いつの間に眠ってしまったのでしょう。エミコは夢を見ていたようです。目覚めるとそこは、眠りの森でした。いつものあの、永遠の森なのです。前を向いても後ろを向いても右を見ても左を見ても、高く高くそびえる樹木が、地にはびこる芝草が、永遠に続いているのです。
エミコは芝草の上に座って、何だか少し淋しさを感じました。胸の中に何かポッカリ穴が開いているような、そんな感じがするのです。変な夢を見たせいかもしれません。一体何の夢だったかしら――エミコは所在のないこころもちに、少し不安を覚えました。気にする必要はないのです。だってここは眠りの森なのですから。過去はもう振り捨ててしまえば、何のことはありません。そのはずです。なのに―――。
何を探すというわけでもなく、エミコはキョロキョロと回りを見回しました。何もないのはわかりきったことなのです。でも、見回さないわけにはいかなかったのです。理由は全然わかりません。
後ろでカサリと音がして、エミコは慌てて振り返りました。そこには、マサトが淋しそうな瞳をして立っていました。エミコはさっきのこの少年とのことを思い出しました。あの後エミコはどうなったのでしょう。マサトには、一体、どんなことがあったのでしょう。
「信じられないよ。」
マサトの声は少し震えていました。
「何で嫌がるんだよ。」
エミコにはマサトが何を言っているのかわかりませんでした。マサトのことは覚えています。追うように伸びる芝草から逃げました。マサトは芝草は人の心に反応するのだと言いました。それからです。それから後、何かとても大切なことを言ったような気がするのです。あれは一体何だったのでしょう。
「このままだと、どうなるかわかってるのか?」
エミコは静かにマサトの顔を見あげました。マサトはその顔を見下ろして、ちょっと失望したような瞳で、芝草の方に視線を落としました。
「その分じゃ知らないんだな。どうなるか。」
「どうなるの?」
「ずっと眠り続けるんだ。」
「今だって、よく眠ってるわ。」
「今は眠ってたって時々目覚めてるだろ? このままいくと、だんだん目覚める時間が少なくなって、いつか全く目覚めなくなる。」
ああ、さっきマサトはこう言ったんじゃないかしら。
『帰ろう、エミコ。現実へ。』
帰ろう、エミコ。現実へ。
現実へ。
げんじつへ。
ゲンジツヘ――――。
じゃ、ここはどこ。
ここは――――。
「眠りの森。」
エミコはつぶやきました。
「エミコ?」
マサトが問い返します。エミコはまたマサトの顔を見ます。そのエミコの顔は、必死の形相をしています。
「ここは、どこ? あんた誰?」
対比するものがなければ、世界はないのと同じです。森の外と中、地球と宇宙、夢と現実。例えばあなたがいなければ私が存在しないように。私がいなければ、あなたが存在しないように。
今までエミコは一人でした。世界は眠りの森一つでした。だから世界に疑問を持つ必要はなかったのです。そしてたった一人のエミコには、自分さえも無用のものでした。思考も疑問も、考えることさえ、無用のものだったのです。
「ここは、夢の中だ。現実で眠っている君が見ている、夢の中なんだよ。」
「ゆめ?」
「そんな、現実のことも忘れてしまったの?」
エミコは頬に手を当てました。
「ううん、覚えてるわ。ボンヤリと、頭の中に…。」
エミコは、エミコは、高校性でした。十七歳でした。オトウサンとオカアサンと三人家族でした。オトウサンは会社員です。製薬会社の部長さんです。オカアサンはパートに行っています。エミコは―――。
「変…ね。どっちが夢で、どっちが現実なのかしら。」
エミコの言葉に、マサトは不安になりました。エミコの目はどこも見ていません。
「エミコ? どうしたんだ。しっかりしろ!」
マサトはエミコの両腕をつかんで揺り動かしました。
「いいか、エミコ。こっちが夢の中だ。」
「いたい。」
エミコは顔をしかめました。
「あ、ごめん。」
マサトはエミコの腕を慌てて離します。
「こんなにはっきりしてるのに、夢なの? あたし今、痛いって思ったわ。そうよ、現実の方がボンヤリしているくらい…。」
「エミコ?」
「帰るって、どうして? いいわあたしこのままで。だって面倒くさいじゃない。現実にいたら、学校いかなきゃいけないし。」
「エミコ!」
「第一、どうやって帰るの? あたしはここに来てからずっと、現実に帰ったことなかったわ。あんたならわかるっていうの。」
