眠りの森

 幼稚園児に将来の夢をきくなんて、それは愚問だと思ったのは、高校三年生の春でした。エミコが幼稚園の時なりたかったのは、幼稚園の先生です。エミコはお嫁さんとかスチュワーデスとか他にも職業を幾つか知っていましたが、まあ何となく、幼稚園の先生にしておこうと思いました。愚問です。幼稚園児が一体幾つ職業を知っているというのでしょう。
 それは小学校に上がってもたいして変わりませんでした。でも小学校に上がると、少しは職業もわかるようになります。中には総理大臣になりたいという人もいました。アイドル歌手になりたいという人もいました。でも何故彼らがその職業につきたかったかというと、総理大臣は日本で一番偉い人だと信じていたからです。アイドル歌手はみんなの人気者だと思ったからです。かっこよかったからです。で、エミコがその時、何になりたかったかというと、一応その時ピアノを習っていたので、モーツアルトのような有名なピアニストになりたいと答えました。先生は「そうかそうか。」と感心するばかりで、感想らしい感想を何も言いませんでしした。おそらく先生は、その中の半分の人間も夢は達成できないと、頭ではわかっていたのでしょう。ただ、「夢を持つのはいいぞ。」と言いました。ただ、にこやかに、そう言いました。
 でもエミコはピアノは中学校でやめてしまいました。あまり熱中出来ないとか、受験の何のともありましたが、何より、自分はモーツアルトにはなれないだろうと思ったからです。エミコはその時ソナチネをやっていましたが、四つ下のセンセイの子供もソナチネをやっていました。何だか損だと思ったのです。それで、やめてしまいました。
 高校に入ってからエミコは絵をやりたいと思いました。美大に行きたいから、そういう塾に行かせてくれと言って、行きました。そこでエミコはようやく、上には上がいることと、世間で脚光をあびる成功者は、ほんの一握りの人間だけだと知ったのです。やがて、絵を描くこともやめてしまいました。
 何の授業だったか、高校二年の終わりにセンセイが、「なりたいものをきちんと決めている者。」と言って手を上げさせました。四、五人だったと思います。
 高三の春、進路相談の懇談会で、エミコはセンセイに「何故N女に行きたいんだ。」と尋ねられました。エミコは、
「あそこは、有名校の男子に人気があるんです。玉のコシに、乗れるかもしれないでしょ?」
「最近の子はゲンジツテキだなぁ。」
とセンセイが言いました。
 でも、センセ、みんな似たようなものじゃないですか。今明確な将来の希望を決めてる人間なんて、何人いるの? 大学に入って、それで〃なるもの〃を探すんだわ。それがゲンジツってものよ。
 真っすぐ引かれた死への一本道。なくしてしまった夢、かなわない夢。眠りの森にいることは、そんな夢のようなことなのです。きっと。
 
 何のことはない、マサトがショックから抜け出すのに、そんなに時間はかかりませんでした。無為の時間はほんの少しでした。
「うだうだ考えても仕方ないよな。よし、脱出する方法を見付けよう。」
マサトがガッツポーズをつくっている横でエミコはもううつらうつらしていました。
「エミコ!」
マサトが眠ろうとしているエミコの身体を揺すります。
「何だよ、人がせっかく脱出の方法考えようって言ってる時に、眠るなよ!」
エミコはうーんと言いながらノロノロと上体を起き上がらせます。
「だっしゅつー?」
「そう、このままぼーとしててもらちがあかないから、とにかく何とかしないと…。」
「でも、もう方法がないんでしょ?」
また倒れていきます。
「方法がないんじゃなくて、わからないんだよ。とりあえず前の方法で現実に戻れないんなら、出口でも探して抜け出さないと、さっき見たヤツの二の舞いになっちまうんだから。おい、起きろって。」
「もういいわ。あたし。ここで寝てる。」
「寝てるって、あんな風に消えてしまってもいいのか?」
マサトはエミコの耳元で叫びます。
「よく考えたら、寝てるうちに全部すんじゃうでしょ? だからいいんじゃない? 別に。」トロンとした声でエミコは言いました。さっきと同じようなことを言っています。
