第六章

 叔父を送り出した堀川が中川の家に戻った時、5時を少し回っていた。昼頃降り出した雨は、未だ止む気配もない。彼が、家の扉を開けた時、傘を持った中川と、はちあわせになった。
「お…!」
堀川とぶつかて視線をうろうろさせていた中川は、しばらくして堀川の顔を認めた。
「遅かったじゃない。何してたのよ!」
「いや、いろいろと…。何かあったのか?」
「いいから車出して! 早く!」
 雨の中、傘もささずに2人は急いで車に乗った。
「田崎の家の方に向かって走ってくれる? 少しスピード落として、脇に気をつけて走って。」
堀川は車を発車させた。
「何なんだ、一体全体…。」
「堀川さん、昼におじさんに会って、それから田崎と別れたんですよね。」
「ああ、その後きみに会いに行くって…」
「来なかったわよ!」
中川は一人で首を横に振った。
「…だから、昨日あの子、撃たれたんですって?」
「ああ…」
「少し前にね恵理から電話があってね―――恵理は亜雄君から電話があったらしいんだけど、田崎の帰りが少し遅いしケンカして出て行ったから亜雄君心配したらしいのよ。で、身一つで出て行ったし、堀川さんに車で乗せて行かれたから、もう帰ってこないんじゃないかと思ったらしくて…。で、一応堀川さんの連絡先を調べようと亜雄君が…」
堀川は話を聞いていて一瞬頭の中が真っ白になった。
「ち…ちょっと待て。何でつれだしたくらいでもう帰って来ないなんて思うんだよ。結局何が言いたいんだ? 彼女がどうしたって? 俺は昼以来…」
「…行方不明…」
「え?」
「行方不明になってんのよ。あのバカ…。恵理から電話がきたとき、あたし昼過ぎにはおじさんが帰っちゃうって知ってて、でもまだ帰ってないってことはホテルかなって思って一応問い合わせてみたのよ。そしたら受け付けの兄ちゃんが昼頃に女の子が一人で出て行ったって言うじゃない。堀川さんは1時間も遅れて出て行ったって言うし…」
「でも、何でいなくなったりなんて…」
「知らないわよ! これが田崎じゃなくて恵理やあたしだったらめずらしくもないかもしれないけど…!」
「思い過ごしじゃ…」
「そうだったらいいけどね。一応心当たりのあるとこに問い合わせてみるらしいけど。」
 中川は雨でかすんだ外の景色をじっと見ていた。長い2人の沈黙が続く。しばらくすると傘をさして走っている恵理の姿が見えた。
「恵理だ! 堀川さん、停めて!」
 キキ―――――ッと音を立て、脇につけて停まった車のドアを開けて、恵理を招き入れた。
「どう?」
「全っ然! 影も形も…。すいません堀川さん。」
「いや…やっぱり何かあったみたいだな。」
「ええ、だってこういうときはどんなことがあったって必ず連絡入れる子だもの。人に迷惑かけるのが一番嫌いな子だし…。あ、あたし左見るから中川ちゃんそっち…。」
 車は大通りを抜けて左折し二車線の道に移った。いない。どこにもいない…。やがて車は葉子の家の近くのバス停付近に近付いた。
「いないなあ…。もう一度戻って細い道の方を走ってみようか?」
「ちょって待って。あれ、寿美恵…。堀川さん、停めて。」
 中川が車のドアを開けて寿美恵を呼んだ。寿美恵がかけてきて車に乗り込む。
「何か連絡は…?」 
恵理が尋ねた。
「何も。あたし今ききに行ってきたんだけど…。学校にもいなかったし…。」
「じゃ、すいません。堀川さん。今度脇道探してくれます?」
「ああ。」
「行き倒れにでもなってなきゃいいのに…。」
「よっぽど人の通らない道歩いてるんでなければ、連絡が入ってるわよ。」
堀川はこの中川の言葉にギクッとした。
『――一つは本人に連絡する意志がなかった場合。もう一つは本人が何らかの事情で連絡できなかった場合。』
 車は方向転換され、またもと来た道を走っていく。葉子に急ブレーキをかけて怒られた道に入った。
「いない。」
「嘘。どおしてえ?」
「やっばいなあ、もう五時半過ぎてるよ。帰宅する車も増えてきてるし…。」