マサトは言葉をつまらせました。果たして今こんなに簡単に言ってしまっていいのでしょうか? 何よりも、エミコにその気がなければ話にならないのです。
エミコは生気のない目でマサトの答えを待っています。マサトは、それでもやはりいわなければならないと思いました。
「いいかい、エミコ。」
「もう、いいわ。」
マサトが言いかけて突然エミコが彼の言葉をさえぎりました。
「え?」
「もう、いいわ。面倒くさい。」
「め、面倒くさい?」
「簡単じゃないんでしょ? すぐに答えないってことは。もう、いいわ。面倒くさい。あたしここで眠ってる。静かで気持ちいいし。もういいの。」
「よくない! 第一このままこの森で眠り続けたらどうなると思ってんだ。」
「目が覚めなくなるんでしょ?」
「そうだ。目が覚めなくなる。そして森からも消滅してしまう。いや、吸い込まれてしまうんだ。ここは心の世界なんだ。その心の世界の自分が死んでしまうと、現実の自分の心も死んでしまう。だから、夢の中で消滅してしまうと、現実でも死んじゃうんだ。」
マサトはコブシをつくって力説しました。
「死?」
「そう。」
マサトはコブシに力を込めました。でもエミコはボンヤリした目でゆっくり首をかしげます。
「そう…死ぬの。いいんじゃない? 起きてても眠っててもたいしてかわらないし。眠ってるまま死ぬのなら簡単でいいわ。」
エミコの目はまだボンヤリしていました。いえ、違います。これがいつもの彼女の目なのです。まるで人形のようではありませんか。一方マサトの手は震えていました。両手を握りしめたままブルブルと震えています。そしてとうとう、たまりかねたように手を振り上げ、おもいきり、エミコの頬を打ちました。それは、エミコが、そのまま座っていられない程、激しいものだったのです。
エミコは驚いてマサトの顔を見上げました。そのマサトの顔はエミコには意外なものでした。てっきり、怒っているものとばっかり思ったのです。ものすごい形相でエミコをにらみつけているものだとばっかり思ったのです。でも、違いました。見上げたマサトのその顔は、泣いていたのです。
「信…じられないよ。なんでそんなコト、そんな平気な顔して言えるんだよ。」
信じられないのは、むしろエミコの方でした。マサトは何故他人の自分のことでこんなに熱くなっているのでしょう。エミコにはまるで理解できないことでした。彼の気迫、彼の情熱、打ち付けられた頬はまるで、雷にでもあったような衝撃でした。そして、マサトの情熱は理解できないけれど、頬の傷みはそのまま胸の傷みともなりました。マサトは膝を地につけました。両手で顔を押さえながら、その顔まで地に沈んでいきます。マサトが泣いている、それはエミコのせいなのです。声を殺すように泣いています。エミコには彼が泣いている確たる理由はわからないけれど、その悲しみはエミコの心をもしめました。
エミコは座ったままの姿勢で、マサトに近付いていきます。
「マサト?」
マサトはその顔をゆっくりとあげてエミコを見ます。
「あなた誰?」
エミコはじっとマサトの顔をみつめました。マサトの目からはまだ涙がこぼれおちていきます。
「どんなに考えても、やっぱりあなたのことは思い出せないの。あなた本当に、あたしの知り合い?」
マサトはの涙を拭いました。それから、前かがみになったその姿勢を戻して、地面に腰を降ろしました。
「違う。」
「やっぱり。じゃ、誰なの? どうしてあたしのこと…。」
「僕は現実では一度も君に会ったことはない。顔も見たことはない。知っているのは名前と、症状だけだ。」
「症状?」
「ああ…。」
「あたしって病気だったの?」
「いや…。」
「でも今症状って…。」
「最初のうちはただ眠っているだけなんだ。脳波には全く異常もなくただ延々と眠ってる。そのうち体が衰弱しはじめて、ある日突然…。」
二人の間に少し緊迫した空気が走りました。次の言葉は聞かなくても、エミコにはわかりました。
突然、マサトがピクリと肩を震わせて、後ろを振り返りました。後ろに誰かいるのでしょうか。エミコにとっては正面ですが、何かあるようには見えません。
「なに?」
エミコは尋ねました。
「森が魂を吸収してる。」
マサトは立ち上がりました。エミコの方に手を差し出します。
「おいで。」
エミコはマサトの手につかまって立ち上がりました。マサトはエミコの手をとって、森の中を導いていきます。
「何があるの?」