 マサトは静かに立ち上がりました。
「分かった。」
 何が分かったんだろうとエミコが薄目を開けると、マサトは腰の剣をするりと鞘から抜いています。エミコはびっくりして慌てて起き上がりました。
「ちょっと、マサト…?」
マサトはエミコをじろりとにらみつけます。
「死んでもいいって、言うなら、今僕がここで殺してやる。」
「え?」
エミコは体から血の気がサッとひいていくのを感じます。マサトは体の前に剣をかまえていて、それが脅しでないことは、その体からみなぎる気迫でわかりました。
「ここで魂を吸収されれば、現実での体も死んで、全部消えてしまうんだ。でも、今ここで僕が殺せば、せめて魂くらいは天国にいけるかもしれない。」
「ちょっ、ちょっとマサト、落ち着いてっ。殺人はいけないわ! 殺人は!」
「いいんだ。誰も見てないから。」
目の前で剣がキラリと光ります。
 ぎゃ――――――――――――っ。
エミコは這うように逃げ出しました。
「君は、僕が、連れ出そうと、努力してるのに、自分のことばっかり考えて、僕が、ここまで、たどりつくのに、どれだけ、苦労したと!」
マサトは剣をブンブン振りながら、言葉を一緒に吐き出し、追い掛けてきます。
「あ―――、ごめんなさ―――い。」
エミコは絶対絶命です。手が足が、動いているのが不思議なくらいです。
「思ってるんだ―――。」
「あ…!」
エミコは何もないところでつまづいてしまいました。上から、マサトが降り下ろした剣が降ってきます。何か止めるものは、何か剣を受け止めるものはないのでしょうか。間に合いません。エミコは目をつむり、手で体をかばいました。
 キィ――――ンと音を立てて、マサトの剣をはじきました。するとエミコの手に、何も握っていなかったエミコの手に、どこから現れたのか、マサトとは違う剣が、しっかりと握られていたのです。マサトは、何よりもエミコ自身が、信じられませんでした。
「え?」
マサトは剣を降ろした姿勢のまま、エミコの剣を見て信じられないという顔付きをしています。エミコもまた、自分の剣を見てしばらくぼう然としてしまいました。
 どこからふってわいたのでしょう、この剣は。
 エミコは思わず剣の柄を両手で握りしめて、まわりをキョロキョロ見回しました。
 どこからふってわいたのでしょう、この剣は。
「え?」
 もう一度、その剣をみつめました。
「やった。」
座り込んだエミコの上から、立ったままのマサトの声が降ってきました。上目づかいにエミコはマサトの顔を見ます。
「え?」
見上げたマサトの表情は、さっきとまるで違うものでした。それは〃喜び〃だったのです。
「やったよ! すごいよ。よくわからないけど、それはすごい進歩だよ!」
「え? 何? どっから出て来たの、これ!」
「生まれたんだよ。今ここで!」
「はぁ?」
エミコがわけがわからないといった風に聞き返します。
「いいかい? 立前は要するに、ここも夢の中。だから強く念じて欲しいと思えば、それがかなうんだ。僕の剣もマントも靴も、そうやって手にいれたんだ。」
「じゃ、これは…。」
「創造物だ。」
「そうぞうぶつ…。じゃ、鞘が欲しいって思えば?」
「念じてごらんよ。」
うーんとエミコはうなりました。
 鞘が欲しい。
 鞘が欲しい。
突然、ポンと目の前に、剣にぴったりの鞘が現れました。
「わぁー、好きよ好きよ、こういうの。」
今まで薄曇りだったエミコの瞳が、まるで光が差したように、パッと明るくなりました。エミコはまるで幼い子供のようです。マサトもそんなエミコを見て、何だか嬉しそうです。 するとマサトはあっと思いだしたように声を上げ、後ろを降り返りました。
「反応しなかったよね、森は。あんなに暴れたのに。」
「あ…。」
 人の心に、マサトのようなよそ者以外の人の心にはこの森は強く反応するのです。エミコにも前までは反応していました。もしかするとこれはマサトの言うように、何か進歩なのかもしれません。
「ねえ、もしかしたら出口も造れるんじゃないかしら。この剣みたいに。」
「え?」
「だって強く念じたら、何でもでるんでしょ。だったら出口くらい…。」
「そうか、そうだな。」