「薄暗くて見落としたとか…。」
「有り得るわね。どっちにしても昼に出て今ごろこんな所歩いてるわけないのよね。傘も持ってないのに。」
「あたし一度葉子の家に電話してみたい。」
堀川が公衆電話をみつけて車を停めた。恵理が降りて電話をする。しばらくして受話器を置くと大急ぎで帰ってきた。
「まだ帰ってないって…。」
「そんな…だってもう暗くなって…。」
 夏と違って日が沈むのが早く、雨が降っているため、相当暗くなっている。
「一応警察と地元の人に捜してくれるように頼んだから、あたし達はもう帰りなさいって。」
「そんな…。」
 寿美恵の言葉を最後に四人共黙り込んだ。車は脇に停められたままである。
「あのね。」
寿美恵が口を開いた。
「最後にもう一箇所行ってみたらどうかな? あんまり人通りのないとこだけど、小学校の時によく葉子ちゃんと一緒に歩いて帰った道なんだけど…。駄目?」
「じゃ最後にそこ行ってみようか。きみ…」
「中村寿美恵です。」
「中村さん、案内して。」
 堀川は車を発車させた。その道は50メートルおきにぽつりぽつりと電灯があるだけで、人家もあまりない寂しい道…。
「田崎よりも幽霊がいそうな道だな。誰も歩いてない。」
「でもここ確かにどっかで曲がって川を渡るとさっきの細道に出られるはずだよ。」
と、恵理。突然寿美恵が思い出したように口を開いた。
「ちょっと待って! あの、堀川さん。この先を少し行って曲がった所に小さな滝があるんです。葉子ちゃんが来てすぐの時、やっぱり雨が降ってて一緒に見にいったの。雨が水かさましてて『こんなとこに落ちたらこわいね』って葉子ちゃん…」
「どこって?」
「そこ、すぐ曲がった所です。」
「あ、神社の近くの…。あたし行った事ある。」
恵理が言った。
「そう、それよ。あ、堀川さん。そこ曲がった所です。」
車は右に曲がった。しばらく続く軽い下り坂のアスファルトの道の向こうに、小さな橋が見える。神社の案内板が立っていた。堀川はそのすぐ前に車を停めた。
「ここで降りて曲がっていくとそれがあるんだけど…。」
「よし、一応行ってみよう。」
四人がそれぞれに車を降りた。
「神社の方には行ってみないの?」と中川が尋ねた。
「うん、先にこっち行ってみよう。」
 滝に向かう。道はジャリジャリと石砂利の道になっていた。脇の樹木が高くそびえ立ち、上でアーチをかたどったようになっている。樹木が雨を少し遮っているので小降りのように感じる。向こうの方に薄暗い電灯があって…
「葉子!」
 寿美恵の勘は当たった。恵理が叫んでかけてゆく。葉子は小さな滝のある川の柵のそばで、ずぶぬれになって滝を見ていた。恵理の声にゆっくりとこちらを向く。真っ青な顔をしていた。
「田崎! あんた…みんなどれだけ心配したと思って…。ずぶぬれじゃない! 何してたのよ今まで!」
「……」
葉子は振り返ったまま虚ろな目をして何も答えない。
「田崎…!」
中川がイライラとした口調で葉子を怒鳴りつけた。彼女は反応すら見せない。
「まあ待て、多分ずっと雨の中にいたんだろう。早く連れて帰って体を温めないと…堀川は中川を止めて葉子に近寄った。
「……よ。」
「え?」
「嘘よ。誰が? 誰が心配してるって? 誰も、心配なんか…してくれるはずがないのに。」
「何言ってるんだ。何でそんなこと…。それより早く…。」
「さわらないでよ!」
堀川の差し出す手を葉子がはじいた。少し後ずさりしながら視点の定まらない目でみんなをにらみつける。
「誰も、誰も、誰も、何も知らないんだ…。私が何を考えてるかなんて、全然知らないくせに…ずっと寂しくて、…安だったのにぃ…一人だったのに…。見かけのあたしに、ずっと騙されてたくせに…。」
「雨に混じってぼたぼたと葉子の頬を涙がこぼれ落ちる。
「…だって葉子、何も言わなかったじゃない。」
「そうよ、何も言わなかったの…。でも分かって欲しかったの。おじいちゃんでも誰でもいい、亜雄でもいい、恵理でも寿美恵でも中川ちゃんでも、先生でもクラスの誰かでも…。あたしはいつでもあんた達の事は分かってあげてたじゃない。…六年よ…六年も…一人で…。」