「森が人の魂を吸収してるんだ。」
「吸収?」
「そう、…眠りの森がどうやって生命を保っているか知ってる?」
「知らない。」
「ここにやってきた人間の精神力を、糧にしているんだ。」
「人間の…。」
「君達のように眠りの森に入ってきた人達の魂を食って、この森は生命を保っている。」
「じゃ、死んだ後、あたし達はどうなるの?」
マサトは握っているエミコの右腕が重くなるのを感じました。彼女の歩みが遅くなっているのです。
「消滅する。」
「嘘! 知らない、そんな事。」
マサトは立ち止まってエミコに振り向きました。
「だって関心がないんだろ? 眠っていればそれで満足なんだろう? 君達みたいに現実を捨てて眠ってる奴は命なんていらないだろ? 君さっき言ったじゃないか。眠ったまま死ぬなら、簡単でいいって。」
「言った。言ったけど…。」
エミコは困ったように言葉をつまらせ、マサトの顔をうかがいました。エミコもさっきは本気で、簡単でいいと思ったのです。でも、今は、そう、自分の魂が食われてしまうというグロテスクさが、消えてしまうという事実が、何故か妙に恐ろしく感じるのです。
マサトはじっとエミコの顔を見ました。エミコは何も言うことができません。彼もそれ以上、何も言いません。
「行こう。」
マサトはつないでいるエミコの手を引いて、また元の道に進んで行きます。やはりエミコの腕は重いままです。芝草が2人の足にからみついてきます。
「待って! 人が消えていくところを見て、どうしようって言うのよ! 何が楽しいの?」
エミコは叫びながら足をふんばりました。でもマサトの力には到底かないません。ぐいぐい引っ張られて行きます。
「離して! 離しなさいよ! イヤ、見たくない、そんなもの。離して――――!」
「シッ!」
マサトは立ち止まってエミコの口を手で押さえました。二人が目の前にした場所は、まるで木が円く取り囲んでいるような空間でした。その真ん中で、一人の少年が仰向けになって眠っています。
それはおそろしい程の静けさでした。耳がおかしくなりそうな、そんな静けさです。
「僕は君に初めて会って、次に君に会うまでに、こんな人間を二人見た。」
マサトは小声で言いました。エミコは樹の内側にいる少年を、緊張したまなざしでみつめます。エミコの口を押さえていた手をマサトが離します。
「消えてしまうの?」
「そうだ。」
「何で助けないの?」
「こんなふうになったらもう、手遅れなんだ。何かしようものなら草に縛り上げられる。」緊迫したまなざしでマサトを見ていたエミコの目は、樹の中の少年へと移り、エミコはそれきり口を閉ざしました。二人は、樹木の内で起こるだろう出来事を、黙って見詰めていました。エミコの心はかなり高揚しているはずなのに、この場所の芝草はなんの反応もしめしません。それ程、静寂を必要とするのでしょうか。
やがて樹の内の芝草が、ザワザワと音を立てて揺れ始めます。少年には何の変化もありません。
息を飲んで見守る2人の前で、まず少年の目が消えました。
「ヒッ…。」
小さく叫んだのはエミコです。マサトは、顔を背けようとするエミコの肩をつかんで、「見るんだよ。」と小声で言って、エミコに前を向かせました。次に眉、鼻、口と消えていきます。そして首から上の頭部がスッと消えました。これは一度に消えるのでなく、まず色素が抜き取られるように、それから透明度が増して消えていくのです。
エミコの体は小刻みに震えています。
胸へ、胴体、手、腹、下腹部、ふともも…。マサトの言ったように、本当に上から順に、何かが食べているようです。
そして足が消えると、森は何事もなかったように、元に姿を戻しました。
あれが未来のエミコなのです。
エミコはガクガクと震えています。両肩はマサトに支えられたままです。
そしてエミコは声も立てずに震えていましたが、しばらくすると、マサトによっかかっていた力がふっと緩み、その代わりに重みを感じました。エミコは目をつむって意識を失いました。眠ったのではありません。明らかに、気絶したのです。
あれはエミコが小学校に上がる前のことだと思います。まだ2DKの賃貸アパートに住んでいる頃でした。食卓のある六畳の隣に四畳半の寝室がありました。オトウサンとオカアサンが両端に、エミコが真ん中で川の字になって眠るのです。オトウサンは残業があるので、オカアサンは食卓のある部屋でオトウサンの帰りを待ちます。エミコはオカアサンにお休みって言ってから、その四畳半と食卓のある六畳の間にある襖を閉めて、一人で眠るのです。部屋には豆球がついていました。高い高い天井、一人でいるには広い広い四畳半でした。