「ね、二人でやってみれば、出てくるわよ。きっと。」
「うん。駄目で元々だし。」
「そうそう。」
エミコはにっこりと笑いました。そして
「そこに。」
と、森の一点を指しました。
「出口を造るのよ。」
先にエミコが目を閉じて、出口を、と念じ始めました。そんなエミコを見て、マサトも念じます。
 出口を。
 出口を。
 出口を。
 出口を―――――。
 …エミコが目を開きます。出口は現れません。
「世の中、そんなに甘くないってことかな。」
マサトがちょっと失望したような声で言いました。
「何で現れないのかしら。」
「やっぱりアレだよ。二人共、心のどっかで理屈じゃありえないって思ってるからだよ。」
「でも、剣やらマントやらはちゃんと出て来たじゃないの。」
「うん、そうだけど、ホラ、こういう物は形がはっきりしてるだろ? 魔法のランプこすって、宝石は出せても、思想家になることは出来ないじゃない。その思想みたいなもんじゃないの? 出口って。」
「そんな難しいコト言われても…。」
「まあ、抽象的なものだってことだよ。だいたい帰りたいって念じても帰れないのに、出口が欲しいっていっても、出てくるわけないよな。」
「何か足りないってこと?」
「うーん。」
そう、何か足りないのです。今思ってる〃欲しい〃も心の中のただの言葉で、さっきの鞘やなんかの時と違うのです。剣の時は形を思い浮かべて、そこに存在するのが当たり前だと信じた時に、現れたのです。でも今、ここで出口が現れたら、嘘くさいと思ってしまいます。出口自身の形を思い浮かべることも出来なければ、そこに存在することが当たり前だとも思えないのです。確かにマサトの言う通り、抽象的すぎます。
「このマントさ。」
マサトが右手で肩にかけたマントをひっぱります。
「はじめは空を飛ぶ船だったんだ。」
「空飛ぶ船? ―――それが何でそうなっちゃうのよ。」
「創造するとこまではよかったんだよね。乗ってみたら運転席にはエンジンスイッチとハンドルしかなかったんだ。」
「何それ。」
「うん。まあ、ちゃんと動くし、飛んだんだけど、結局具体的なことがわかってないから、他のはなかったんだろうな。メーターなんかも造れただろうけど意味ないし。でっかくてうっとおしいから、結局魔法のじゅうたんになって、持ち運びに不便だから、空飛ぶ布になったんだ。」
「ふーん。」
エミコはマサトの話を聞きながら、剣を腰に留めるベルトを造りました。スカートを半ズボンにして、足にブーツをはきました。
「エヘヘ。」
「楽しい?」
「子供の時、思わなかった? 魔法使いがいればいいって。いたら欲しい物を出してもらって、自分の思い通りにするのよって。」
「今は思わないの?」
「思うわけないじゃない。いるわけないわ、そんなの。」
マサトはエミコの顔を見て何もいいません。エミコは悪い事を言ったのかと少し慌てました。
「え、いると思ってるの?」
「頭ではね、いないって知ってても、心のどこかでいるかもしれないって思ってもいいじゃない。誰もあったことないから信じないなんて、ナンセンスだよ。」
エミコはマサトの顔をみつめます。
「だからなのね。」
「何?」
「ううん、こっちのこと。」
 だからなのね、だからマサトの視線はそんなにも素直なんだわ、とエミコは思いました。大人のような口をきく少年の心には、幼い子供が一人、今も生き続けているのです。だからマサトの瞳は、にこりのない、透明な石のようなのです。
「あたしも今ならそう思ってもいいな。」
「え?」
「魔法使いがいるかもしれないってこと。こんな夢の世界があるんだし。」
「うん。」
マサトがにっこりと、それこそあどけなく笑います。おもわずエミコもにっこり笑い返します。
 死ぬか生きるかの瀬戸際で、現実への脱出方法もわからない限界で、不思議と二人の間に通いあった、とても和やかな空気でした。
 マサトが上を見あげて、フッと溜め息をついてから、エミコを見ていいました。
「とりあえずここにいても仕方がないから動こう。何とかして出口を探さなきゃ。」
今の和やかさですっかり忘れていましたが、エミコはハタリと事の重大さを思い出しました。
