいこう」を、25年後の、1992年に服部克久が「記念樹」で盗作したと裁判を起こした際、弁護として出てきたのが「本歌取り」である。中世鎌倉時代、藤原定家がこの本歌取りについて「昔の歌のことばを改めずよみ据ゑたるを即ち本歌とすと申すなり」(『近代秀歌』)と述べているのであるが、実際のものがどんなものか見てみよう。
月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして(在原業平)
この作品は、「古今和歌集」ならびに「伊勢物語」に載せられているが、これを本歌として、
梅が香に昔を問へば春の月答えぬ影ぞ袖にうつれる(藤原家隆)
本歌取りの条件は、原典を明確に示し、新しい意味を付与することである。その上に、こうして本歌取りの作品を並べてみれば、盗作と比較してどれほど原典の言葉をなぞらえていないのか、つまり表面上の形のみを模しているのではないということで、この小林・服部間で行われたものと、全く性質の違うものであることはよくわかる。
 そんなの原典を示されても、知らない人にはわからないじゃないの、と言われるかもしれないが、ここで高校の古典で語る内容を繰り返してたいへん申しわけないのだが、本歌取りの技法で使われるものは、万葉集や古今集などのたいへんメジャーな作品群である。当時の貴族や知識階級にとって、その歌を記憶しているということは、現代でいうことわざや慣用句を覚えているのと同じレベルの教養であって、歌詠みの側にも、鑑賞する側にも、その原典がわかっているのは当然のことなのである。
 せいぜい、同業界人にしかわからない程度で、新たな解釈も付与された感もなく、ただなぞらえているだけのものを「本歌取り」とされては、鎌倉時代の知識人には迷惑この上ない。ほとんどの人が忘れ去っているからといって、ちょっと拝借したものまで、本歌取りと言われては、定家も立つ瀬がないというものであろう。
文中参考文献『日本文学新史〈中世〉』(小山弘志編・至文堂)
 

補足

 この本歌取りの例を踏まえて、日本文化が「海外文化の盗作」という人がある。
 しかしながらもし、椅子のない国に椅子を輸入したとする。便利だから使おうということになり、使う。それを盗作というのか。汽車なる便利な移動形態が輸入されわが国でも使うことになった。それを、盗作というのか。電車をみて、他の会社が電鉄を起こすことになり、やはり電車を使った。それを、盗作というのか。
 椅子のデザインに変わった趣向を凝らした。これを別のデザイナーがそっくりそのまま真似て自分のデザインだといえば、それは確かに盗作である。電車につけるトレードマークを別の会社がほぼ同じデザインで使用する、これも盗作である。
 日本文化が海外から輸入した文化もつまりはこういうものである。
 大は小を兼ねるというが、このような形態の輸入を、盗作の言い訳に利用するなど、ナンセンス以外の何ものでもない。
 寺社にしても流入された思想を、形ごと輸入するというのは当然のことであるし、それをもってして盗作と言ってしまっては、宗教の流布はおぼつかないし、今頃日本は稲作さえなせておらず、日本文化の発展そのものもありえなかっただろう。
 こういった種類の大は小を兼ねるという大まかなことは、イデアのイの字も知らないという、知識人としても恥ずかしいことなので、決してしないでいただきたい。

→NEXT