エミコはそんなに眠くなかったので、何となく天井をみつめていました。豆球は柿色に輝いて、とっても奇麗です。そのうち、何故か天井がどんどん遠ざかっているような気がしました。枕に収めた頭が、どこかへいってしまいそうです。なんだか不思議な怖さでした。薄目を開けていた目がパッチリと開いてしまいます。
――目をつむったら、もう二度と覚めないんじゃないのかしら――
幼いエミコの頭を、そんな不安が襲いました。そんな風に思うと、益々眠れなくなるのです。眠るのが怖いのです。目はパッチリと覚めたままです。そうすると、一人でいる四畳半がとてつもなく怖くなりました。エミコはとうとう起き出してしまいます。
「オカアチャン。」
襖を開けると六畳の光はとてもまぶしく感じました。六畳ではオカアチャンが小さな音でテレビを見ていました。襖を開けたエミコの顔はふにゃふにゃです。多分光を見てほっとしたのでしょう。
「あら、エミチャン、どうしたの?」
オカアチャンは驚いています。エミチャンはベソをかいてしまっています。
「あのね、あのね、こわいの。」
「こわいって、何が怖いの? 怖い夢でも見たの?」
「ううん、お部屋がね、暗くってね、大きくってね、こわいの。」
「まあ…。」
オカアチャンはちょっと呆れた声で微笑みました。
「駄目ね、エミチャン、もう、大きいのに。」
そうしてベソかいているムスメを抱えて、また四畳半の部屋に連れていきました。エミチャンはオカアチャンにしがみついて泣いています。オカアチャンはしばらくエミチャンを抱えたままそこに座って、自分を揺りカゴのように動かしてあやします。
そうしてオカアチャンはエミチャンをもう一度布団の上に寝かせました。
「オカアチャンがね、こうしてエミチャンの手を握っているからね。襖も開けておくからね。もう何も怖いことなんてないのよ。」
エミチャンはホッとしました。さっきの不安なんか、どこかへ行っちゃいました。ハハの力は偉大です。
エミチャンの視界が段々ぼやけていきました。そうして、深い眠りの中へと、入って行きました。
ぼやけた視界が広がっていきます。樹、樹、樹、うっそうと茂る森。眠りの森です。さっきの夢ははっきり覚えていました。そして眠りの森を見て、何だかガックリきたのです。さっきオカアチャンが握っていてくれた右手を、今度も誰かが握っていてくれました。その手をたどって見上げていくと、それはマサトでした。マサトが三角座りのまま、樹にもたれて眠っています。右手はエミコに預けたままで…。
「ヒャ…。」
小さな叫び声を上げてマサトの手を振り払い、上体を起き上がらせただけで飛び退きました。
今のでマサトの目が覚めました。顔を上げたマサトの顔はぼんやりしています。
「え、あ、起きた?」
エミコは返事をせずに握られていた右手を左手で押さえて、ちょっと疑ったような目でマサトを見ました。〃何で手なんてにぎってんのよ〃そんな風に言いたげな視線でした。
「おい、どうし…。なに?」
エミコはそれでも返事をしませんでした。ようやく寝ボケた頭が覚めたのか、はっと気付いてマサトは慌てました。
「あ、違うよ。変な風に疑うなよ。君が気を失ったまま僕の手を離さなかったんだから。」
「嘘。」
「本当だって。」
「じゃ、何で振りほどかなかったのよ。」
「だって、泣きそうな顔してたから…。怖い夢でも見たの?」
本当に心配そうに見るマサトの目にエミコはちょっとドキッとして慌てました。
「関係ないでしょ。」
エミコの知られたくない部分を聞かれてドキッとしたということもありますが、何よりもエミコが慌てたのはマサトの瞳です。奇麗なのです。そして視線が、あまりにも素直なのです。とにかく厄介なのは、当の本人がそれに気付いてないということではないでしょうか。
プイと横向いてしまったエミコを、不思議そうな目でマサトはみつめました。まあ、いいかという感じで、マサトはあぐらをかいて座り直しました。
「それで?」
マサトは何の説明もなく突然尋ねました。
「え?」
「どうするの。」
「何が?」
「見たでしょ、さっき。森が人間を吸収していくところだよ。忘れたの?」
「ああ…。」
エミコは何となく自分の足元を見ました。無意識に右手が口元にいきます。それは〃戸惑い〃でした。