「そうだ。どうしよう。」
「うん。」
マサトは顎に手を当てて、じっと考えました。
「入った、といことは、出られるはずだと思わない? ここに来た時、どんなだった?」
「眠ってて、目が覚めたら眠りの森にいたんじゃないかしら? よく覚えてないけど。」
「じゃ、僕の時と同じか。眠りが入り口だから、僕が現実に帰る時も、目をつぶれば良かったんだな。」
「じゃ、出口がなくなったってことじゃない。」
うん、でもさ、既にもう、眠りの森にいる気のない者まで、何で帰れなくなるのか、不思議じゃない?」
「そうね。だいたい消える時も眠りながらだしね。眠っていない者は消えることが出来ないはずだから、森にとっても要らないはずなのに。」
ふと、マサトは何かがひっかかりました。一点をみつめ、黙っています。
「どうしたの? 何か変なこと言った?」
エミコが不安そうにマサトの目を覗き込みます。
「何て言った?」
「え?」
「今さっき、何て言った?」
「さっきって? 眠ってない者は消えることが出来ないはずだって。」
「いや、それじゃなくて、その次。」
「森にとっては要らないはず…。」
「それだよ。僕達は森の条件から外れてるんだ。それなのに何故森は僕らを帰さないのか。僕らには森にいる意志はないのに。」
エミコは思わず両手で口を押さえました。顔が強張ります。身体も緊張しているのを感じます。
「まさか、そんな、森が意志を持ってるみたいに…。」
「そうだ。森が僕らを食いたがっているんだ。」
 静かな森が、さらに静けさを増したようです。誰かがじっと見ているような気に襲われました。彼らは既に、森という殺人者に捕まった被害者も同然でした。
「助かる方法はないってこと?」
「いずれ、樹海に迷い込んだ人みたいに出口を探して歩き回って疲れ果てるか、ここにいて森の誘いに乗ってしまうかして、眠ってしまうだろう。そうすれば…。」
「だって夢よ! たかだか、あたしが見ている夢じゃない!」
エミコが叫びます。声がひっくりかえってしまっています。これがただの夢でないと分かった上での、むなしい叫びでした。
「夢だけど、集団意識みたいなものだから。この森だって結局その集団意識が作りあげたのだし…。」
「集団意識って、誰の意識よ。」
「そりゃ、この森に来て眠ってるヤツらか、この森に吸収されたヤツらか…。」
「冗談じゃないわ! なんでそんな顔も知らないような人に殺されなくちゃいけないのよ!」
エミコの声は憤慨のあまり震えていました。その体も、震えていました。マサトは何と言っていいのか言葉が見付かりません。でも、どこかに、方法が隠されているような気がするのです。
 諦めちゃ、駄目だ。まだ、可能性はあるはず。
 マサトは自分に言い聞かせました。
 ふと、前を見ると、エミコが手に何か持っています。
「エミコ…?」
「壊してやるわ。」
「え?」
「こんな森、壊してやるー!」
 手に持っていたのはマシンガンでした。いえ、マシンガン、もどき、というべきかもしれません。森に向けて発射します。
 ガガガガガガガガガ――――――
「わあー、やめろー。」
「あたしはねー、他人の思い通りにさせられるのが、一番嫌いなのよ――っ。」
「だからって…何て凶暴な性格なんだーっ。」
 弾は樹に少し跡を残して弾かれるだけです。それでもエミコは撃ち続けました。森はビクともしません。
「やめろー、とにかくやめろー。」
マサトが必死でエミコを制しました。エミコはやっとゼイゼイ言いながら、撃つのをやめます。とめたマサトもゼイゼイ言ってます。
 少し呼吸を整えて、マサトはまだゼイゼイ言ってるエミコを怒鳴りつけました。
「バカか! こんなことやっても無駄に力を使うばっかりで、疲れるだけだろう! もう少し建設的に考えろよ、建設的に!」
「だって、腹立つじゃない! 自分でその気になってんならまだしも、他人によ、殺されるなんて…。」
「だからって、マシンガン出して撃っても仕方…。」
ここで突然、マサトは言葉を切りました。
「ちょっと待て。」
エミコがいぶかし気な目でマサトを見ます。
「そのマシンガンはどこから出て来たの?」
「どこからって…。」