「見かけって…何よ。あんた今までずっと外見を飾りつけてたって言うの? 何で…。」
「だってあたし“田崎葉子”じゃない。」
「え?」
「あたしは“田崎葉子”じゃないのに、“田崎葉子”にならなきゃいけなかったのよ。」
「何言って…」
「もういい…。」
「よくないわよ!」
「もういいの…。」
「田崎!」
滝がごうごうと流れ落ちる。樹木の間から漏れる雨が足元の石にはじけた。
「もういいわよ。誰かに分かって欲しかったけど、誰にも分かって欲しくなんかなかったのよ。誰にも認められなくていい。田崎さんちの葉子さんは品行方正、成績優秀な万能なお嬢さん。それでいいじゃないの! 下手のすきを見せて同情されて…、心の中では得体のしれない娘、なんて考えてるくせに、そのくせ好奇心旺盛な目で見て心の中を探ろうとする。そうやって頭の中ぐるぐるにされるくらいなら、放っておかれたほうが、まだましよ!」
こう叫んだ後、彼女は静止して、みんなの困惑した一様な顔を見回した。クスクス…と笑う。
「必要以上のものなんて何もいらないわ。どうせ周りの人なんて、他人を何かの鑑賞物程度にしか思ってないんだもの。その人が傷つこうがどうしようが、一向におかまいなしなんだわ。自分だけが面白いとか面白くないとかだけで、何しても許されるとでも思ってるの? 平凡でつまらない、こんな事がどれほど幸せか知りもしないで…。…いいかげんにしてよ!」
「田崎…」
「不安で、いつも寂しくて、一人で…。でも、誰も気付いてなんかくれなかったのよ。」
「だから何で今までその事話してくれなかったの? あたし達友達でしょ? 相談なりなんなりしてくれたら…!」
「他人よ。」
怒ったような口調で葉子が言う。一瞬空気が張り詰めた。
「他人よ。あたしの事なんか何もわからない…あたしを知らない…ただの他人。」
「ひど…。」
「もういいじゃない。ねえ、中川ちゃん、気がすんだ? あんたずっと不思議に思って…知りたかったんでしょ? あたしが何なのか、どうして完璧な人間やろうとしてるのか。もうわかったでしょ? うれしい? ねえ、うれしい? さあ、元に戻りましょ。後三週間もすればお別れなんだから! 美しいままで終わりましょうよ、ね。心配かけてごめんなさい! ちょっと気がめいってて雨の中歩いてたの。雨にうたれて
熱が出て歩けなくなってここにいたのよ。熱のせいで変なこと口走ったかもしれないけど、気にしないでね! さあ、これでいいでしょう? 帰りましょうよ。もうおしまい!」
バシッ!―――――…
皆が返す言葉もなく立ちすくむ中、歩を進め、葉子の頬をうったのは、堀川だった。一同が我に返って堀川に注目した。彼女がゆっくりと頭をもたげる。
「今まで…六年間もほったらかしにしておいて、こんなこと言える立場じゃないかもしれない。どんなにつらかったかなんて俺はお前じゃないから正確にはわかってやれないかもしれない。でも、だからって、もう離れて行くからって、相手の気持ちも考えないで何を言ってもいい、なんてわけはないだろう? もしこれを最後に、なんて考えて言ってるんだったら。俺は、俺は何があっても、お前を連れて帰らない…!」
 雨が降る。
 葉子にも、堀川にも、中川にも、恵理にも寿美恵にも…。雨はすべてを濡らしていく。葉子の視線は落ちて行く。またはらはらと、涙がこぼれ落ちた。
「じゃあ…、じゃ、どうしろっていうのよ…。一人で、もうこれ以上こんなままでいたくない。怖くて…不安で…。どうしろっていうの? 思い出しそうなのよ。向こうに何かある。何かあるんだけど、怖くて…。思い出したいのよ…今のままじゃ、イヤだもの。思い出したいのよ? 思い出したいのに―――――――――――怖い!」
 ふっと全身の力が抜けて、葉子の体がガクガクとくずれた。あわてて堀川が支える。軽く体に触れただけでわかる。熱がたかい―――――!