「エミコ?」
「現実…。」
伏し目がちのエミコの戸惑う姿を、マサトはじっとみつめます。
「あんな風に消えてしまうのは、イヤね。」
「じゃあ。」
「でも。」
思わず顔色を明るく変えたマサトを遮るようにエミコは続けました。
「現実に帰ったって同じことじゃない。」
「でもここにいれば、眠り続けてさっきみたいに…。」
「うん、わかってる。」
エミコの下を向いた視線は動きません。エミコはエミコで何か考えているのです。マサトは急がずにエミコの言葉を待ちました。
ふと思い出したようにエミコが顔を上げます。
「ねえ、聞いていい?」
「何?」
「どうやって現実に戻るの?」
「戻りたいと思えば戻れる。」
「そんなに簡単なもの?」
「最初に君に会った時、僕が君を追い掛けようとすると、草が巻き付いて土の中にうづめられそうになったんだ。僕はそこで思いきり、帰ろうと思ったら現実に帰った。君の現実での様子が気になった時も目をつむれば現実だった。だから…。」
「でも、あなたはよそ者なんでしょう?」
「関係ないと思うよ。要はこの森を受け入れるか受け入れないかじゃないかな。」
エミコはちょっと不安そうにマサトをみつめました。
「この森にいたくないって思って、目をつぶればいいのね。」
「うん。この森は夢の中の産物だから、夢から覚めるのと同じだよ。夢の意識を眠らせれば、現実が目覚めるんだ。」
そしてエミコはやはりちょっと不安そうにマサトをみつめました。マサトは黙ってうなずきます。
エミコは静かに目を閉じました。
そうしてエミコはまた開きます。見えたのは、目の前のマサトと、相変わらずの眠りの森でした。
「覚めないわ。」
「そんなはずないよ。」
「でも…。」
「まだこの森に執着してるからだろう。本気で戻ろうとしなきゃ駄目だよ。」
別に執着はしていないのだけど、とエミコは思いました。
「さあ、もう一度。」
今度は、現実に帰ろう、現実に帰ろうと思いながら、目を閉じました。
――現実に帰ろう、現実に…
しかしいくらたってもそれらしい気配がありません。仕方がないのでエミコはもう一度目を開けました。目の前にはやはり、あの、マサトと、眠りの森があるだけです。
「駄目よ。」
まるっきり表情のない顔ではっきりと言いました。
「何が駄目なんだよ。」
「だってわかんないわ。どうやったら戻れるのよ。」
「だから、言ったろ。戻ろうと思ってこう目をつぶれば…。」
そう言いながらマサトは目を閉じます。一秒、二秒、マサトは目を開きません。しばらくの間エミコは、あぐらをかいて目を閉じたままのマサトをじっとみつめていました。これで現実に帰ったのかしら、姿は森に残るのかしらとマサトを覗き込んでみました。
「マサト?」
マサトが目を見開きます。緊張した瞳で、エミコの顔を見ます。
「嘘だ。」
「え?」
「戻れない。」
二人の間に緊張した空気がみなぎります。
「まさか…何で…今まではちゃんと帰れたのに。」
マサトは焦りを覚えました。そして「もう一度。」と目を閉じました。結果は同じです。
「そんな…。」
マサトはぼう然としました。今までちゃんと戻れていたのに、何故今になって戻れないのでしょう。
「今まではずっと戻れてたんでしょう?」
「そう。こっちで目をつむれば、向こうの体が目覚める。なのに…。」
マサトには森への執着はありません。ここに来る動機も全く別のものでした。他に方法がないのです。この眠りの森を出る方法は、他に知らないのです。
「マサト。」
エミコを見るマサトの目には、少しずつ不安の色が混じり始めていました。
「あなた、あたしが起きた時、眠ってたわね。どうして眠ってたの?」
「そりゃ、眠くなったから、うとうとと…―――そうか。」
意識的に目を閉じるか、無意識的に目を閉じるか、ただそれだけの違いなのです。眠りの森では眠ることが基本なのです。眠っている姿が当たり前なのです。だから森自体、眠りたくなる空気を自然に醸し出しているはずです。眠りの中へと誘う森。マサトはその誘いに、意識せずに乗ってしまったのです。
「森につかまったんだ。」
マサトが信じられないといった面持ちで言いました。しかしそれが答えなのです。そしてそれはエミコも、他にこの森で眠る人達も同じことでした。
ここは眠りの森。眠りを求める人がやってきて、快適な眠りを与えられる場所。やがては永遠の眠りへと誘う、永遠の森―――。