一体どうしたのでしょう。この出し方を教えたのは、マサト自身だと言うのに…
「マサト、どうしたの? 大丈夫? 欲しいと強く念じれば出て来るって言ったの、マサトじゃない。創造すればいいんだって。立て前は夢なんだから…。」
不安そうな顔をしていたマサトの目に、光が射したように、顔付きがパッと明るくなりました。
「そうか…。」
「マサト?」
「そうだよ。まだ、可能性はあるかもしれない。脱出出来るかもしれない。集団意識は集団意識、夢は夢なんだ。」
「は?」
「つまり、この地面とつながってる樹と草は集団意識のものだけど、空間は夢ってことだよ。だって、そのマシンガンもそうだけど、僕のこの剣だって、草につるし上げられた時出て来たんだ。森を害するものが平気で出てくるってことは、空間自体はただの夢空間なんだ。そう、出口だって見付かるかもしれない。」
眉根にしわを寄せていたエミコの顔が苦々しくもやわらいでいきます。
「そう、ね。そう。諦めるのはまだ早いわね。何もしないで死ぬよりも、残された時間で、出来る限りのことしなくちゃ。」
 エミコは一人で「ウンウン」とうなずいて、ガッツポーズをつくっています。まるでマサトです。マサトは隣りで正直、そんなエミコに驚いていました。この短期間で何がエミコを変えたのか、マサトにはわかりませんでしたが、おしつけではなく、エミコはいきようとしているようです。こんな限られた状態なのに、緊迫した時なのに、マサトはとても嬉しくなりました。不謹慎にも微笑んでしまいました。
「とりあえず、思い付くことからやりましょう。ね。」
 そうして振り向いて、やっとエミコはマサトの笑顔に気がつきました。エミコはドキリとしました。こんな状態で笑ってるマサトが気持ち悪いとか、そういう意味での驚きではなく、その笑顔自体にドキリとしたのです。
「やだ、何笑ってんの?」
「うん。」
「うん、じゃないでしょ。」
「うん。」
マサトはまだ笑っています。さっき「魔法使いがいるかもしれない。」と言った時の笑顔とは比べ物になりません。だって見ていてエミコが恥ずかしくなる程のものだったのですから。
「ホラ、いつまでも笑ってないで、次にどうするか考えなさいよ。しまりがないわよ、もうっ。」
 でもエミコは何だか幸せでした。マサトの笑みに、エミコは幸せだと思ったのです。こんなことははじめてでした。
 エミコが照れ隠しに怒って、マサトを無視して歩き始めた時、ふと前方を見て気がつきました。
「ねぇ、マサト。この森には果てがあるのかしら。」
「え?」
「見たことある?」
「ない。」
二人が顔を見合わせました。
「果てがないわけないでしょう。物理的に考えても、地球以上の大きさなはずないじゃない。だって一定の集団がつくり上げたものなんでしょ。」
「そうか。直接現実への出口を探さなくても、別の夢空間に行けば、助かる見込みはあるわけだ。」
「果てよぉ。」
「果てかあ!」
マサトは肩のマントを外し、バサリと広げました。2人が乗って、マントが浮きます。
「行くよ。」
「うん。」
マントは前進します。
 
 高校一年のある日でした。朝からみんな何だか騒がしいので、どうしたのか聞いてみたのです。
「隣のクラスの男の子いるじゃない。ノムラクンってメガネかけた普通ぐらいの背の子。」
「ああ、うん、いたかなぁ?」
「その子ね、自殺したんだって。」
「え?」
思わずエミコは声をひそめました。
「何で?」
「原因とかはっきりわかってないんだけどさ、今朝からずっとその話ばっかりだよ。昨日の夜、家の前にパトカー停まってるの見た子がいるんだって。」
「ええーっ。」
顔も知らない人だけど、エミコにはちょっとショックでした。そういう類いの話はテレビの中だけのものとばっかり思っていたからです。
 後になって何となく原因はわかりました。元々、人生について、とか、生きる意義について、とか色々考えてた人だから、生きることに絶望してとか何とか――でも、はっきりしたことはわかりません。遺書の残っていない、衝動自殺だったようです。
 その時エミコは不謹慎にも自分に感謝しました。深く物事を考えるタイプの人間でなくて良かったと、感謝しました。