「中村さん、悪いけど、車のトランクに毛布が入ってるから取ってきてくれないか?」
「あ、ええ――――――。」
寿美恵は堀川がポケットから取り出した鍵を受け取ると、急いでかけだした。
「最後にもう一つ。記憶喪失だということを言いたくて言えなかったことはわかった。でも、どうして中村さんに話した作り話だけでも、この二人にしてやらなかったんだ。」
「…イヤだったのよ――――もう、これ以上。本当の事じゃないって…あたしは、本当の事じゃないってわかってたけど、嘘の事、本当のように教えるのが、嘘ついてるみたいで、イヤだったの。」
 すぅ――――…と意識が薄れて葉子がゆっくりと目をつむる。寿美恵の持ってきた毛布で葉子を包むと、堀川は彼女を抱き上げて車に運んだ。
 薄れて行く景色の中で、葉子は堀川の言葉を思い出していた。
『きみは今、しあわせなのか?』
『どうして?』
『一人でいるとすごく疲れて見えるから。』
 すごく疲れて見えるから―――――…
 滝がごうごうと音をたてて流れている。薄暗い電灯があたりを照らし、雨の滴が石の道をたたく。雨は少し小降りになった。車の音が、遠ざかる―――――――――。
 

 それから四、五日、葉子が寝込んだということは、言うまでもない。倒れたその後堀川はすぐ病院に連れて行った。結局葉子は三日程度入院し、今は家で休んでいた。毎日のように、恵理と寿美恵と中川が、交代で葉子の所にやってくる。
「もう、かなりいいみたいね。」
今日は恵理と寿美恵が来ていた。
「うん、ずっと寝てたから…。」
「あの時は本当、葉子の気がふれたんじゃないかと思ったわ。」
葉子はためらいがちに微笑んだ。
「そうね、あの時熱があったのも手伝って、ずいぶん好き勝手なこと言ったものね。正直言って、自分でも何言ってたか、あまり覚えてないわ…。…堀川さんに殴られたとこだけは、しっかり覚えてるんだけど。」
「何か都合のいいとこだけ覚えてんのね。」
「そーかなー。」
「そーよ。」
「でも…」寿美恵が会話を遮った。
「あの人、いい人だよ。堀川さんって。葉子ちゃんを病院にかつぎこんで意識不明になってた時、言ったもん。いつまでも友達でいてやって欲しい、みたいなこと。」
「そう、その後に中川ちゃんが真面目な顔して言ったのよね。『もちろんです。』って。」
『もちろんです。あたしってしつこいんですからね。ここまで来た以上は、最後まで、きっちりしっかりお付き合いさせていただきます。』
「最後までって、いつだろう?」
「さあ…。」
「いいの? あたしにそんなことバラしても…。」
「中川ちゃんには内緒ね。えへへ…。」
「捜してた時も病院に運んだ時も、堀川さんは一番落ちついてたよね。やっぱあたしらとは違うのかな…。」
寿美恵はそう言った後、天井を見上げてボーっとしていた。
「実際さ、あの日…、あたし待ってたと思うのよね。ずっと…捜しに来てくれるの…。」
「え?」
「まず堀川さんが家に帰って、あたしが来てないことに気付くでしょ? 寿美恵がクラブに行ってるからまず無理として、あたしが帰ってこないんで亜雄があわてて捜し始めるでしょ? そうすると恵理の所に連絡が入って… もし恵理が捜そうとして中川ちゃんと連絡取り合わなければ堀川さんの車が動かないでしょ? それで動いたとしても寿美恵がいなければあの場所はわからない。みんなが動いてくれなければ、あたしは無事に見つからなかった。」
「四人が首揃えて待ってたわけか…。」
「悪い奴。」
「時間と体力に限界があったのが問題だったけどね。」
三人そろって笑った。
「あ、そーだ。」
「何?」
「堀川さんがね、後二週間したらしばらく会えなくなるかもしれないんだって。で、今年の春休み、葉子ちゃんが行っちゃう日までの二週間、堀川さん行きたいところに連れて行ってくれるって。受験生の亜雄くんには悪いけどさ、葉子ちゃんが元気になってからでも…。」
