まとめ
法律とは何のためにあるのだろう。
法律や条例が先にあって、人間がこの世にできたのではなく、人間という生き物が先にあってそれを律するために法や条例ができたのだ。
人それぞれが、しっかりと個を確立し、判断するだけの能力を有していれば、法に頼らなくても何がよいのか悪いのか、わかるはずで、おそらく創作に携わる人たちとは皆文化人であろうに、どうしてこのようにでたらめなことが起こってしまうのか。
そもそも、法律の手によらなくても、二つの作品を並べて「どっちが先なの?」という問いを発され、次から次へと「盗作ではないの?」という問いを発されてしまえば、もうそこに逃げ場がないような気もするのだが。
世界中の芸術において、その発祥が神・仏の宗教にかかわらざるものはないのである。芸術とは、神にささげるものであったのが、分科して芸術という独立したものになった。その起源をたどらなくても、それは人の尊厳と心の領域に帰するものであり、純化の求められるものであるはずなのに、どうしてここまで乱れてしまったのか。金だろうか、地位だろうか。昔は芸術をするものに、金や地位などさしてなかったのである。
心の時代と言われる中で、どうかこの、一番純粋であらねばならないものが、これ以上汚れてしまわぬように、願わずにはいられない。
この「盗作とは何か」という本文は、盗作してしまわぬ一助となればと書いたものである。自戒をこめながら、また、各々省みてもらいたい。
そこに作った人がいる以上、「わからなければいい」では、だめなのだ。きみが自分の存在を、命を、おびやかされていいと思わないのであれば、するべきではない。
(作成日2002年11月16日・加筆2003年8月25日)