「でも会えなくなるかも、なんて、えらく急だよね。」
「うん。…でも、今ならちょうど区切りもいいし…。ずるずる後に延ばすよりは…。」
「ま、ね。…そういえば、何か思い出せた?」
「ううん、全然。あの堀川さんのおじさんに会った後が一番ひどかったんだけど。」
「そのおじさん、何か関係があるんじゃない?」
「ううん、残念ながら一度も会ったことないんだって。」
「ふうん。でも記憶喪失のままで、おじさん何も言わないと思う?」
「…うん。で、堀川さんが叔父夫婦に連絡つけたらしくて、おじいちゃんの説得に来るんだけど…。」
「そういえば昨日も来てたね。」
「うん。今日も来るようなこと言ってた。もうそろそろじゃない? …あたしが言った方がいいのかもしれないけど…。」
 一瞬の沈黙が出来る。叔父はともかく、葉子は彼女が堀川家の娘とわかった途端、手の平を返すような態度をとるような、そんな叔母は苦手だった。叔母の相手をしている時、一番疲れる。そういうところは他の二人も同様らしい。
「じゃ、ともかくお邪魔しちゃいけないから、今日はこれで帰るよ。また明日ね。」
そそくさと二人は立ちあがった。そんな二人を見て葉子はクスリと笑う。
「うん、ありがと。じゃ…。」
「明日。」
手を振りながら苦笑いする、二人が部屋を出て行った。
 嘘なのだ。「待っていた」など。
 あの、堀川の叔父と話した後、雨の降り始める前の、激しい恐怖と混乱――それを、認めるほうが恐ろしい――認めては、イキテ、イケナイ
 

 しばらくしてから家の前に車の停まる音がした。叔父夫婦がやってきたのだろう。
 と、ふいに部屋の外で亜雄の声がした。
「葉子、オレ、入っていい?」
「亜雄? どうぞ。」
 ドアを開けて亜雄が入って来た。この部屋は洋室なのだが、葉子がベッドを嫌ったために、床に高めのマットを敷き、その上に布団をしいて葉子は寝ている。亜雄が入ってくると同時に、葉子は体を起して座った。近寄った亜雄に話しかけた。
「何?」
葉子は腰をかがめて隣にいる亜雄を見てはっとなった。とても、鎮痛な面持ちをしている。
「どうしたの? 一体…。」
亜雄は葉子をじっと見たまま答えない。
「亜雄?」
「…ほ、本当なのか? 堀川って奴の所へ行くって…。」
「…わからないわ…。」
「そんなに、あいつのことがいいのかよ?」
「あいつ? あいつって誰? 堀川さん?」
「そうだよ! とぼけんなよ。葉子はあいつのとこがよくって出て行くんだろう?」
「ち…ちょっと待ってよ、亜雄、落ちついて…。」
「みんな…そうなんだ。いつも、いて欲しい奴ばっかり、出て行っちまうんだ。姉ちゃんの時も、ばあちゃんの時も、すぐ帰ってくるって言って出て行って、二度と帰ってこなくなるんだ。」
「何…言って…。」
亜雄が葉子を抱きしめる。
「行かないでくれよお。」
そうだ、いつからだろう? 亜雄が、葉子のことを「姉ちゃん」と呼ばなくなったのは。
「知ってたんだ、オレ。あんたが本当の姉ちゃんじゃないってこと…。」
「――――いつから?」
「ずっと。」
葉子の顔が強張った。亜雄は葉子をいっそう強く抱きしめる。…しがみついているようだ、と言った方が正解だろうか? その耳元で言う。
「オレ…ずっと葉子のこと好きだったんだ。兄弟なんて、一度も思ったことなんか、なかった。」
 葉子はしばらく、身動き一つしていなかった。最初に小さく、言葉を発した。
「……てよ。」
「え?」
葉子が亜雄の緩めた腕を振りほどく。
「さわらないでよ。」
「よ…うこ?」
葉子は憎悪の目で彼を見た。
「さわらないでよ! 近寄らないで! いやあああああああ――――――――――――!」
それは、絶叫にも似て…